第三百八十四話 龍府を巡る攻防(十四)
(百人の超人に五百人の不死兵。わたしに用意できたのはこれだけだ)
オリアン=リバイエンは、戦場に渦巻く熱狂に目を細めていた。
征竜野の戦場には敵も味方も入り乱れ、怒号や悲鳴が飛び交っている。風には血や汗の匂いが混じり、金属同士のぶつかり合う音や、召喚武装という兵器の発生させる轟音が大地を揺るがすかのようだった。
戦端が開いてまだ間もないというのにもかかわらず、ザルワーンもガンディアも、既に陣形が崩壊するという憂き目に遭っていた。それは、ザルワーンにとっては望むところであり、ガンディアにとっては予期せぬ事態だろう。
龍府を進発したザルワーン軍を、三つの部隊で素早く包囲し、そのまま覆滅しようというのがガンディア軍の魂胆だったのは、誰の目にも明らかだ。両翼の部隊の動きを見ていればわかる。歩兵部隊でザルワーン軍の側面を抑え、騎馬部隊で後方を封じ込める。完全な包囲陣形。ガンディアの思惑通りに進めば、ザルワーン軍は手も足も出せないまま殲滅されたに違いない。
だが、包囲は未遂で終わっている。
ガンディア軍両翼の騎馬部隊の動きを、こちらの超人集団が制したのだ。オリアン印の英雄薬を服薬した人間が相当数いてくれたおかげだ。もちろん、用意した百個の薬がすべて服用されているとは考えていない。オリアンの研究に付き合う必要はないと考えたものもいるだろうし、直前に恐ろしくなったものもいるだろう。それは問題ではない。だれひとり服用しなかったとしても、彼が打開したまでのことだ。
また、不死者の存在が、敵陣に動揺を走らせている。死者が突如動き出すのだ。いくら戦場には狂気が蔓延しているとはいえ、驚かないはずがなかった。とはいえ、敵だ。死者が再び動き出しても、攻撃を躊躇うことはないだろうが、隙を生むことはできる。その隙を見逃さずに猛攻を仕掛けることで、敵の損害は拡大しうるのだ。
味方の中にも混乱をきたしたものも少なからずいるようだが、それは仕方のないことだ。全軍に周知徹底させるわけにもいかなかった。蘇生薬の存在を知られるわけにはいかないからということもあるが、なにぶん、未完成でもあった。クルード=ファブルネイアという成功体がいなければ、使用することはなかっただろう。
彼が秘密裏に蘇生薬を投薬したのは、龍眼軍の兵士五百人。死んでも生き返るのだ。兵力は数倍に膨れ上がる。もっとも、蘇生したばかりの死者の動作は緩慢であり、戦力として期待はできない。肉壁として利用する以外には使い道はなかったが、この兵力差では十分に役立ってくれている。
死者の再動による動揺と、超人たちの活躍がガンディア軍の行動を鈍らせた。そのわずかな隙を見逃さず、ミレルバスらは敵中央部隊の側面に抜けたようだった。そのまま敵本陣に突き進むことさえできれば、ミレルバスの目的は達成されるだろう。無論、敵中央部隊がむざむざと見逃すはずもなく、ミレルバス部隊との間で熾烈な戦闘が始まった。
(たった五百の蘇生薬と、たった百の英雄薬しか、用意できなかったのだ。それがオリアン=リバイエンの限界だと嘲笑ってくれて構わないさ)
オリアンは、自嘲気味に笑うと、大地を蹴った。体が軽い。漲る力が彼の侵攻を手助けする。侵攻。そう、これは侵攻なのだ。獅子の軍勢への侵攻。空中に飛び上がった彼は、ミレルバスの部隊とガンディア軍中央部隊が繰り広げる戦いを注視した。敵の数のほうが遥かに多い。だが、中途半端な包囲陣形のせいでその数を頼みにミレルバスたちを圧倒することもできない。武装召喚師たちは超人や不死者に気を取られている。
不意に視界が揺れた。彼は即座に飛行を諦めると、ミレルバス部隊の右側面に向かって滑空した。急速に近づく地面。敵兵やザルワーン兵が驚きに満ちた目をこちらに向ける。着地の衝撃が足を伝うが、彼は気にも留めなかった。瞬時に敵陣に向かって右腕を振り上げる。一瞬にして圧縮された空気の刃が、目の前の敵兵を五人ほど切り裂いた。血しぶきが上がる。威力が想定よりも低いことに、彼は表情を歪めた。
(やはり制御が効かんな)
