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第三百七十六話 龍府を巡る攻防(六)

征竜野せいりゅうやに展開したガンディア軍は、部隊を大きく三つに分けております。正面に三千の部隊が、右翼、左翼にそれぞれ二千程度の部隊が配置されております。規模から見て、南門正面に展開するのが本隊と見て間違いないでしょう」

 伝令兵がもたらした情報に、ミレルバス=ライバーンは顔を上げた。

 龍府南門前に設けられたザルワーン軍本陣には、国主である彼と龍眼軍を統率する神将セロス=オード、それにセロスの副官と供回りが開戦のときを待っていた。

 セロスが口を開くのが見えた。

「本陣は?」

「本隊後方の集団が恐らく本陣かと。ガンディアの軍旗が見えます。そして、こちらから見て右翼にルシオンの軍旗が、左翼にミオンの軍旗が翻っております」

「そうか。ならば、正面の部隊を突破しなければならんな」

「ですが、こちらから打って出ればガンディアの思う壺です。正面の部隊は囮。我らが本隊に食いつけば、左翼と右翼が我らを挟撃、あるいは包囲覆滅しようとするのでは……」

「……」

 セロスが黙したのは、伝令兵の発言したことくらいわかりきっていたからに違いない。わかっていてもなお、進まなければならない。敵の思惑を力で打ち破るくらいのことをしなければ、こちらに勝ち目はない。

 伝令の青年は、セロスの反応に顔を青ざめさせた。

「失礼。出すぎた真似を……」

「もうよい。別命あるまで待機せよ」

「は」

 伝令兵が去っていく様を見遣りながら、ミレルバスは、彼の将来を思った。神将、国主を前にして物怖じせず自分の考えを発言できる度胸は中々のものだ。報告も明快だ。セロスが神将付きの伝令兵として重用しているのもわからないではなかった。セロスは人材を育て上げるのが好きな人物であり、伝令の青年も、セロスの薫陶を受けて成長していくに違いない。

 ザルワーンがこの決戦に勝利し、未来を手にすることができれば。

 いや、必ずしもザルワーンが勝利する必要はない。セロスと彼が生き延びればいい。ザルワーンが敗れ、この国が小国家群から消え去ったとしても、生き残ったひとびとまで消滅するわけではない。

 ガンディアのこれまでの戦いを見ていればわかることだ。ガンディアは、ザルワーンという国を滅ぼす気ではいるが、ザルワーン人を根絶やしにするつもりなどはないのだ。

 憎悪が発端ではない。

 戦争の発端がねじれた感情の激発でなければ、国民も軍人も生かされ、取り込まれるだろう。ガンディアとて、この広大なザルワーンの大地をガンディアとログナーの人間だけで管理できるなどとは思ってもいまい。ガンディアは常に人材を求めている。かつて、ナーレス=ラグナホルンを筆頭に多くの人材が流出したことが、いまになって響いてきているのだ。

(ナーレスは……偽りだったが)

 ミレルバスは、セロスが副官たちに指示している光景を見ている。まるで夢の中にでもいるような気分が、彼の意識を苛んでいた。この現実感の希薄さは、彼の軍事的才能の無さに由来するものなのかもしれず、ミレルバスは自分の無力さを痛感した。

 ナーレスがガンディアの王子レオンガンドと喧嘩別れし、ザルワーンに流れてきたのは五年以上も前のことだ。シウスクラウドに見出された彼は、“うつけ”と評判の王子のやり方についていけなかったと公言しており、そのことがレオンガンドの立場を苦しめることになったようだが、実際はどうだ。あれから五年が経ち、ナーレスの存在は、まるで呪詛のようにザルワーンに絡みつき、ミレルバスを苦しめている。

