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第三百七十四話 龍府を巡る攻防(四)

「いまは戦時下だ。楽にしたまえ」

 オリアンは、極めて軽く告げると、ミルディたちの囲んでいた机の前まで歩いてきた。従者ひとりも連れていないところを見ると、個人的な用事でここまできたのかもしれない。ミルディはオリアンの行動にきな臭いものを感じたが、表情には出さなかった。

 視線だけを動かして同僚たちを見やる。だれもが固唾を呑んで、オリアンの言動を見守っている。五竜氏族に縁があるガラム家のセーラだけが涼しい顔をしているものの、彼女とて緊張していないわけではないようだ。五竜氏族に関わりがあるとはいえ、血は薄く、ミレルバス政権になるまで日の目を見ることが少なかったのがガラム家だ。彼女が緊張するのも当たり前なのかもしれない。

「話の続きだが、貴様のいう通り、戦力差は絶大だ。守護龍が使いものにならないいま、七千対二千を覆すことはできない。それはミレルバス様もわかっておられる。だからこそ、打って出るのだ」

 オリアンの居丈高な声音に、ミルディはびくりとした。オリアンが生粋の五竜氏族ではないということは公然の事実であるにも関わらず、ミルディたちは、彼に対し平伏してしまいたくなるような気分を抱くのだ。彼がリバイエン家の当主だという現実の前には、血筋の問題など霞んでしまうのかもしれない。

 血ではなく、名に支配されている。

「神将閣下より聞いております。ミレルバス様御みずから突撃なされるということですが……本気なのですか?」

 ジェイドがおずおずと尋ねた。神将セロス=オードが開いた軍議では、既に決定された戦術を告げられただけだった。開戦までの部隊配置と、開戦後の各部隊の動き、目的。それを聞いて、ミルディには釈然としないものが残っただけだった。

(ミレルバス様のため、か)

 そう、セロス=オードとともに声を上げたとき、彼は違和感を覚えずにはいられなかった。ミレルバス=ライバーンは、確かに偉大な国主だ。多くの人々の記憶の中で暴君として君臨し続けるマーシアス=ヴリディアと比較するまでもない。

 ミレルバス=ライバーンの掲げた実力主義と、人材発掘のおかげで、数多の人間が脚光を浴び、才能を発揮できる役職につくことができた。龍眼軍、龍牙軍、龍鱗軍のザルワーン三軍の改革は、当初こそ多くの戸惑いを生み、困惑と混乱があったものの、ガンディアの侵攻が始まるまでは上手く機能していたように思う。

 もちろん、文官出身者の起用には賛否が巻き起こったものの、龍眼軍に所属することができたミルディにはどうでもいいことだった。龍眼軍部隊長など、ミルディにとっては望むべくもない階級であり、任命された瞬間、夢なのではないかと疑ったほどだ。

 マーシアス政権下では考えられないようなことが次々と起こった。良いことも悪いこともあったが、被支配階級出身者にとっては概ね良いことが多かったはずだ。その分、五竜氏族が割りを食ったかというと、そうでもない。五竜氏族を排斥するのではなく、適材適所に再配置しただけのことだ。

 甘い汁が吸えなくなり、没落する家も出てきたようだが、それは仕方のないことだ。いままでが五竜氏族にとって甘い世界だったのだ。

 ミレルバス政権が続けば、五竜氏族も一般国民も、平等に扱われていくようになるのだろう。“五竜氏族に罪なし”だった時代が終わり、だれもかれもが同様に裁かれるようになる。

 考えれば考えるほど、ミレルバス=ライバーンという人物のしてきたことは偉大だと思えるのだが、それでも、ミルディ=ハボックは、セロス=オードやジェイド=ヴィザールたちのように、ミレルバスを信奉することはできなかった。ミレルバスのために戦うのも、ミレルバスのために死ぬのもいいだろう。勝手にやっていろと思う。自分は勘弁だ、とも思う。

 違和感があるのだ。

(ザルワーンがここまで追い詰められたのは、だれのせいだ?)

 だれのせいで、こうなったのか。

 だれのせいで、ミルディたちが死地に赴かねばならなくなったのか。

 答えはひとつだ。言葉にすればその人間を恨みかねないから、ミルディは考えるのをやめた。いまは恨み言を紡いでいる場合ではない。

「本気も本気さ。わたしも諌めたのだがね、国主様はわたしの言葉に耳を傾けてくださらなかったよ。ミレルバス様は、こうなった以上、ガンディア軍を撃退するにはそれしかないとお考えのようだ。その考えもわからなくはないし、龍眼軍からも打開策が上がってこないのでね。仕方があるまい」

 オリアンが、厭味ったらしく部隊長たちを見回しながら、机の上に小包を置いた。

 机には、龍府周辺の地図が広げられている。地図には、各部隊の配置と進行経路が記されており、それを元に話し合おうと言い出したのは、指揮官気取りのジェイドだった。とはいえ、元々纏まりのない連中が集まったところで、ろくな会議にならないのは目に見えていた。

 ミルディが参加したのは、当然、会議をするためではない。何人かでも生き延びて欲しかったからだ。ミレルバスのために戦うのは勝手だ。ミレルバスとともに死地に向かうのもいいだろう。それがミレルバスの恩に報いるためというのも納得できる。だが、だからといって、全員が全員死ぬことはあるまい。

