第三百八十五話 龍府を巡る戦い(十五)
「そうでもないさ」
ルクス=ヴェインは、天竜童を身につけたジナーヴィを仕留めたというほどの腕前の剣士だ。一介の傭兵にしておくのが惜しい人材であり、ザルワーンにとっても喉から手が出るほど欲しい逸材だ。ガンディア軍の特記戦力のひとりといってもいい。
(そんな戦力をわたしがひとりで封殺するのだ。光栄というほかあるまい)
オリアンは、ルクスの瞬発力に注意しながら、左腕で虚空を薙いだ。左前方に風圧が発生し、十数人の敵兵が打ち上がる。落下の衝撃で何人かは戦闘不能になるだろう。
「雑兵を狩りながらいうことかよ」
「気に触ったのなら申し訳ないがね、こちらにも事情というものがあるのだよ」
彼はルクス=ヴェインの接近を右腕で制した。ルクス=ヴェインはジナーヴィを殺した男だ。天竜童の性能は身にしみて理解しているだろう。たとえ覚えていなくとも、オリアンが繰り出したこれまでの攻撃で認識したはずだ。
牽制に風弾を撃ち放つが、グレイブストーンの一閃が高圧の空気塊を両断した。しかしながら、“剣鬼”は複雑な表情を浮かべている。破壊したはずの天竜童と再戦することになったのが解せないのかもしれない。が、オリアンにはどうでもいいことだ。
とにかく、注目を集めなければならないのだ。
武装召喚師がここにいるとわかれば、ガンディア軍も彼を放置しておくことはできまい。被害の拡大を無視できるはずもないのだ。主力級をぶつけてくるだろう。ルクス=ヴェインひとり差し向けて終わりということは考えにくい。剣撃以外の能力を見せないグレイブストーンでは、大気を支配する天竜童の相手は務まらないのだ。
ルクス=ヴェインが、天竜童を纏うジナーヴィ=ライバーンを殺すことができたのは、彼が規格外の召喚武装に護られていたからだ。シールドオブメサイア。クオン=カミヤの召喚武装にして、《白き盾》の象徴であり、守護龍の攻撃すら防ぐ絶対無敵の盾。
(だが、そのシールドオブメサイアはここにはない)
ミレルバスは、ルクスの動きに注視しながらも、広範囲に渡る戦場の動きを見ていた。ミレルバス率いる敵本陣への特攻部隊は、ガンディア軍の本隊側面の突破に成功している。しかし、特攻部隊に追い縋ろうとする敵部隊もあった。青の軍服。ガンディア軍に取り込まれたログナー人の部隊であり、ザルワーン軍包囲陣の側面を担当していた部隊の一部だろう。ミレルバスたちは、ログナー人の猛追に対して部隊をふたつに分けたようだ。部隊後部を切り離すことで、追撃部隊の足止めとしたのだ。ミレルバス部隊残り二百人。本陣まではまだ遠い。なにより、敵本隊が本陣特攻を見逃すわけがない。
(君ひとり本陣に到達できれば、君の勝ちだ)
オリアンは、確信とともに右に飛んだ。斬撃が左頬を掠める。グレイブストーン。澄んだ湖面のように美しい刀身は、この世のものでは決してありえない輝きを放っていた。ルクス=ヴェインの代名詞ともいえる召喚武装の能力が不明なのは、彼が戦場でその能力を駆使したことがないからだ。《蒼き風》がこれまで渡り歩いてきた戦場の記録に残っていないということは、そういうことだろう。召喚武装の能力を使わずとも強いからなのか、それとも、能力の使い方を知らないのか。大方前者に違いないのだが、後者の可能性も大いにありえた。ルクス=ヴェインが生粋の武装召喚師ではないということは、よく知られた話だ。だからこそ、“剣鬼”と呼ばれる。武装召喚師ではなく、剣の鬼なのだ。召喚武装の性能に頼る戦い方をしていない以上、武装召喚師とはいえまい。もっとも、召喚武装の恩恵あってこその実力なのは疑いようもないが。
「こっちにだって都合があるんだ。とっとと死んでくれ」
「そういうわけにはいかんよ」
ルクス=ヴェインは、既にこの場を離れた特攻部隊の動きを気にしているようだった。つまり彼の五感は、オリアンと同程度か、それ以上に広がっていると見ていい。
五感の強化こそ、武装召喚師の強みだ。人間が人外の力を得るには、召喚武装を手にするか、オリアン謹製の英雄薬を口にするか、あるいは人体改造による異能の開花に命を賭けるかのいずれかしかない。この中でもっとも手っ取り早いのが英雄薬であろう。
しかし、英雄薬を作るには膨大な費用が必要だ。反動も大きい。人体改造による異能の開花は博打のようなものだ。どのような異能に目覚めるのかわからないのだ。しかも、目覚める可能性は限りなく低い。
