第三百八十二話 龍府を巡る攻防(十二)
「なんなのよ、いったい……!」
ファリアは、馬上、オーロラストームを構えながら、戦場を包む異様な気配に慄いていた。召喚武装の五感強化がもたらす数多の情報は、戦慄せざるを得ない代物だったのだ。
死んだはずの、ガンディア軍によって殺されたはずのザルワーン兵がつぎつぎと起き上がり、ガンディア兵に襲いかかっているのだ。死者が蘇っているのだ。信じられないことだが、目の前で起きている現実を否定することはなにものにもできない。
起き上がった死者の動作は緩慢で、ガンディア側の被害は決して多いわけではない。しかし、死者が蘇り、襲い掛かってくるという光景は、心理的悪影響が懸念された。事実、狂乱した兵士も見受けられ、そういった兵士を抑えようとした兵士が敵によって殺されたりもした。
まるで悪夢のような光景だった。
それでも、彼女は弓を構え、雷光の矢を放たなければならない。敵味方が入り乱れる前線ではなく、敵陣深くに落ちるよう、曲射する。狙いを定められないのが難点だが、満ち満ちた敵兵に当たらないこともなかった。その上、着弾地点周辺に味方がいないのなら威力を絞る必要もない。とはいえ、目標地点に雷撃を投下するには精度も高めなければならず、最大威力の雷撃を放つことはできなかった。それでも、戦果は上々だ。少なくとも、一部隊以上の成果は上げているだろう。
だが、問題は、死者が動き出すということだけではなかった。それだけでも大問題であり、兵士たちには心理的痛撃となっているのが見て取れる。殺したはずの相手が平然と起き上がれば、だれだって取り乱すものだ。戦場の狂熱に意識を支配されているのならばまだしも、戦いが始まったばかりで冷静さを失いきれていないものも多いのだ。混乱が波及し、ガンディア軍側の被害が拡大しているのがファリアにはわかった。
ファリアは、いま中央部隊の中列辺りでひとり弓を構えている。もっとも、弓というのは便宜上の呼び方であり、オーロラストームは翼を広げた怪鳥とでも形容すべき形状をした兵器だ。召喚武装の多くは通常兵器とは趣を異にする形状をしているものだが、中でも異彩を放つのがオーロラストームだった。ここまで生物染みた形状の召喚武装は中々見受けられないだろう。
ともかく、開戦当初最前列付近にいたファリアはオーロラストームを構え、敵陣に向かって雷撃を撃ち込んでは軍馬を移動させていた。敵弓兵の射程範囲に退き、一方的に攻撃を加えるのだ。
通常弓の射程を越える長射程を誇るのがオーロラストームだ。一方的に狙撃するだけならばなんの問題もない。しかし、自軍と敵軍が入り乱れれば、オーロラストームのような高威力の召喚武装は使いにくくなる。
ドラゴンに大打撃を叩き込んだというマナ=エリクシアが大人しいのは、彼女の召喚武装では味方に被害が及ぶこと間違いないからだ。スターダストの能力は、いうなればオーロラストームよりも広範囲の爆撃であり、乱戦時に用いれば味方を巻き込みかねない。クオンのシールドオブメサイアがあれば、敵だけを爆砕するという凶悪極まりない武器として振り回したのだろうが。
団長クオン=カミヤのいない《白き盾》は大人しいものだ。中央部隊の最前列付近に固まり、ザルワーン軍の先陣と戦闘を繰り広げている。無論、ふたりの武装召喚師の攻撃力は凄まじいものがあり、また、イリスという女剣士も相当な腕だ。さすがに戦場を渡り歩いてきただけのことはある。団長が不在であっても相応の働きを見せている。
(《獅子の尾》は隊長と副長が不在なんだけどね)
ファリアは、オーロラストームに発電を促しながら、胸中でつぶやいた。ルウファはいまもバハンダールで療養中であり、セツナはヴリディアでドラゴンと対峙している。たった三人の武装召喚師からなる《獅子の尾》隊からは、ファリアだけがこの最終決戦に参戦していた。
ルウファが奇跡的な回復をしてここまで飛んでくるなんてことはありえないし、セツナがドラゴンを撃破して颯爽と現れるなどということを期待してもいけない。ファリアが結果を出さなくてはならない。でなければ、これまでのルウファやセツナたちの頑張りを無駄にしてしまう気がした。
だからこそ、彼女はオーロラストームを天に向け、雷光の矢を放つのだ。雷の帯が放物線を描いて敵陣へと降り注ぐ。着弾と爆発。悲鳴は聞こえなかったが、直撃したのは間違いない。彼女の目は、敵弓兵が雷撃に打たれ、吹き飛んでいったのを見ていた。そして、その左右の弓兵がこちらを認識し、弓に矢を番えるのを目撃する。
(えっ!?)
