第三百九十話 龍府を巡る攻防(二十)
(状況は……!)
ファリアは、戦場全体に注意を巡らせながら、馬を走らせていた。
征竜野は広い平地だ。龍府を中心とする楕円上の平地であり、その南側でガンディア軍とザルワーン軍の最終決戦が行われていた。正午過ぎに始まった戦いは、時間の経過とともに激化の一途を辿り、互いに戦力を削り合う状況が続いている。
開戦当初の兵力はガンディア側がおよそ七千、ザルワーン側が約二千だった。
ガンディアは龍府南門正面に中央部隊を配置し、これが約三千人からなる本隊である。左翼にルシオン、右翼にミオンという同盟国とガンディア軍の混成部隊が配置されていた。両翼の部隊は、ザルワーン軍が龍府での籠城を諦め、打って出てきた場合、ザルワーン軍の側面と背面を押さえる役割があった。その役割が果たされていれば、決戦はとっくに決着していたに違いない。
二千の敵を七千の味方で包囲し、覆滅する。包囲戦になれば、武装召喚師たちも猛威を振るっただろう。《白き盾》の召喚師たちも容赦なく敵兵を殺戮したはずだ。無論、ファリアも遠慮なく敵陣中央に雷撃を叩き込むつもりだった。
だが、そうはならなかった。
包囲のために動いた両翼の部隊が、少数の敵部隊によって移動を阻止されたのだ。いまになって考えれば、超人兵による部隊だったのだろうが。その結果、包囲の完成は遅れ、敵部隊の跳梁を許すことになった。包囲陣完成の目処は未だに立っていない有り様だ。
ガンディアの中央部隊が敵軍の前列部隊と交戦を開始したのは、両翼の部隊が動き出した頃だろうか。
オーロラストームの雷撃が交戦の合図となったのだが、彼女が意図したものではない。敵陣に切り込むルクス=ヴェインの姿が見えたので、その援護のつもりで撃ち込んだだけだった。そこから、ガンディア軍の攻勢が始まったが、もちろん、敵も黙ってはいない。中後列の部隊が弓射の応酬を繰り返す中で、最前列では血で血を洗うような激戦が行われた。手柄を求める傭兵や兵士たちが喚声とともに突撃し、返り討ちに遭ったり、敵陣を突破したりした。
そんな中、ガンディア軍を震撼させたのは、死んだはずの敵兵が息を吹き返し、襲い掛かってくるという現象であり、常人とは思えない力を発揮する兵士の存在であった。死者が息を吹き返し、戦列に加わるというおぞましい光景は、ガンディアの兵士たちの動揺を誘い、士気を著しく低下させるに至るのだが、それはなぜかザルワーン軍にも同様の影響を及ぼしていた。
死者蘇生について周知徹底していなかったからかもしれないが、だとすれば、ザルワーン軍の目的がわからなかった。死者蘇生によってガンディア軍の戦意を下げるだけならばまだしも、自軍の兵士たちからも戦う意欲を奪っては本末転倒ではないのか。
殺されたはずの兵士が痛みに苦しみながら敵を求める光景は、亡者が闊歩する地獄のようなものであり、敵も味方も嫌悪感を抱いたに違いなかった。それでも、両軍の兵士たちは戦いを放棄するわけにもいかない。敵に背を向ければ命を失うのは自分なのだ。だれだって死にたくはない。特にザルワーンの兵士たちはこう思っただろう。
死んで蘇り、亡者のようになりたくはない、と。だからだろうか。ザルワーン軍の兵士たちの動きが活発になり、一時的にガンディア側が押されるという事態になった。数では凌駕しているというのに、勢いで圧倒された。敗走する部隊が現れ始めた。それには、ザルワーン軍の超人たちの暗躍も大きい。
それらを超人兵と呼ぶようになったのは、だれだったのか。まず、最前線から敵陣深くに突っ込んでいった傭兵たちがその存在に気づいた。“剣鬼”ルクス=ヴェインと対等に近く戦える敵兵を複数確認した《蒼き風》の警告により、ガンディア軍に緊張が走ったのが、不死者の存在が両軍を動揺させた直後のことだ。武装召喚師もどきのルクスが苦戦するような敵兵が何人も存在するという情報は、士気低下の著しいガンディア軍の戦意を殊更に下げていくことになる。弱兵であることを自他ともに認めるガンディア兵にとって、頼りにしていた傭兵たちでさえ倒すのが困難な敵が無数に存在するということは、絶望に等しかったのかもしれない。
そういう状況下で、気炎を吐いていたのが《蒼き風》と《白き盾》だ。どちらも武装召喚師(ルクスは“もどき”に過ぎないが)を中心とする戦力であり、超人兵とも対等以上には戦えるということが大きかったのだろうし、傭兵として数多くの戦場を渡り歩いてきた彼らの精神は、不死者や超人兵程度では揺るぎようがなかったのかもしれない。
とはいえ、たったふたつの傭兵団がやる気を見せたところで、ガンディア兵が戦線の維持も困難なほどに押されていては、どうしようもない。《蒼き風》は敵陣深部から前線へと引き返し、《白き盾》は前線の左翼を援護することで、敵軍の勢いに対抗した。
