第三百九十六話 護るということ
ガンディア軍の勝報を待っていられないのは、クオンの精神力が尽きたとき、シールドオブメサイアの守護は失われるからだ。守護を失えば、セツナもクオンもドラゴンの前に生身を曝すことになる。それは即ち、死を意味する。
(今度は俺の番だ。俺がおまえを護る)
柄を握り締めると、力が湧いた。いや、力はとっくに充溢していた。このときのために残していた力のすべてが全身の隅々まで行き渡っているのだ。黒き矛の力。カオスブリンガーを手にしたことでもたらされる膨大なエネルギー。精神力を代価として差し出すことで得られる超人的な力。
超感覚。
五感は冴え渡り、ドラゴンの微妙な動きさえ認識していた。
黒白の竜がこちらを凝視していた。無数の目、数多の視線がセツナに集中している。ドラゴンはなぜか、セツナのみに狙いを絞っている。無敵の盾に守られていようとも、ドラゴンの攻撃はほとんどすべて、セツナに向けられたものだった。
ドラゴンがセツナに固執しているのは、黒き矛による攻撃が、ドラゴンの目を、手を、額を切り裂いたからだろう。それ以外には考えようがない。ドラゴンは、無敵の盾の召喚者よりも、最強の矛の召喚者を抹殺すべきだと判断したのだ。
その判断に間違いはない。セツナさえ殺せば、ドラゴンの敵はいなくなる。クオンでは、ドラゴンを傷つけることは不可能に近い。無敵の盾を維持し、別の召喚武装を操ることができたとしても、カオスブリンガー以上の破壊力を得られるとは考えにくい。その上、互いにシールドオブメサイアを展開しているのだ。持久戦となれば、クオンに勝ち目はない。
まずはセツナとカオスブリンガーを倒そうというのは、わからないではなかった。もっとも、セツナを排除するためには、シールドオブメサイアの守護を突破しなければならず、そのためにはクオンの無力化が必要なのだが、クオン自身も盾の守護下にあるのだ。つまり、ドラゴンにはどうすることもできない状況が、昨日からずっと続いていた。
それもいまに終わる。クオンが守護を維持できなくなるのだ。ドラゴンはきっと、そのときを待っている。攻撃の手が弱まっているのは、そのせいかもしれない。
(でも、どうする? どうやって、防壁を突破する……?)
セツナは、ドラゴンの巨躯を睨みながら、思考を巡らせた。黒白の竜もまた、無敵の盾に守られている。同じだ。セツナも、長きに渡って手を出しあぐねていた。黒き矛による斬撃も刺突も、打撃さえも、まったく通用しなかった。ドラゴンの肉体にかすり傷ひとつつけられずにいたのだ。それでも諦めない。諦めてたまるかという想いと、早くなんとかしなければならないという焦燥の中で、目眩を覚えた。
ドラゴンと対峙して一日半が経過しようとしている。もちろん、常に戦い続けているわけではない。隙を見ては休み、糧食を口に運んだりもした。それでも、疲労は蓄積し、意識は鈍る。力が充溢しているとはいえ、疲労のすべてを誤魔化しきれるわけでもなかった。
(どうすればいい……どうすれば、シールドオブメサイアの防御を突破できるんだ?)
セツナは、遙か上空のドラゴンの目が嗤っているような気がしてならなかった。なにもできないセツナを嘲笑っているのではないか。ドラゴンは勝利を確信している。時間が勝利をもたらすということを理解している。だから、もはや手を出してこないのだ。無駄な攻撃を止め、時が経つのを待っている。勝利の時が来るのを待っている。
セツナは考える。シールドオブメサイアの能力とその特性について、知り得る限りの情報を頭の中に並べ立てる。シールドオブメサイアは無敵の盾といわれる。外的圧力を一切寄せ付けない、見えざる防壁を生み出す能力を持つ、とてつもなく強力な召喚武装だ。自分ひとりを護ることだけではなく、複数の対象を守護することも、何千の軍勢を護ることもできる。また、特定の範囲内に存在するすべてのものを護る、守護領域を構築することもできる。守りに関しては右に出るものがいないといわれるほどの召喚武装であり、ある意味ではカオスブリンガーと対極に位置しているといってもいいだろう。
魔人曰く、両極の力。
(防壁。防壁を生み出す。壁……?)