オーロラストームの雷撃が降り注いだのは敵陣後方であり、ファリアがいるのは自陣中列である。普通、どれだけ目が良くても視認できる距離ではなかった。なにより、入り乱れる敵味方が視界を塞いでいるはずだ。ファリアが馬上にいるとはいえ、超人的な感覚を持ち合わせていなければ、認識することなど不可能だ。
(武装召喚師……なわけないか)
ファリアのように召喚武装によって五感を強化されているという可能性は薄い。ふたりの弓兵の武装は、何の変哲もない鎧兜と長弓であり、召喚武装を身につけているようには見えない。もちろん、鎧の下に着込んでいるのかもしれないし、装身具のような召喚武装という可能性もあるにはある。
だが、兵士たちの行動からは召喚武装の使い手らしさは見受けられなかった。召喚武装の使い手ならば、その能力を駆使しようとするはずだ。ファリアを目標に定めたふたりの弓兵は、ただ番えた屋を引き絞り、解き放とうとしているだけだった。
ファリアは手綱を捌いて馬を走らせながらも弓兵への注意は怠らない。矢が放たれる。二本の矢が大気を引き裂く音が聞こえた。一本はファリアの右頬を掠め、もう一本は馬の耳を貫いたようだった。軍馬が嘶き、猛烈に走り出す。
ファリアは頬の痛みも忘れ、馬をなだめようとしたが瞬時に諦めた。猛然と突っ走る軍馬の上でオーロラストームを掲げる。当然、狙いなど定まらない。だが、威力を高めれば同じことだ。正確に目標を狙い撃つのではなく、適当に射って複数人を巻き込めばいい。超人的な視力、膂力の持ち主はふたり。彼らは既に第二射の態勢に入っている。ファリアのオーロラストームも発電が完了していた。放つ。怪鳥がうなり、雷光の帯が敵陣後方へと伸びていく。ほぼ同時に放たれた二本の矢と交錯したかに見えたが、雷光に焼かれたのは一本だけだった。残る一本は、ファリアの左肩に刺さっている。
(しくじった……!)
彼女は内心舌打ちしながら、雷撃がふたりの弓兵のうち、ひとりを吹き飛ばしたのを見届けた。
もうひとりは、ファリアの雷撃を恐れたのか、あっという間にその場を離れていった。左肩の激痛のせいで、その弓兵を追撃することもできないことを悔やむ。超人的な弓兵をひとり取り逃したのだ。味方に被害が出るだろう。
ファリアはなんとか軍馬を落ち着かせると、左肩を見た。矢が、肩当てを貫いている。一見して普通の矢だ。少なくとも特別製には見えない。召喚武装ではない。
(特別なのは、あの弓兵の腕ね)
敵味方の頭上を飛び越える長距離射撃であるにもかかわらず、頑強な肩当てを貫き、肩に突き刺さったのだ。常人の力ではない。バハンダールの剛弓使いほどとはいえないが、それに近い膂力の持ち主に違いないだろう。
そんな兵士がふたりもいたということに、彼女は、気を引き締め直した。わずかでも気を抜けば、ガンディア軍が敗れ去る可能性を引き上げるということになりかねない。
(状況は……)
ファリアは、改めて戦場を確認して、愕然とした。
ガンディア軍によるザルワーン包囲陣は未だ完成しておらず、むしろ崩壊の憂き目を見ていたのだ。