大気を操り、空を飛ぶ。また、空気を支配し、攻撃する。召喚武装・天竜童の能力を持ってすればたやすいことなのだが、ロンギ川会戦での損傷が尾を引いているのだ。鎧に刻まれた傷は修復されていたのだが、背面の翼状突起が復元できていなかったのだ。
召喚武装は生物である。傷を負えば、本来の能力のすべてを引き出すことはできなくなり、完全に破壊されれば死ぬ。死ねば、二度と召喚に応じることはないし、送還することもできなくなる。この世界で風化を待つだけの存在と成り果てるのだ。
では、死に至らない程度の損傷ならば、どうか。
元の世界に戻れば、召喚武装は自己修復を始めるという。天竜童のように修復の最中であっても召喚に応じてくれるものの、その性能は完全な状態に比べようもないほどに落ちている。こればかりはオリアンでもどうしようもないことだし、彼もそれがわかった上で召喚したのだ。
彼が組み上げた召喚術式の内、火竜娘、地竜父、魔竜公、光竜僧、幻竜卿の五つは、守護龍との関係上、召喚することはできない。竜人の性能は頼りなく、双竜人は戦闘向きではない。ならば、不完全であっても、広範囲の敵を攻撃できる天竜童を召喚するのが一番だろう。
眼前、肉塊とかしたガンディア兵の後方から、盾兵が肉薄してくる。盾兵の後ろには長槍兵。そして、数多の矢が降ってくるだろうことは想定済みだった。叫ぶ。
「征け、ミレルバス=ライバーン! そして、君の目的を果たせ!」
オリアンは、背後の兵士たちがざわつくのを肌で感じ取りながら、左腕も振り上げた。突風のような空気の刃が、接近中の盾兵を後ろの兵士たちごと吹き飛ばす。致命傷にはならない。盾を貫通できなかったのだ。あまりの弱さに、彼は愕然とした。
(ここまで弱体化しているとはな)
彼は、天竜童を愛用していた男のことを思い出して、苦笑した。
ジナーヴィ=ライバーン。いま、彼の後方で部隊を率いる国主の息子であり、ミレルバスが救えなかったひとりだ。ジナーヴィは、実の父であるミレルバスへの憎悪によって強くなった。武装召喚術を貪欲に学び、戦闘技術を吸収していった。彼は魔竜の一匹となって戦場に躍り出たものの、あえなく死んだ。
ジナーヴィだけではない。
魔龍窟の武装召喚師たちは、ほとんどが死んでしまった。生き残ったのは、オリアンの娘ミリュウと、そして蘇生薬の実験を行っていたクルードだけだ。
(わたしの教え方が悪かった、ということかな)
おそらくはそういうことなのだろう。
彼の師は、オリアン=リバイエンという当代最高峰の武装召喚師を作り上げたが、彼自身は、並みの武装召喚師を量産するに留まった。いや、アズマリアがこの世に武装召喚術を広めたことを考えれば、比較するのもおこがましいことだ。張り合うこと自体、間違っている。
(だが師よ。わたしはあなたを越えていくのだ)
後方を一瞥する。
ミレルバス率いる特攻部隊はもはや彼の背後にはいなかった。敵中央部隊の側面を通過するための進撃を再開している。そこへ数多の矢が向かっていくのを見て、オリアンは透かさず左手を翳した。天竜童の力を手の先へと走らせる。
分厚い大気の壁が生まれ、矢を弾き返した。彼が見届ける暇はない。殺気が右前方から突っ込んできていた。視線を前方に戻しながら右手を掲げ、殺気の方向に空気を圧縮して撃ち出す。空気弾は、しかし、斬撃によって斬り裂かれ、彼は青い剣が迫ってくるのを目撃した。
「武装召喚師は叩いて潰す!」
「威勢のいいことだ」
ガンディア兵を押し退けて飛びかかってきた男の剣を後退してかわすと、左手を振り下ろす。大気が地面に激突し、土砂が舞い上がった。敵の視界を奪いながらも、彼の五感は敵の動きを正確に捉えている。そしてそれは、青い剣の使い手も同じ。
「召喚武装か」
「《蒼き風》の突撃隊長とは俺のことさ!」
土煙の中を突破してきた男が、湖面のように青く美しい剣を突き出してくるが、オリアンは見切っている。左に流れるように体を捌いてかわし、距離を空ける。銀髪の青年剣士。《蒼き風》の突撃隊長といえば、ひとりしか思い当たらない。
「ルクス=ヴェインか。“剣鬼”に狙われるのは光栄だよ」
「思ってもいないことをいうのは感心しないな!」
ルクスの猛烈な斬撃をなんとか避けながら、彼はにやりとした。