武装召喚師――黒き矛の異世界無双――（改題）

第一部 黒き矛

第三十七話 残り火も消えて

　ガンディオン。

　ガンディア王国最大の都市であり、王の住む都である。

　超然と聳える獅子王宮を中心として築き上げられた大都市は、同心円を描く城壁によって、三つの区画に分かたれていることで知られている。

　ひとつは、単純に《王宮》と呼ばれる区画である。獰猛な獣のような荒々しさと硝子細工のような繊細さを併せ持つという白亜の宮殿と、その周囲を覆う《王家の森》を含めて、そう呼ばれているらしい。そこには王家とそれに連なるもの――つまりは王侯貴族のみが生活することを許されており、森の外周に聳え立つ堅固な城壁と厳重な警備は、ねずみ一匹の侵入すら見逃さないとされている。

　もっとも、《王家の森》にはさまざまな動植物が生息しているため、《王宮》にねずみ一匹くらい増えようがなにも変わりはしないだろうとも言われているが。

　つぎに、《王宮》の外周を囲う城壁の向こう側にあるのは、《群臣街》と一般に呼ばれる区画である。将軍や大臣、騎士や兵士、《王宮》の厨房を預かる料理人などなど、王家に仕える人々が住居を構える区画だ。高官ほど《王宮》に近い敷地を与えられるため、住所である程度の地位がわかってしまうという。

　もっとも、地位が高いからといって豪奢な屋敷を構えるものはなぜか少なく、むしろ奇異な家を建ててはそれを自慢しあうというのが一部高官たちの間で流行っていたらしい。そのせいか、《群臣街》の《王宮》側には奇抜な屋敷が乱立しており、一種の観光名所として知られているほどだった。

　そのつぎ、《群臣街》の周縁を走る城壁の反対側には、それこそ、ガンディア最大の都市の面目躍如たる活気に満ちた町並みであり、二十万とも言われる人口の大半が暮らしているといっても過言ではない都市の姿であった。

　その区画は、単に《市街》と呼ばれている。ガンディオン市民の暮らす街、である。広すぎる区画は、さらに八つに区分けされており、それぞれガンディア王国の黎明期に活躍した八騎士の名を付けられている。クレード、ベルム、ワンルウ、ノア、マルス、ジーグ、ミレイナ、イルファリス――偉大なる騎士の名を冠した八つの地区は、それら黎明の騎士の石像を地区の中心に抱いているのだとか。

　ともかくも想像を遥かに凌駕する大都市であった。

　その大都市を、もの凄まじいまでの活気と熱気が包み込んでいた。

（お祭り騒ぎだな……）

　セツナは、なにやら楽しそうに通りを行き交う人々を遠目に見遣っていた。中世ヨーロッパ的といっていいのか、どうか。舗装された道路。立ち並ぶ無数の家屋、商店。雑貨屋もあれば、衣類を扱う店もある。当然のように書店もあり、武器や防具を商う店も見受けられた。

　それは、マルダールでも見たような光景かもしれない。しかし、印象がまるで異なるのは、何故だろう。

（ひとが多いからかな？）

　それとも、セツナの心理状態が良いからかもしれない。マルダールでは、戦前ということもあり、浮き足立っていたのだ。落ち着いて街を観察している場合ではなかった。

　手にした地図に視線を落とす。ファリアから与えられたものだ。地図さえあれば迷子にはならないだろう、というのが、彼女の言葉だったが。

（うーむ……）

　セツナは、地図とにらみ合ったまま、小さくうめいた。紙面には、三重の同心円が描かれており、その中心が王都の真ん中であり、獅子王宮だということはセツナにも理解できた。その《王宮》から放射線状に伸びたいくつもの大通りが《群臣街》を抜けて《市街》に至ると、無数に枝分かれした。無数の路が幾重にも交錯し、地図の上に複雑怪奇な迷宮を誕生させていた。

　まったく、わけがわからない。

　宿の場所だけは把握している。それは、ファリアが宿から出発するときに地図に印を入れてくれたからに他ならない。

「どうしたの？」

「い、いや、別に……」

　セツナは、不思議そうにこちらの顔を覗きこんできたファリアに向かって曖昧な笑みを返すと、透かさず地図を畳んでズボンのポケットに入れた。街を把握するために地図と睨んでいるうちに混乱しかけたなど、そんな恥ずかしいこと、言えるはずもなかった。

「そう。それならいいけど。でもやっぱり、いくら先生が大丈夫だっていっても、いまはまだ安静にしておくほうがいいと思うわ」

　ファリアの心配も、もっともだとは思うのだ。しかし、セツナは、彼女のエメラルドグリーンの瞳をレンズ越しに見つめながら、別のことを言った。

「あの先生、この街じゃあ名の知れたひとなんだろ？　だったらいいじゃん。お墨付きだぜ？」

　それは今朝方、ファリアが連れてきた医者の話である。朴訥として高潔そうな老人だった。その手際も素人から見ても素晴らしいものがあった。なにひとつ無駄がなかったのだ。診察はすぐに終わり、肉体的には問題がないと判断された。その折に外出の許可も得ていた。

　その診察結果を聞いてなにより安堵したのは、セツナ自身だったということは言うまでもない。目覚めた当初から体調に異変は感じなかったものの、多少の不安はあったのだ。それはそうだろう。あれだけ戦ったのだ。体が変調をきたさないほうがおかしいといえる。が、どうやらそれは、セツナが寝ている間に起き、そして目覚める頃には静まっていたらしい。セツナの回復が早いのか、症状が軽かったのか。

