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第三百七十五話 龍府を巡る攻防(五)

 龍府の周囲を覆う樹海と龍府の間には、軍を展開するには十分な平地が広がっている。

 龍府周辺の歪な楕円を描くこの平地は、征竜野せいりゅうやという地名で呼ばれることが多い。ザルワーンの建国神話において、樹海に覆われていた地に降臨した龍が木々を焼き払い、この楕円の平地が生まれたのだという。

 龍が拓いた地には、龍によって選ばれたひとびとの都が築き上げられた。それが龍府である。巨大で堅牢そうな城壁は、何百年もの昔に建造されたとはとても信じ難いのだが、おそらくそれは偽りではないだろう。諸国の古い文献にも、龍府の外観の壮麗さは謳われており、何百年も前からいまと変わらぬ姿を保っているのは間違いない。

 ザルワーンは龍府の維持と保全のために大量の国費を投じていると噂されるのだが、それもあながち噂だけの話でもないのかもしれない。

 管理の行き届いた城壁を見ていると、その噂が真実なのではないかと思ってしまうほどだった。

 ザルワーンは龍の国だという。龍の伝説に彩られた国。建国神話も龍によって始まり、龍によって終わる。五竜氏族なるものたちによって支配された国でもある。そして、城門にも龍の紋様が刻まれている。雄々しくも猛々しい龍の意匠も、遠くからではまったく見えないのが残念だった。

「竜が征した野……か」

 レオンガンドは、ひとりつぶやいた。銀獅子に見立てた鎧兜に身を包んだ彼だったが、親衛隊とともに本陣に篭もっている。前線に出るような格好ではあるものの、彼は自分に出番があるとは思ってもいない。ガンディア王即位後の初陣ともいえるバルサー平原での戦いでこそ、彼も果敢に突っ込んだものだが、それは戦力が少ないという事情があったからだ。今回は違う。敵軍の予想戦力二千に対し、三倍以上の七千もの戦力があるのだ。彼がみずから出張る必要は微塵もない。手柄は、将兵にくれてやるべきだ。

 レオンガンドは王である。功名を欲する必要もなければ、手柄を上げる必然性もない。

 もちろん、決戦であるのだし、自分の手で決着を付けたいという気持ちもないではなかった。自分に人並み以上の力があったならば、将兵ともども龍府に突っ込んだのかもしれない。しかし、レオンガンドは自分の腕に過剰な自信を抱けるほどの実力を持ち合わせてはいなかった。

 それはむしろ幸運だろう、と思うのだ。だからこそ、こうして臆病にも本陣に篭っていられる。半端に実力を持っていれば、過信し、敵陣に攻め込んでいたかもしれない。将兵の戦意高揚には効果的かもしれないが、敵陣に攻めこむということは、敵の攻撃に曝されるということにほかならない。命の危険を伴うということだ。

 本陣に篭っていれば、敵の攻撃が飛んでくることはほとんどない。配下の将兵が、レオンガンドの代わりに敵の攻撃を受け止めてくれる。肉壁となって、彼の代わりに死んでいくのだ。

 これまでも、多くの兵が死んでいった。軍団長もひとり、死んだ。この決戦でも、いくらかは死ぬだろう。無傷での勝利とはいくまい。それでも戦わなくてはならない。戦い、降し、征さねばならない。

「では、竜を征した野と改めますかな」

 ゼフィルが自慢の口髭を撫でた。彼も当然武装しているのだが、この口髭紳士ほど戦場の空気が似合わない人物もいないだろうというのがレオンガンドの感想だった。そんなゼフィルに対してバレットはというと、甲冑を着込んだ姿のほうが似合っており、正装に身を包み、王宮で働いているときの堅苦しさは、彼が可哀想になるほどだった。だからといって、彼に楽な格好をさせようなどとは思わない。バレットもそんな特別扱いを望みはしないだろう。