セツナは、自分の手を見下ろした。ドラゴンとの戦闘では手傷ひとつ負っていないものの、日々の鍛錬や戦闘でついた傷が無数にあった。注目するのはもちろんそこではない。ぼうっとなにか光の膜のようなものが自分の手や腕を覆っていることに気づく。いままで意識していなかったから気づかなかったのだが、おそらくシールドオブメサイアの守護防壁なのだろう。淡い光が全身を包み込み、外圧から守ってくれているのだ。
ドラゴンを見遣る。黒白の竜の巨躯もまた、薄っすらと光の鎧を纏っていた。光の膜。ドラゴンの能力が召喚武装の再現ならば、シールドオブメサイアの能力と同じ原理、同じ力の発現に違いない。あらゆる攻撃から身を守る防壁は、セツナと黒き矛にとって最大の障壁となっていた。
いままでどんな敵も貫き、破壊し、粉砕してきた黒き矛が、まったく通用しないのだ。わずかな傷さえつけることもできず、時間ばかりが経過していた。ガンディア軍本隊が龍府に到着するまではそれでよかった。ドラゴンを釘付けにしておくことが目的だったからだ。だが、本隊がクオンの守護領域から離脱した以上、時が過ぎるのを喜んではいられない。
なんとしてでも防壁を打開し、ドラゴンを倒さなければならない。でなければ、セツナたちに安息は訪れない。
(攻撃は効かない)
斬撃も、刺突も、炎も、ドラゴンの防壁によって無力化された。ドラゴンの攻撃もセツナたちには届かない。互いに決め手にかける戦いを一日以上続けている。焦れるのも当然だが、焦ったところで打開策が浮かぶはずもない。
(シールドオブメサイアは、いままで打ち破られたことがないんだったな)
クオンがいっていたいことを思い出す。シールドオブメサイアが無敵の盾として君臨し続けていられるのは、彼ら傭兵団が一度足りとも傷つけられたことがないからだ。どんな敵が相手であっても、彼の盾は破られなかったのだ。歴戦の猛者であれ、強力な武装召喚師であれ、凶暴な皇魔であれ、シールドオブメサイアの防壁を貫き、クオンたちに外傷を負わせることすらできなかった。だからこそ、シールドオブメサイアは無敵の盾であり、《白き盾》も無敵の傭兵団なのだ。一度でも傷を終えば、無敵などとは呼ばれなくなっていたかもしれない。
しかし、クオンは、シールドオブメサイアの能力を過信してはいない。防壁が破られるかもしれないという恐れと常に戦っているらしい。これだけの質量を誇るドラゴンの一撃すら無力化する盾の能力のどこに不安があるのか、セツナにはわからない。だが、そこに付け入る隙があるのではないか。どこか、無敵の盾の弱点があるのではないか。
(本当にあるのかよ、そんなもの)
セツナは、矛を両手で握り直すと、地面を蹴って飛んだ。とくに目的もない前方への跳躍。思った通り、ドラゴンが反応を示す。セツナを迎撃するために打ち下ろされた拳が、瞬時に頭上まで迫ってくる。空中。矛を巨拳に叩きつける。
守護壁に覆われたもの同士の攻撃がぶつかり合ったところで、衝撃さえ生まれない。純然たる力で押し合う格好になり、自然、セツナが負けた。腕力で巨大なドラゴンに敵うはずもなかったのだ。
が、セツナは別段気にすることもなく、地に叩きつけられるのに任せた。どうせ、ドラゴンもわかっている。盾を打ち破れないのだ。追撃は来ない。
そして、背中から地面に激突したところで、セツナが苦痛を感じることもない。痛みのない戦いが続いている。
(変な感じだな、やっぱ)
最初は面白くもあった。敵の攻撃を受け付けず、一方的に攻撃している感覚は、普通にはありえないものだ。黒き矛を持ってしても、無敵ではいられない。ふとした拍子に手傷を負うのがセツナの戦いだ。無様な戦い方だと自分でも思うのだが、いますぐどうにかできるものでもなかった。いずれは改善していくつもりだが、クオンの庇護下での戦いは、そういった決意を鈍らせてくるかのようだ。
しかしそれも、一日半も続ければ、飽きがきた。無敵の盾に守られながら、こちらの攻撃も通用しない戦いは正直いって退屈極まりないのだ。傷つきたいわけではない。怪我に喜びを見出すような趣味を持っているわけでもない。できれば、傷や痛みとは無縁の生活を送りたいと考えている方だ。
(それでも、これは違うかな)
セツナは、ふと、そんなことを思った。