「そうは言っても、ずっと寝てたのよ？　君」

「だから大丈夫なんだろ？　そんだけ寝たから、体力も回復したんだよ」

「そうかしら。とてもそうは思えないわ」

　ファリアの心配そうなまなざしをいつまでも見つめていられるほど、自分の体調に自信があるわけもなく、セツナは、天を仰いだ。突き抜けるような蒼さは、見ているものの意識を吸い上げていくようですらある。

　茫然と、つぶやく。

「なんでそんなに心配するかな～……」

　セツナがふと漏らした言葉は、かねてからの疑問でもあった。ファリアには役職上の義務や使命感があるのだろう。しかしそれにしても、ここまで親身になってくれる必然はないはずなのだ。正体もわからない武装召喚師如きに、これほどまでに労力を払う必要はない。

　ありえないことだが――セツナが逆の立場ならば、きっと冷ややかに対応するはずだ。

　だが、セツナがファリアの反応が遅いことに気づいて目を向けると、彼女は、きょとんとしていた。そして、当然のように言ってきたのだ。

「わたしが心配しなきゃ、だれが君を心配するのよ？」

「――！？」

　セツナは、絶句した。

　それは確かにその通りだった。真理であるとさえ想えた。それ以外に最適な答えなど見つからないくらいに完全なもの。

　寄る辺さえ存在しないこの世界で、彼女以外のだれが、セツナという矮小な存在を心配してくれるというのだろう。だれが、ここまで親切にしてくれるというのだろう。寝る間も惜しんで付きっ切りで看病してくれるというのだろう。

　ファリア以外のだれが。

（だれが……！）

　セツナは、叫びだしたいくらいだった。この世で、これほどの感動を覚えたことがあっただろうか。生まれてこの方、これ以上の喜びを覚えたことがあっただろうか。これほどまでにだれかに感謝したことはあっただろうか。

　それほどまでの衝撃と興奮が、セツナの全身を駆け巡り、脳細胞を震わせ、心を揺り動かしていた。

　戦場で聞いたいくつもの声が、耳朶にこびりついた数多の叫びが、脳裏に刻まれた無数の言霊が、あざやかなまでに消えていく。肉体から遊離し、風に流されて消えていく。

　悪魔、死神、悪鬼、化け物――幾多の悪意や敵意を孕んだ言葉が、セツナの意識の外へと流出していく。

（なんだよ……これ……！）

　セツナは、突如として視界が揺れたことに驚いて、ファリアから顔を背けようとした。しかし、体は言うことを聞かなかった。涙が流れた。

「どうしたのセツナ？」

　ファリアが驚くのは理解できたが、セツナにはどうすることもできなかった。涙は止まらない。

　そして、脳裏を席巻するのは戦場の景色。

　何千という敵兵の眼前で、矛を振るう。漆黒にして異形の矛は、紅蓮の猛火を解き放つ。目の前に地獄が生まれた。何百という人間の命が、業火の中で燃え尽きた。立った一振り。そこに迷いも躊躇いもなければ、思想も主張もない。ただ、武器を召喚し、意志の命ずるままに振るっただけだ。そこに正義も邪悪もない。あるのは強きものは生き、弱きものは死ぬという絶対的な摂理のみだった。そう、彼らは弱いから死んだ。みずからが弱者であるという事実に思い至ることさえなく、炎と消えた。

　覚悟はしていただろう。戦争に出るとは、そういうことであるはずだ。命を賭しているのだ。眼前の死を恐れ、それでも前へ進んでいくために、武器を手に取ったはずなのだ。でなければ、戦場に立つべきではない。

　炎が消え去れば、残るのは焼け野原であり、地獄の如き光景だった。死屍累々。それらの中で、どれほどのものが、みずからの死を理解していたのか。殺意も敵意もなく、見境さえもない猛火に抱かれて、どれだけの兵士が、己の死を見つめることができたのか。

　だれひとりとして、黒き矛を脅威と見ていなかった。召喚武装だと認識してはいたものの、多勢に無勢――数を頼みに、油断していたのかもしれない。

　そして、その油断が間違いだったと思い知らされることもなく、彼らは死んだ。造作もなく。虫けらのように。

　戦場は激変した。自軍の優勢。勝利が近づく。敵の動きに変化があった。王の元へ、飛ぶ。敵との遭遇。倒し損ねる。敵軍の撤退。殿として残った兵士たちこそ、強敵。死兵と化したものたちに油断も余裕もあるはずがない。だれもが、死を覚悟していた。どうせ死ぬならば華々しく、あるいは潔く、美しく。

　死を抱いたものたちの攻勢は凄まじい。容赦なく殺到する刃の群れと戯れる。一閃、また一閃と矛を振るうたびに命が散った。そして、命が真紅の花となって咲くたびに、矛先は鋭く冴え渡った。断ち切り、突き通し、叩き潰し、斬り刻む。矛は踊る。さながら死の舞踏。あるいは殺戮演舞。一撃一打が鎧を砕き、兜を割った。肉を引き裂き、骨を砕いた。血が雨のように降り注ぎ、真っ赤な花が咲き乱れた。

　それでも、息ひとつ乱れない。

　もはや敵は残りわずか。だからといって遊びはしない。ただ、あるがままに矛を振るう――。

「うああああああああああああああああああ！」

　セツナは、すべての想いを吐き出すように絶叫した。脳裏を目まぐるしく旋回するのは戦場の光景。戦争の景色。戦いの色彩。

　赤く、紅く、朱（あか）く、緋（あか）く。

　紅蓮と燃え、鮮血と舞う。

　無数の命。

　咲いては散った。

「セツナ……？」

　セツナは、いつの間にかファリアの肩を抱きしめていたことに気づいたが、もはやどうしようもなかった。涙がとめどなく流れていた。

　生きている。

　その事実が嬉しかった。