 ナーレスを放逐したガンディアは、その後多くの人材を失ったものの、同盟国や傭兵の助力を得て国土を回復し、ログナー全土の平定を成し遂げるまでに至った。

 そして、ナーレスの毒が充満したザルワーンへの侵攻。

 電撃的なナグラシア制圧から続くガンディア軍の猛攻は、ザルワーン軍が組織として壊滅的な状況にあったからこそ成し得たものだと、セロスはいっていた。

 それもこれも、ミレルバスの責任だった。ナーレスの才能を愛し、ナーレスに任せすぎた結果、ミレルバスは自国を破滅へと導いていたのだ。

 四つの都市が、ガンディアの手によって落ちた。スマアダはジベルに掠め取られ、メリス・エリスにもスマアダの軍勢が進出してきているという。ザルワーンの領土は、最盛期の三分の一にまで減少してしまった。

 ひと月足らずのうちに、だ。

「なにもかも、ナーレスを受け入れたわたしの失態だな」

 ミレルバスは、セロスだけに聞こえるように囁いた。ほかのものに聞こえたところで問題が生じるわけではない。だれもが心の奥底で思っていることだろう。ミレルバスがナーレスの真意を見抜いていれば、こんなことにはならなかったはずだ、と。

 セロスがこちらを向くと、苦渋に顔を歪ませた。ミレルバスが聖将にまで引き上げた男は、この一ヶ月ですっかりやつれてしまっているように見えた。国土が敵国に蹂躙されているというのに、龍府から動くことすら許されなかったのが彼だ。

 龍府を護るのが龍眼軍の役割とはいえ、なにもできないというのは、彼のような軍人にとってはなによりも堪えることだろう。しかも、各地から飛び込んでくるのはザルワーン側の敗報ばかりだったのだ。

「ミレルバス様。それは違います。ナーレス=ラグナホルンの真実を見抜けなかったのは、我らも同じ。だれもが彼に騙されていたのです。彼の全生命を賭した大芝居に」

「全生命を賭した大芝居……か」

 言い得て妙だと彼は感心した。

 確かにその通りだ。

 ナーレスは、命がけでミレルバスの忠臣を演じていたのだ。人生のすべてを賭けてでも成し遂げなければならないという覚悟があったのだ。もし、ミレルバスが彼に死ねといえば、彼は喜んで死んだかもしれない。死ぬことで策を為すことができるのならば、笑って死ぬ。そんな凄みが、ナーレスにはあった。

 だからこそ、ミレルバスも全力で騙されたのだ。彼を全身全霊で信用したのだ。彼に最愛の娘を嫁がせたのもそれだ。

 ナーレスを信じ、ナーレスと心中する覚悟があった。

(ならば本望よな? ミレルバスよ)

 胸中で自嘲して、頭を振る。

(本望などであるものか)

 彼は床几から立ち上がると、右側に視線を落とした。侍従が、慌てたように兜を差し出してくる。龍の頭部を模した兜は、龍の国ザルワーンの国主に相応しい意匠だといえるだろう。黒塗りの兜で、ところどころに金が使われている。黒に金がよく映えていた。鎧も同様であり、金で縁取られた黒の胸甲や肩当てには生物的な変化が取り入れられていた。歴代の国主は、この鎧兜一式に見を包むことで、龍になった気分でも味わえたのかもしれない。

 兜を身につけ、太刀を受け取りながら、どうでもいいことばかりが脳裏を過った。

「ならば、わたしはこの戦いに全生命を賭けようではないか」

「ミレルバス様……」

「セロス。決戦のときだ」

「はっ。門を開け!」

 セロスが部下に命令を発するのを見届けると、彼は太刀を見下ろした。鎧と同じ、なんの特徴もない黒塗りの鞘に収められた太刀。しかし、切れ味は抜群で、達人が使えば岩をも切り裂くという。

 この太刀だけは、ミレルバス個人の所有物だった。彼は生まれて以来、みずからなにかを欲したということは少なかったが、この太刀の存在を知ったときから欲しくてたまらなかった。なぜかはわからない。

 名もないこの太刀を手に入れることができれば、なにかが変わるのではないかとでも夢想したのかもしれない。もっとも、かれがこの太刀を実際に手に入れたのは国主になってからのことであり、感慨に耽ることさえなかった。

