第三百八十七話 龍府を巡る攻防(十七)
特攻部隊に対しては、ガナン=デックス副将に当たらせた。彼は勇猛な将だ。そして、有能な人物だ。死なせたくはない。だからこそ、彼には精兵を率いさせている。アルガザードがみずから育て上げた精鋭五十人を貸し与えたのだ。特攻部隊を止めるために精兵五十人は死ぬかもしれない。だが、ガナンは生き延びるだろう。そのための五十人だ。
「ガナンならばやり遂げる」
そうはいったものの、アルガザードは、みずからも兵を率いて敵特攻部隊に当たるべきではないかと一考してはいた。包囲陣を突破したことで、敵特攻部隊は勢いに乗っていた。その上、死兵と化している一団なのだ。自分も、向かうべきではないのか。
しかし、前線の戦況を垣間見たいまとなっては、大将軍の決心が揺らぐことはなかった。アルガザードたちの激励で勢いづいたガンディア軍ではあったが、敵の勢いが収まったわけではなかったのだ。むしろ、敵軍の動きが活発になっている。
「死者に超人か……」
絶命しても息を吹き返す敵兵以外にも、人智を超えた力を発揮する敵兵の存在が目撃されていた。武装召喚師が苦戦を強いられるような相手が、常人のはずもない。ガンディア軍はそれらを超人と定義した。
征竜野に跋扈する不死者と超人。
ザルワーンが外法に精通している事実は、こういうことでもよくわかるというものだ。死者を組成させることなど、普通できるものではない。人類未踏の境地であり、神の領域といってもいい。が、完全に蘇生するわけではないのは、報告からもわかっている。死者は、殺された状態のまま活動を再開するのであり、傷を癒やすことも、肉体を復元することもない。死に方によっては悲惨な状態で蘇生し、そのまま襲いかかってくるのだから、兵士たちは地獄に迷い込んだような感覚を抱いたとしても不思議ではない。
まさに地獄のような戦場だった。
そんな中でも、ガンディアの兵士たちは敵に向かっている。ガンディアは、長年、弱兵の誹りを受け続けてきた。実際、アルガザードもその評価は正しいと見ていたし、多くの軍人が実感するところではあっただろう。
そういう弱さを積極的に変えようとしなかったのは、ガンディア国内に蔓延していた厭戦気分がひとつの原因だと、アルガザードは考えている。稀代の英傑と謳われた先王シウスクラウドが病に倒れてからというもの、ガンディアは戦争には消極的になった。
外征は一切行わず、国土防衛に専念する。病床のシウスクラウドが復帰するまでは、それが最善だとだれもが信じていた。英雄たるシウスクラウドが病を克服し、再び陣頭に立つ日が来ることを待ち望んでいたのだ。
だが、シウスクラウドが病に打ち勝つことはなかった。ザルワーンの外法を克服する方法など、存在しなかったというべきか。
シウスクラウドが病を得て二十年。国土防衛に明け暮れる兵士たちの間に厭戦気分が募るのも無理はなかった。積極性が失われるのも必然ともいえたのだ。無論、将兵の中にも気骨のあるものは、そういう空気に抗い、自身を鍛え、部隊を鍛えたりもしたようだが、ガンディア軍全体の弱さを覆すことはできなかった。
一部の兵士たちが変わり始めたのは、バルサー要塞を奪還してからだ。バルサー平原で繰り広げれた戦いにおいて、セツナの戦いぶりに感化されたものたちが現れ、そういった連中が中心となって弱兵からの脱却を図ろうとしたという。すぐにログナー戦争があったが、弱兵はまだまだ多かった。戦後、ガンディア軍は大きく変わった。強兵で知られるログナー軍を飲み込んだことで、ガンディアの弱兵たちの中で刺激を受けるものが数多くいた。そして、ザルワーン戦争。ザルワーン各地の戦いを乗り越えてきた兵士たちは、戦前とは見違えるほどの意気を見せつけている。
それでも、若干、ザルワーン兵の動きのほうが良い。彼らはもはや死兵と化しているのではないか。事実、死者となっても動くような兵士もいるのだが。
「御首、頂戴!」
突如鼓膜を震わせた叫び声に目を向けると、敵兵がひとり、アルガザードの頭上から落下してくるところだった。手斧を振り被っており、落下の勢いで叩きつけてくるつもりだったのだろうが。
