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第四百話 刹那

 光を、見ている。

 全長数百メートルに達するであろうドラゴンの巨躯が、光に包まれていた。

 カオスブリンガーの力を再現した黒き右半身と、シールドオブメサイアの能力を模倣した白き左半身が、音もなく崩壊していく。漆黒の外皮はどろどろに溶けて流れ落ち、純白の外殻はばらばらに砕け散っていく。

 ドラゴンの生命活動が停止したために、能力を維持することができなくなったからだろう。黒白の外殻が崩れ落ちれば、残るは竜の本体だけだ。それだけでも巨大で、強大なことに違いはないが、死ねば脅威にはならない。

 上体を折り曲げ、腕を伸ばしたその態勢を見る限り、ドラゴンはやはり、クオンに狙いを定めていたようだった。竜の長大な腕が、いまにもクオンに届こうというところであり、セツナは危うく彼を見殺しにするところだったのだ。一瞬でも遅れれば、クオンの命はなかった。安堵する。クオンは生きていて、セツナは辛くも彼を護ることができたのだ。

 借りを返せた、などとは思うまい。彼に借りたものを返し切るには、この程度では足りないのだ。

 竜は、動きを止めていた。まるで竜の中の時だけが静止してしまったかのように、その巨躯は微動だにしなかった。心臓が破壊されたのだ。死んでしまったのだ。動かなくて当然といえるのだが、腕を伸ばしたまま硬直している姿には、死を感じさせない何かがある。かといって、再び動き出すような兆候はない。いくら異世界の生物とはいえ、心臓を破壊されたのだ。息を吹き返すはずがない。もちろん、セツナの世界の理屈が通る相手ではないというのは、百も承知だが。それに、たとえ息を吹き返し、再び動き出したところで、今度こそ止めを刺せばいいだけの話だ。いまのセツナに恐れるものなどなにもなかった。

 樹海を見下ろし、大地を見渡している。自分がいま、どこにいるのかもわからないまま、世界を睥睨している。流れる大気の音が耳に遊び、木々のざわめきが旋律のように駆け巡っている。動物たちがドラゴンの死に反応し、声を上げていた。異世界から現れた怪物の死を哀れんでいるかのような、そんな遠吠え。

 竜は、全身から光を発している。その光が次第に強くなり、天に向かって伸びていった。ドラゴンの巨躯に宿っていた力が行き場を失い、天に向かって放たれたのだろうか。だとすれば、なんらかの意志が働いたということになるのだが、そこまではセツナにもわからない。

 とてつもなく巨大な光の柱が聳え立ったかと思うと、その光の中で、ドラゴンの肉体が崩壊を始めた。五体がばらばらに崩れ去り、大地に穿たれた大穴の中に落ちていく。ドラゴンの巨躯を形成していたすべての物体が穴の中に落ちると、今度は光の柱がばらばらに崩れていった。光は、地に落ちるのではなく、天に昇っていく。

 肉体は大地に帰り、魂は天に還る――そういうことなのかもしれない。などと、考えている場合ではなかった。

 セツナは、ひとりの少年を発見して、愕然とした。ヴリディアの大穴近くに、血まみれの少年が突っ立っている。髪も肌も身につけている武具もなにもかも、ドラゴンの血を浴びて赤黒く染まっている。血はまだ生々しい光沢を帯びており、乾くには時間がかかりそうだった。セツナは、どうやら虚空を見つめているようなのだが、その視線に意思を感じることはできない。気を失っているのではないかと思うのだが、だとすれば、この意識はなんだというのか。

 上空から大地を見下ろしているのは、一体誰なのか。

 自分は、セツナではないのか。セツナ・ゼノン=カミヤ。セツナ=カミヤ。神矢刹那。十七年前、こことは異なる世界で生を受けた人間。それが自分ではなかったか。

 確信が持てない。

 自分は、いったいどこのだれなのだろう。

 ドラゴンの心臓を破壊した事実すら、あやふやなものになっていく。

 虚空の存在へと成り果てるような、そんな感覚。浮遊感と、不安。心が溶け、意識も解れていくのがわかる。このまま大気に混じり、消えていくことができれば、それはそれで幸福なのかもしれない。もうだれも傷つけなくて済む。殺さなくて済む。断末魔を聞かなくていい。絶望の声を聞かなくていいのだ。もう命を奪う必要はない。自分の命が消えてなくなるのだから、他人の命を消す必要はなくなる。