 手に入れるのが十年は遅かった。

 太刀を腰に帯びると、ミレルバスは気が引き締まる思いがした。いまのいままで腑抜けていたつもりもないが、武器防具を身に纏うというだけで意識が変わるのだろう。古びた鎧だ。防具としての役割はほとんど果たせまい。だが、軽さは重要だ。敵陣を駆け抜けるには、速度だけが必要なのだ。思い鎧は不要だった。なんならこの龍の鎧すら不要だったのかもしれない。

(人間ならば必要だろうがな)

 彼はいま、自分が人間ではなくなりつつあることを自覚している。力の充溢。精気が満ち、五感が冴え渡っている。衰えの見え始めていたはずの視力が回復していた。いや、回復したどころの話ではない。最盛期以上の視力が、ミレルバスの脳に刺激をもたらしていた。セロスの顔を直視すると、毛穴まで見えるほどだった。

 耳も気持ち悪いくらいに音を拾っている。走り回る伝令兵の靴音、出番を待つ兵士たちの話し声、会話の内容までも耳に入ってくるのだが、意識しなければ脳内に留まることはなかった。当然、嗅覚も異常なまでに働いている。

 全身に漲る力が、ミレルバスの意識にまで影響し始めていた。

(想像以上だぞ、オリアン)

 ミレルバスは、胸中で友の研究成果を喜んだ。オリアン=リバイエンも戦場に出るということだったが、彼の手を煩わせる必要もないかもしれない。彼はもう十分に働いてくれたのだ。魔龍窟の総帥として、ミレルバスの友として、影として。オリアンは常にミレルバスを支えてくれていた。この最後の戦いを見栄え良くなるようにしてくれたのも、オリアンだ。

 オリアンがいなければ、ミレルバスはただの人間として生を終えたに違いない。

(君は君の思うままに生きよ。友よ)

 影は光から離れることはできない。彼ならばそんなことをいうのだろうが、ミレルバスはそうは思わなかった。オリアン=リバイエンは、そもそも五竜氏族ですらない。この国とは関わりのない、流浪の武装召喚師だったのだ。彼がミレルバスの影となり、ミレルバスが彼の光となったのは、両者の利害と思惑が一致したからだ。

 利害と思惑が解離すれば、光と影という関係性も崩れ去る。

 当然の道理だ。

(君は納得しないのだろうが)

 オリアンは、妙に義理堅い男だった。冷酷で、残忍で、凶悪で、外道をひた進むような人物のくせに、ミレルバスが苦しい時にはいつも手を差し伸べてくれた。冷たく突き放すような言葉で、救ってくれたのだ。何度も何度も、数え切れないくらい何度も、ミレルバスの心を拾い上げてくれた。

(なに、わかってくれとはいわないさ)

 ミレルバスは、侍従が軍馬を引き連れてくるのを認めると、小さく息を吐いた。考えるのをやめなければならない。無駄な思考を排除し、ただ目的を果たすことだけに集中するのだ。そうしなければ、成し遂げられないだろう。

(君にとってわたしは光だったそうだが、わたしにとっては、君が光だったのだ)

 オリアン=リバイエンと出会っていなければどうなっていたのだろう。

 そう考えると、彼の存在は、ミレルバスの人生を大きく変えたといってよかった。そして、それでよかったのだ。多くを失ったが、別の多くを得ることができた。それは幸福といっても差し支えがなかった。

「開門! かいもーん!」

 兵士たちが大音声で告げる中、本陣の周辺も慌しくなっていた。南門前に集まった龍眼軍二千人、全二十の部隊が、開門とともに飛び出すために動き出したのだ。

 馬上のセロスが声を張り上げる。

「全軍出撃だ! ガンディア軍を征竜野から追い出し、ザルワーンの栄光を取り戻すのだ!」

 二千人の龍の咆哮が、龍府を揺らした。

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