「この戦いを勝利で終えることができれば、そうなるか」

 本陣には、彼の親衛隊以外にも、バレット=ワイズムーン、ゼフィル=マルディーンのふたり、それにレマニフラの王女と彼女の侍女たちがいる。そしてレマニフラの戦士たちが、本陣を守るように展開していた。黒忌隊、白祈隊合わせて四百五十人による防壁を厚いと見るか、薄いと見るか。敵陣たる龍府からガンディア軍の本陣に到達するには、まず、ガンディア軍の分厚い壁を突破しなければならないのだ。

 ガンディア軍の布陣は、既に完成しているに違いないものの、本陣からではその様子を窺い知ることはできなかった。小高い丘でもあればよかったのだが、征竜野は見渡す限りの平地なのだ。どこに本陣を構えようとも、見えるのは兵士たちの背中であり、風にはためく軍旗、隊旗の群れだった。

 本陣にも、旗が掲げられている。旗に描かれた銀獅子の紋章は、ガンディアの紋章であり、本陣だということを自軍に認知させるために掲げてあるのだ。が、それは同時に、敵軍にも本陣の位置を悟らせるということになるのだが、仕方のないことだ。敵を騙すために味方を欺くわけにもいくまい。

「勝つための準備は予定通り整った、といったところですな」

 バレットが、空を睨んで、いった。雲ひとつない青空。太陽だけがまばゆい光と熱を降り注がせている。その太陽の高さからいって、正午になろうという頃合いだ。

 本陣に引っ切り無しに訪れていた伝令兵たちの報告を総合すれば、陣形が完成しているのは疑いようがない。

 龍府の南門を攻撃するための布陣は、大将軍たちが決めたものだ。もちろん、レオンガンドも聞き及んではいるものの、彼が口を挟んだことはなかった。レオンガンドは自分に軍事的才能がないことは知っていたし、アルガザードにすべてを託している以上、口出しすることはなかった。軍議にはハルベルク・レウス=ルシオンやギルバード=ハーディも参加していたのだ。ルシオンやミオンの配置には当然、彼らの意見も取り入れているのだろう。

 龍府南門の正面には、ガンディアの正規軍が展開している。正規軍は、ガンディア方面軍とログナー方面軍を合わせた全軍であり、約五千人に及ぶ。そのうち選び抜かれた三千人ほどが前面に位置し、残る約二千のうち半分ずつが左翼のルシオン軍と、右翼のミオン軍と陣をともにしている。

 激戦となるであろう南門真正面にガンディアの正規軍を配置しているが、当然の判断ではあるだろう。ガンディアとしては出血は少なければ少ないほどいいのだが、だからといって同盟国に出血を強いるわけにはいくまい。

 ミオンの騎兵隊はただでさえ多大な損害を被っているのだ。これ以上の被害はギルバート将軍としても御免被りたいところだろう。同盟国に頼りすぎてはいけないという自戒もあるのだが。

 とはいえ、正面の部隊を構成するのはガンディア軍だけではない。二組の傭兵集団が最前線に組み込まれている。《白き盾》は、団長のクオン=カミヤこそ不在ではあるが、マナ=エリクシアとウォルド=マスティアは優秀な武装召喚師であり、イリスという異能者の存在もあり、十二分に戦力として数えることができた。

《蒼き風》も、ルクス=ヴェインを筆頭に、活躍が期待できる傭兵の集まりだ。彼らを前線に投入することは、ガンディア軍の負担を少しでも減らすことに繋がるだろう。

 そして、王立親衛隊《獅子の尾》隊長補佐にして、最後のひとり、ファリア・ベルファリア=アスラリアが正面の部隊に紛れ込んでいる。隊長と副長が不在のいま、《獅子の尾》の看板をひとりで背負うのが彼女だ。