 それでも、彼の意識は完全には消え去らなかった。

 心残りがある。

 ザルワーンとの最終決戦に参加できないのは、痛恨の極みだ。作戦上、仕方がなかったことだというのは理解しているし、納得した上で、彼はドラゴンと戦った。彼がドラゴン拘束に参加しなければ、クオンひとりに任せることになったかもしれない。いや、その場合は、《白き盾》に任せたのだろうか。

 なんにせよ、彼がいなければ、ドラゴンが倒れることはなかっただろう。ウォルド=マスティアにせよ、マナ=エリクシアにせよ、イリスにせよ、彼の代わりが務まるとは思えなかった。

 ドラゴンが倒れないということは、クオンが窮地に陥るということだ。彼がドラゴンを滅ぼさなければ、クオンが殺されていた可能性は高いのだ。

 ドラゴンを滅ぼせたのは良かった。これで、心置きなく龍府の決戦に意識を向けることができる。心残りを、わずかでも減らすことができる。いまの自分ならばそれができるということを、彼は無意識のうちに理解している。

 遠く、近く、龍府とおぼしき都が見える。

 古都と謳われるだけあって、古めかしくも壮麗な街並みが広がっている。四方を分厚い城壁に囲まれているのは、戦乱の時代が長らく続いているということもあるが、皇魔の存在も大きいらしい。人類の天敵たる皇魔から身を護るには、堅牢な城壁で都市を囲う以外にはないのだろう。

 龍府の城壁は、彼がいままで目撃した都市の中でも一際分厚いようだった。龍府が作られた当初から同じ分厚さだったのか、それとも、継ぎ足されながら分厚くなっていったのか、彼にはわからない。

 さすがに時間を遡ることはできない。そこまで万能ではない。いや、もしかしたら、できるのかもしれない。黒き矛の力のすべてを駆使することができたならば、時空すら超越しうるのかもしれない。くだらない妄想と断じることができないほどに、カオスブリンガーの力は凄まじい。

 彼は、自分が世界に溶けていくような感覚の中で、黒き矛の力を実感していた。シールドオブメサイアと同質の防壁を貫き、ドラゴンを討滅したということだけでも凄いことだ。しかし、黒き矛の力は、それだけには留まらないようなのだ。

 いま、彼は、龍府を見下ろしている。普通ならば考えられないことだ。どれだけ五感が拡張され、視覚が強化されたところで、ヴリディア砦跡地から遥か北に位置する都市を見ることなどかなわないだろう。しかも、天から見渡している。

 彼の目に写っているのは、龍府だけではない。

 古都の城壁の外には、平原が楕円を描くように横たわっているのが見える。さらにその外周を覆うのが緑色の海――樹海だ。樹海の各所には、かつて五方防護陣と呼ばれていた砦が存在していたが、ドラゴンの出現にともなって消滅した。ドラゴンが滅び去ったいま、残っているのは跡地の空虚な空間であり、大地に穿たれた大穴だけだ。

 そうなのだ。

 消滅したのは、ヴリディアのドラゴンだけではなかった。ファブルネイアもビューネルも、ライバーンやリバイエンのドラゴンさえもこの世から消え去っていた。跡形もないとはこのことではあったが、彼には、なぜほかのドラゴンまで消え去ったのかは理解できなかった。

 視線を樹海から平地に戻すと、龍府の南方でふたつの軍勢がぶつかり合っているのが見えた。ガンディア軍とザルワーン軍の最終決戦が行われている最中であり、まさに佳境といったところのようだった。

 ガンディアを中心とするルシオン、ミオンとの三国同盟軍は、総勢七千強の兵を動員した大軍勢であり、対する二千弱のザルワーン軍を終始圧倒しているものかと思われたのだが、現状を見る限りでは、どうもそうではないらしかった。

 戦場の中央にザルワーン軍の本隊らしき部隊があり、それをガンディアの軍勢が半端に包囲している。《白き盾》、《蒼き風》といった傭兵部隊もそこで暴れているようだが、敵の中に、武装召喚師相手に互角の戦闘を繰り広げるような猛者が散見されている。

 また、《蒼き風》の傭兵たちは、突如巻き起こった竜巻に打ち上げられ、ガンディアの部隊ともども半壊状態といってよかった。師であるルクス=ヴェインも苦戦しているようだ。相手は、大気を操る召喚武装を装備した武装召喚師のようだ。

 オリアン=リバイエンという名が聞こえた。

 オリアン=リバイエンといえば、魔龍窟の総帥だったか。ミリュウの父親でもあったはずだ。ミリュウを鍛え上げた武装召喚師ならば、さぞ凶悪だろう。他人事のような感想を抱いたのは、実際、他人事だからに過ぎない。

 いまの彼は、虚空の存在である。

 世界に干渉することなどできないのだ。


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