 覆しようのない戦力差。

 敗北は、火を見るより明らかだ。

 レオンガンド王の首を取れば、ザルワーンの勝利だという。ガンディアは戦争を続ける理由を失い、軍を引くだろうという希望的観測から成り立つ結論には、疑問点も多い。ガンディア軍が王の死を隠し、戦闘を続ける可能性も少なくはない。王を失った怒りが龍府を壊滅させるということもありうるのではないか。

 もっとも、ミルディがそんなことを口走れば、ソレルやジェイドのようなミレルバス信奉者に叩き切られるのが落ちだ。いっそ、叩き切られたほうがいいのではないかと思わなくもないが、痛いのは嫌だったし、死ぬのはもっと嫌だった。

 いくらミレルバスを盲信しているとはいえ、同僚を殺すようなことはないとは思いたいが、ザルワーン人だ。一途といえば聞こえはいいが、思い込みが激しく、なにを仕出かすのかわからないのがザルワーン人気質だ。

「とはいえ、だ。ミレルバス様が単騎で突撃しても返り討ちに遭いに行くだけのことに過ぎない。わたしや、龍眼軍の皆がミレルバス様を援護しなければならない。ガンディア軍本陣への道を切り開かなければならない」

「ガンディア軍本陣への……」

「道を切り開く……」

「それが貴様ら龍眼軍の役割だ。そして、これがそのための特効薬だ」

 そういってオリアンが解いた小包の中から現れたのは、ガラスの小瓶が五つ。小瓶の中には丸薬が入っており、その毒々しい色合いには、部隊長のだれもが息を呑んだ。毒薬なのではないかと疑っているのかもしれない。

 オリアン=リバイエンは、リバイエン家当主である前に一流の武装召喚師であるということは知られた話だ。武装召喚師以外の顔も持っており、外法魔道に精通しているといわれ、黒い噂が絶えなかった。マーシアスが忽然と亡くなったのはオリアンが毒殺したからだとか、ミレルバスを影から操っているのはオリアンだとか、そんなくだらない妄想話を耳にしたことがある。よくある陰謀論のたぐいだろうとミルディは気にもしていなかったが、毒々しい丸薬を目の当たりにすれば、あながち間違っていなかったのではないかと思ってしまうものだ。

 もっとも、こんなにも堂々と毒薬を披露する人物がいるとも思えないが。

「特効薬……ですか?」

「これはわたしの研究成果のひとつでな。一粒飲み込めば、たちまち百人力を発揮することができるという魔法の薬だ。龍府の施設でもこの数を用意するのが精一杯だったがな」

「百人力……ですと!?」

 ソレスが興奮を隠し切れないのか、鼻息荒く小瓶のひとつを手に取った。掲げ、天井の魔晶灯の光で中身を透かして見ている。彼のような武勇だけが取り柄の男がそういう反応を示すのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

「小瓶は全部で五つ。小瓶ひとつにつき、二十粒の丸薬が入っている。使うかどうかは貴様ら次第だ」

 つまり全部で百人分ということになる。百人全員が百人力を発揮すれば、単純計算で一万人力となり、ガンディア軍の戦力を大きく上回ることになるが、そんな簡単な話ではないということは想像に難くない。そのように単純な話ならば、オリアンの特効薬で簡単に戦力差が覆さえるのなら、最初から戦力差で絶望する必要もないのだ。

 オリアンは、戦力差が覆しようのないものだということを認めている。ミレルバスの策しかないということも認めている。それらを認めた上での特効薬だ。戦力差を覆すための秘策などではないということだ。ミレルバスの単騎突撃を援護するためだけの力だとでもいうのだろうか。

(なにを考えているのです? オリアン……様)

 ミルディは、早い者勝ちだとでもいうのか、同僚たちがつぎつぎと小瓶を手にしていく光景をどこか遠い世界の出来事のように見ていた。手にしたのはジェイド=ヴィザール、ソレス=サイラス、フォルカ=ミジェット、カリム=ラジル、ザーク=カザーンら部隊長であり、彼らの内ソレスを除く四人はほかの同僚に分け与えた。

「ミルディ、君の部隊にもどうだ」

「俺は遠慮しておきますよ。皆さんの援護に回ります」

「めずらしく殊勝な心がけだ。らしくないが、悪くもないな」

 ソレスは鷹揚に笑ったものだが、ミルディは無理やりにでも渡されなかったことに安堵していた。手渡されても服用しなければいいだけの話ではあるのだが。

 ミルディは、オリアンを信用してはいない。オリアンがマーシアスに拾われる前の経歴は不明であり、どこでなにをしていたのかもわからないのだ。武装召喚師としての修練を積んでいたというのは間違いないのだろうが、それ以外のことは謎に包まれている。怪しい人物だが、同時に、彼がこの国のために尽力してきたのは疑いようがない。

 もっとも、彼が育成した数名の武装召喚師は、ガンディア軍との戦いで散っていったのだが。

「ひとり一粒だ。そうだな、服用するのは戦いが始まる直前がいい。そうすれば、敵軍との戦闘になるころには力が湧いてくるだろう。くれぐれも、用法用量を間違えるなよ? どうなっても知らんぞ」

 オリアンの忠告にジェイドたちが息を呑む音が聞こえた。

 しかしミルディは、彼ら同僚の反応を面白がる気にはなれなかった。この場を去ろうとしたオリアンがふと、足を止める。

「そうだひとつ言い忘れていた」

「なんでしょう?」

「この特効薬の名、な……英雄薬だ。一粒飲めば、貴様らも英雄になれるぞ」

 オリアンの言葉は、ミルディの耳には薄ら寒く聞こえた。


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