オリアンが異能開花技術を封印したのも、それが原因だった。
そして、武装召喚術だが、武装召喚術を自在に行使するには相応の修練が必要であり、それも並大抵のことではないが、そこさえ突破できれば他のふたつよりも比較的安全な方法で人外に等しい力を得られるといってもいい。
その上、召喚武装そのものを扱うには、特別な資格はいらない。もちろん、召喚武装に受け入れられなければ、その能力を行使することは難しいが、恩恵を受けることは可能だ。簡単に超人的な力を得たいというのなら、他人が呼び出した召喚武装を借りるというのもひとつの方法だ。
たとえばオリアンが召喚武装を無数に召喚し、部下に使わせるということも不可能ではない。その場合、オリアンの精神的消耗が膨大なものとなり、あっという間に消耗し尽くしてしまうに違いなく、必ずしも現実的ではない。
だからこそ彼は英雄薬のような劇毒を用いざるを得なかった。
百人と一人の超人たち。
そのうち何人かは死んだ。
(いや、何十人……か)
英雄薬と蘇生薬は併用できない。無限に近く蘇る不死の超人は生み出せなかった。生み出せたとしても、用いなかったに違いないのだが。制御できない怪物を作り出すのは、愚者のすることだ。
(わたしも愚者よな)
両腕を振りかざして、自分の周囲に強烈な風圧を発生させる。遠方から飛来してきた矢のことごとくを巻き上げつつ、ルクスの接近を阻むと、彼は空気圧を足元に打ち付けて、自身の体を空中へと飛ばした。眼下、ルクス=ヴェインの眼光が凄まじかったが、彼は構わず飛んでいく。陽光に煌めく鎧の海へ、飛び込んでいく。
落下地点周辺の兵士たちが一斉に散開したことで、オリアンは目論見が外れる結果となったが、気にもせずに着地すると背後に向かって右腕を薙いだ。風圧で“剣鬼”の行動を制し、それによって周囲の雑兵の動きをも制圧する。ガンディアの弱兵など、“剣鬼”の助力がなければなにもできないということはわかりきっている。と、
「だらっしゃあああああああ!」
野太い雄叫びとともに左前方から飛び込んできた殺気の塊に対し、オリアンは左腕を掲げた。風の障壁を生み出そうとしたが、間に合わなかった。巨獣のような影が視界を覆ったかと思うと、意識が吹き飛ぶほどの衝撃を覚えた。激痛などという生易しいものではなかった。気が付くと、左腕の肘から先がなくなっていた。眼前には、戦鎚を振り抜いた男。獲物を前にした猛獣のように、目を光らせている。
「あの結婚野郎よりも弱えな、あんた」
巨大な戦鎚の一撃だ。まともに喰らえばただで済むはずもなく、当然のようにオリアンの左腕は吹き飛ばされた。オリアンは、自身の失態に内心嘲笑いながら、今度こそ風の防壁を纏い、二撃目は完全に防いだ。戦鎚の男が鼻白んだのが見えた。
オリアンが左腕の痛みに顔を歪めながら、それでも気を失わなかったのは、この程度の痛みで気絶するような軟な人間ではないからだ。
あの時代、武装召喚師になるための訓練は過酷であり、これくらいの痛みを耐え抜くのは当然だった。いまよりも荒く、激しい訓練が必要とされていた時代。武装召喚術の黎明期を生き抜いてきた武装召喚師にしてみれば、腕の一本くらい失ったところで、どうということはないのだ。
肘の辺りから止めどなく流れ落ちる血は、そんなオリアンの我慢強さを嘲笑うかのようだった。痛みを耐え抜いたところ、血が止まるわけではない。出血は、生命の危機に直結している。死の足音が聞こえるようだ。
(油断したわけではないのだがな)
不完全な天竜童を召喚したが故の失態といっていい。ほかの召喚武装ならばこういうことにはならなかっただろう。とはいえ、優良な召喚武装は守護龍の術式に組み込んでいた以上、ほかに選択肢などはなかったのだが。
(なに、まだ戦えるさ……)
せめて、ミレルバスが敵本陣に辿り着くのを見届けるまでは、この肉体を保たせなければならない。でなければ、オリアンがここにいる意味がない。
(君の最期を見届けよう。それが、それだけが、せめてもの……)
「弱いのは不服かね。それは済まないことをしたな」
オリアンは左腕に風を巻きつけることで強引に止血すると、全周囲の敵がほとんど一斉に動き出すのを肌で感じた。オリアンを囲んでいた盾兵が接近を試み、その背後の槍兵が切っ先を揃えて後に続き、さらにその後方にも動きがあった。
ガンディア軍の戦力の一部が、オリアンに集中しつつあるのだ。