エピローグ(三十六)
だからといって、大手を振ってガンディアを支援するわけにはいかない。
いや、たとえどのような形であったとしても、ガンディアに関わろうとしてはいけないのだ。
いまや、セツナは世界の嫌われ者だ。イルス・ヴァレ最大の敵にして、絶対悪。万魔の王であり、諸悪の根源とまでいわれているほどだ。人間のみならず、皇魔にも、竜にも、神々にさえも忌み嫌われている。
そんなセツナがガンディアと関わりを持とうものならば、やっとの思いで再興したばかりのガンディアが急転直下に破滅へと向かうだろう。
ガンディアが、世界の敵になってしまう。
いまのファリアたちのように。
かつての、皇魔のように。
皇魔。
そう、皇魔だ。
まるでかつての皇魔のような扱いのようだ。
いまや皇魔と人間の関係は、メキドサールを始めとする人間に対し有効的な皇魔たちの尽力や、神々の執り成しがあって、良化しつつある。中でもメキドサール、アガタラの皇魔は、かつて人類の天敵と呼ばれていた存在とは思えないほどの厚遇を受けており、いずれ、皇魔という悪意に満ちた総称も失われていくに違いなかった。
魔王とその眷属が、皇魔に取って代わるのだ。
魔王セツナと、寵姫たち。
いまや皇魔よりも最悪の存在として認識され、恐怖と嫌悪の対象とされている。
そんなセツナたちが、ガンディアに干渉するわけにはいかないのだ。
ガンディアだけではない。
ありとあらゆる国、地域、組織に干渉してはならない。
そんなことをすれば、ようやく安寧を取り戻し、平和を維持している世界に混乱と戦慄を振り撒くことになるだろう。
そして、魔王への拒絶反応は、苛烈な波紋となって世界中を掻き乱し、イルス・ヴァレを再び混沌の時代へと回帰させかねない。
故に、セツナは、この島に籠もることにしたのだ。
世界連盟による万全の監視態勢を受け入れているのも、自分が無害であることを主張し、争いや諍いを引き起こすつもりがないことを明らかにしておく必要があるからだ。
無論、百万世界の魔王が、救世主と激闘を繰り広げた邪悪の権化が、いくら無害を主張したところで通るはずもない。
だれひとりとして信用せず、故に監視は厳しくなる一方だ。
しかし、だからといって、監視の目を欺くような行動を取れば、世界の根幹を揺るがすことになる。
よって、セツナは、甘んじていまの生活を受け入れているのだし、ガンディアやレオナのことを影ながら応援するだけに留めている。
それが、少し――いや、かなり、寂しい。
そのとき、ウルクがミドガルドを伴って広間に入ってきた。
なにやら小箱を大切そうに抱えたウルクとその様子を見守るミドガルドという組み合わせは、いかにも仲の良い親子という感じがしたのだが、ウルクがセツナを見つけるなり、予想だにせぬ言葉をかけてきた。
「セツナ。なにか重大な問題でも抱えているのですか?」
「え?」
「難しい顔をしています」
「そうか?」
ウルクの発言にきょとんとする。
「そうかな?」
周囲に尋ねると、概ね肯定的な反応が返ってきた。
「……まあ、そうね。深刻そうな顔をしていたわ」
「そりゃあそうよね。そうもなるわよ」
「ですよねえ」
「だろうな」
ファリアやミリュウに続き、ルウファやシーラまでもがそんな反応をする。
「なんだよ、皆同じようなことをいってさ」
「ガンディアのことだもの。君のもうひとつの故郷のことなんだから」
ファリアがセツナの瞳の奥を覗き込むようにして、いった。
そういわれると、返す言葉もない。
確かにその通りだ。
普段は気にしないようにしていたし、実際、まったくもって考える暇もないくらいにそれなりに忙しい日々を送っているのだが、一度考え始めるときりがなく、深みにはまってしまうようだった。
ガンディアは、故郷なのだ。
愛着があり、青春のすべてを捧げたといっても過言ではない。
そんな国のことを、もう過ぎ去ったからと切り捨てられるほど、セツナは軽薄ではない。
むしろ、懐かしい日々が、輝かしい過去の想い出たちが、いつまでも離れまいと絡みついている。
「ガンディアのことですか」
「昔話をしていたんだよ」
「昔話……」
「なるほど」
反芻するようにつぶやくウルクとは対照的に、ミドガルドは得心したとでもいいたげだった。
「過去を振り返るのも悪くはありませんが……というより、むしろ大切なことなのでしょうが、未来に関することをお話ししてもよろしいですかな?」
「未来に関する……こと?」
セツナが怪訝な顔をする隣で、ミリュウが鼻息も荒く腰を浮かせる。
「なになに? あたしとセツナの結婚式のこと!?」
「なんでそうなるのよ」
「あたしたちの未来にほかになにがあるっていうの!?」
「いくらでもあるだろ、いくらでも」
「ないわよ! まったく!」
「ないのかよ……おまえの頭の中はいったいどうなってんだ」
「幸せそうじゃないですか」
「ある意味な」
ルウファの笑い声に引き込まれるようにして、セツナも笑った。
実際、ミリュウは幸福に満ちた日々を送ってくれているようではある。
彼女にとって唯一の問題があるとすれば、ラグナがこれ見よがしにセツナにべったりとくっついて離れないことであり、それも人間態や竜人態に変身してのことが少なくないことだろう。ただでさえセツナと一緒にいることの多いラグナが、美女に変身してセツナに抱きついていることが許せない、と、怒り心頭なのだ。
「ええ。セツナ殿の未来には、現状、大きな問題がありますでしょう。その大問題を解決するべく、馳せ参じた次第でしてね」
「大問題……?」
「ウルク」
「はい、ミドガルド」
ミドガルドに促されると、ウルクは、セツナの目の前まで近づいてきた。そして、大事そうに抱えた小箱を卓の上に置く。
「箱を開けてください、セツナ」
「え、ああ」
促されるまま、セツナは、卓上の小箱を覗き込んだ。小箱は、別段、厳重に封印されているわけではなかった。ただ、蓋がされているだけであり、蓋を開けるのは極めて簡単だった。
蓋を開け、小箱の中身が明らかになる。
「これは……」
なにやら梱包材のようなものが敷き詰められた小箱の内側で一際異彩を放つそれは、一見すると小さな金属製の腕輪だった。