ファリアは、開戦当初は敵軍最前列に攻撃していたが、両軍が激突し、歩兵たちの白兵戦が始まると、味方への誤射を考慮して敵陣後方への射撃に切り替えていた。上空から降り注ぐ雷撃がどれほどの敵兵を打ち据えたのかはわからない。
少なくとも、開戦以来何十人もの敵兵に痛撃を加えたことは間違いないし、何人かは死んだだろう。死んで、蘇ったものもいるかもしれない。超人兵も数人は殺せた。超人兵の存在を認識した後は、彼女はそれらの掃討に重点を置いた。常人には対処が難しくとも、武装召喚師ならば対抗できると考えてのことであり、大将軍命令でもあった。
オーロラストームを構え、感知範囲に常人とは比較にならない動体反応を発見次第、射撃する。大抵の場合、一撃必殺とはいかなかった。さすがに超人と定義するだけのことはあり、オーロラストームの射撃を難なく回避し、ファリアの眼前まで接近してきたものもいた。
が、ファリアが負傷したのは左肩に矢を受けた一度だけであり、それ以来、かすり傷ひとつつけられていない。左肩は止血したものの、動くたびに痛みを訴えてくるのが厄介だった。
それでも、彼女は馬を駆り、戦場を走り回った。
ファリアたち武装召喚師が超人兵の掃討に精を出していると、敵陣に動きがあった。敵軍中央の部隊が不完全だった包囲陣を突破し、ガンディア軍本隊の右側面へと至ったのだ。ザルワーン軍は、ガンディア軍本隊と戦うよりも、本陣に特攻することで決着をつけようとしたのだ。当然、ガンディア軍がそんな暴挙を許すはずはない。右翼部隊の一部や、中央部隊が本陣特攻を阻止するために動いたのだが、暴風がガンディアの兵士たちを空高く打ち上げた。
武装召喚師だ。
ザルワーン軍の武装召喚師といえば、ミリュウを筆頭とする魔龍窟の武装召喚師たちが思い浮かぶ。ファリアを追い詰めたクルード=ファブルネイアに、ルウファに重傷を負わせたザイン=ヴリディア、ロンギ川で中央軍と激戦を繰り広げたジナーヴィ=ライバーンとフェイ=ヴリディアについては情報でしか知らないが、どちらもミリュウたちに負けず劣らず凶悪な武装召喚師だったのだろう。その五人で打ち止めかと思われていたが、ミリュウはそうではないといっていた。
五人を育て上げた武装召喚師が、龍府に残っている、と。
オリアン=リバイエン。
ミリュウの実の父親であるという。
敵特攻部隊を援護する暴風の使い手こそ、オリアン=リバイエンに違いなかった。それ以外に考えようがない。ザルワーンが新たに武装召喚師を雇ったという情報もなければ、雇える状況ではなかったし、雇うにしても、そう都合よく武装召喚師が出現するわけもない。
また、ザルワーン国内には《大陸召喚師協会》の支部は作られておらず、《協会》とザルワーンが交渉を持った事実もなかった。もちろん、ミリュウの知らないところで育成されていたという可能性もないとは言い切れないのだが。
ファリアは即座にオリアンの元へ急行しようとしたものの、超人兵の存在がそれを許さなかった。
まず、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールが、本隊後方から中央へと前進したという事実があり、その動きに呼応するようにして、敵陣に潜んでいた超人兵の行動が活発化したのだ。
大将軍の前進によって生じた変化のひとつがそれであり、もうひとつは、本隊前衛の戦意高揚である。大将軍直々に檄を飛ばしたことにより、死者の再起以来、士気の低下も激しかった前衛部隊の精神的動揺が収まったようなのだ。
そして、本来の実力を発揮したのか、ザルワーン軍を押し始めた。総大将が目立つ位置にいるというだけで士気は斯くも上がるものかと感心する一方、大将軍の巨躯は敵兵にとっても格好の的となることに戦々恐々としないではなかった。実際、ガンディア軍の布陣を掻い潜り、接近した超人兵がアルガザードに襲いかかり、アルガザードみずからが撃退するという危うい場面があり、ファリアは大将軍の護衛をするべきだと判断した。
超人兵がどれだけいるのかはわからないが、複数の超人兵が同時に大将軍に襲いかかった場合、大将軍の兵だけでは守りきれないかもしれない。
幸い、右側面の武装召喚師には《蒼き風》が当たったようだった。ルクス=ヴェインならば、武装召喚師とも対等以上に戦える。彼は凄腕の剣士であるとともに、召喚武装の恩恵を受けた超人なのだ。
ファリアは、大将軍を視界に収めることのできる距離を保ちながら、広範囲に索敵を行い、怪しい動体反応があれば瞬時に雷撃を打ち込んでいた。
敵の的にならないよう、馬を走らせながらだ。
(本陣は……?)
後方を一瞥する。
遠方の平地に翻る獅子の軍旗は、レオンガンドがそこに健在だということを示しているかのようだ。その前方を護る王立親衛隊と、レマニフラの兵士たちも無事であり、敵特攻部隊が到達していないことを確認する。だが。
「そんな……!」
ファリアが愕然と叫んだのは、敵特攻部隊が本隊右側面を通過しただけでなく、追撃部隊を振り切り、本陣の防衛線に突っ込んでいったからだ。