「ふん」
大将軍は、腰の剣を抜き放つとともに斧の一撃を掻い潜るようにして、両腕を切り落とした。手斧を握ったままの腕と、兵士の体が別々に落下するのを見届けるまでもない。地に落ちた兵士の首を、ジル=バラムがの馬上刀が切り落としていた。
「急襲して叫ぶ馬鹿がおるか」
アルガザードは、ぽつりとつぶやくと、副将を一瞥した。ジル=バラムの怜悧なまなざしが、周囲の兵士たちに緊張を走らせている。
「閣下の御身が危険に曝されたのだぞ。貴様らは一体なにをしていたのだ!」
ジルが一喝する傍らで、大将軍は、超人兵を放置すればいまのようなことが頻発するに違いないと確信した。不死者はまだいい。いまのところ、脅威にはなっていないからだ。しかし、人間とは思えないような運動量、戦闘力を持つ超人たちは、なんとしてでも始末しなければならなかった。でなければ、命がいくつあっても足りない。
「超人は武装召喚師たちに任せてありますが」
「それでいい。超人には超人をぶつける以外にはない」
大声を発してみずからの居場所を知らせてくれるような敵ばかりならば、アルガザードたちでも対処できる。が、現実はそうではない。混戦の様相を呈し始めた最前線では、超人兵による被害が拡大しているのだ。そんな中でも武装召喚師の活躍は目覚ましいものがあり、通常人では捉えるのも難しい超人兵の動きを読み、対等以上に渡り合っているようだった。
超人兵を制圧できれば、勝ったも同然といっていい。ザルワーン軍の兵士の全員が全員、超人ではないのだ。数に限りがあるということは、殺し尽くせるということだ。敵軍を殲滅する必要はないが、超人兵は絶滅させる必要がある。
全滅させなければ、こちらの被害は大きくなるばかりだ。
「殺しても生き返る……化け物がっ」
ウォルドの剛拳がうなると、盾兵が盾もろともに吹き飛んだ。かと思うと、盾兵の背後にいた槍兵が長槍を捨て、腰の剣を抜いてウォルドに飛びかかる。ウォルドは透かさず半歩踏み込み、息吹きとともに敵兵の腹に拳を埋め込んだ。鎧を突き破り、あまつさえ腹に穴を開ける一撃の凄まじさに周囲の敵兵が言葉を失った。
「はっはー! どんなもんだ!」
ウォルドがブラックファントムを纏う拳を高々と掲げ、勝ち誇るさまを横目に見ながら、彼女は、大きくため息をついた。
「雑兵よりも超人を狙ってください」
「わかっているとも、そんなことはな!」
ウォルドはこちらに視線を向けたまま、背後から迫ってきた敵兵の頭を裏拳で粉砕してみせた。にやりと笑う大男の様子に、マナはまたしても嘆息する。もちろん、そんなことばかりしているわけでもない。召喚武装を手にした彼女は、雑兵や不死者以外の敵の動きを探っていた。召喚武装を手にしていることによる超感覚で、超人的な速度で戦場を駆け巡る存在を索敵しているのだ。無論、敵が近づいてくれば相手にしないでもないが、彼女の目の前にはウォルドが立ち尽くしており、敵の攻撃は彼に集中した。
「だったら、敵陣深くに切り込んでいってくださっても、構いませんのよ?」
「はっはっはっ、俺がいなくなったら、だれが《白き盾》を護るんだ?」
ウォルドが両手を腰に当てて高らかに笑ったが、つぎの瞬間には彼も真顔になっていた。敵に向けた背中にいくつもの矢が殺到していたのだ。が、つぎの瞬間には、十数の矢は彼の立っていた地面に突き刺さっている。ウォルドの姿が一瞬にして消え去り、マナにも認識できなくなったのだ。消滅したわけではない。実体はどこかにあるのだ。
すべての対象の認識から消滅する――ブラックファントムの能力は、暗殺者向きだというイリスの評価は正しいのだろう。もっとも、通常の戦闘で使えない能力ではない。敵を認識できなくなるということは、それだけで恐怖だ。
実際、マナの前方の敵兵は、ウォルドの姿が忽然と消えたことに驚愕し、固まっていた。迂闊に近づけば、強烈な一撃を見舞われるかもしれないのだ。敵も慎重にならざるを得ないのだ。