 ファリアがやる気に満ち満ちているのは、その派手な格好からもわかる。人目を引く格好で活躍することは、《獅子の尾》の評判を隊のだれよりも気にしている彼女にとって、大事なことなのだろう。他人の目など気にしてもいられないセツナと、他人のことよりも自分のことで精一杯なルウファでは、ファリアのような考え方はできまい。もっとも、それもこれもレオンガンドの推測にすぎないのだが。

 正面の部隊を構成するのは、二組の傭兵団とガンディアの正規軍であるが、正規軍の内訳はというと、ガンディア方面軍第一軍団の百七十八名と第二軍団四百九十三名、第三軍団四百六十六名に第五軍団五百名、ログナー方面軍第一軍団三百八十二名及び第三軍団九百三名である。指揮を取るのは大将軍アルガザード・バロル=バルガザールであり、彼の副将ふたりも随伴している。

 左翼部隊の中心となるのはルシオン軍であり、ログナー方面軍第四軍団九百三十二名と左眼将軍デイオン=ホークロウがついている。ルシオン軍を指揮するハルベルク王子の意見を取り入れ、左翼部隊の最前列はルシオンの精兵で固めてあるらしい。さすが尚武の国ルシオンといったところだろう。強兵で知られるログナー軍人さえもあてにはしないとでもいいたげだ。

 一方、右翼部隊はミオンの騎兵隊九百八十名とログナー方面軍第二軍団九百九十五名からなる部隊であり、右眼将軍アスタル=ラナディースがついている。ギルバート=ハーディ将軍の騎兵隊は、攻城戦よりは野戦向きである。ギルバート将軍もそのことを承知しているのだろう。前列を受け持つのはログナー方面軍第二軍団のようだった。ギルバートが出血を嫌っているというよりも、騎兵隊の用兵を考えればそうなるということなのだろう。

 レオンガンドは、脳裏に描き出した布陣図に目を細めた。前方に満ちた軍勢の様子を上空から見下ろすことができれば、どれほど面白いものか。考えるだけでぞくぞくする。地に満ちた雲霞の如き将兵たち。アルガザードが一声発すれば、それらは一斉に動き出すのだ。龍府に向けて。

 征竜野を征するための軍勢は、それでも、三国同盟軍の全力には遠く及んではいない。ガンディア軍とて、全軍を集結できたわけではない。国土防衛のために最低限の戦力は残してあったし、なにより、制圧したザルワーンの各都市を放置しておくことはできなかった。市民や投降兵の監視、補給路の構築と維持には、それなりの戦力が必要だった。

 ザルワーンにおいて、ガンディア軍が下してきた都市は四つ。ナグラシア、ゼオル、バハンダール、マルウェール。それぞれに五百人ほどが駐屯している。合計二千人。それらを龍府決戦に動員できていれば、もっと楽な気持ちでいられたのかもしれない。

(そう簡単なものでもあるまい)

 胸中で頭を振って、彼は、開戦のときを待った。

 征竜野に陣を張って半日が経過しようとしている。

 その間、ザルワーン側からの接触はなかった。降伏の意思はないと見ていい。むしろ、城壁上に物々しい動きがあったといい、徹底抗戦の構えを見せているといっても差し支えはないだろう。

 ミレルバス=ライバーンは、ガンディア軍に勝てる見込があるのだろうか。ガンディア軍が入手した情報では、龍府に残る戦力は龍眼軍の二千人だけだという。たった二千人で、ガンディア軍七千人に勝てるとでも思っているのだろうか。

「彼らは勝てると思っているのだろうな。だから降伏の素振りさえ見せない」

「どうやって、勝つというのでしょう」

 ナージュが小首を傾げたのは、彼女のような軍事的素人でも勝敗が見えるような戦力差だからだろう。

「さて……五方防護陣に現れたドラゴン――あのような切り札が、ほかにもあるのかもしれない」

 それはあまりにぞっとしない考えではあったのだが。

 鐘が鳴る。

 けたたましい金属音が征竜野を満たしたかと思うと、本陣の遥か前方の部隊が動き出したような気がした。

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