エピローグ(三十)
犠牲に次ぐ犠牲の連鎖を強いる戦いは、終わった。
それによって、だれも犠牲にならなくて済む世界が実現した――というには程遠いが、結果として、セツナが割を食うだけで世界がひとつに纏まったことは確かだ。
世界連盟の発足と、世界中の多くの国々が参加したことは、世界全土にしばしの平穏と安寧をもたらすことだろう。
生き残ったひとびとが愚かな戦いに巻き込まれ、犠牲となるようなことは少なくなったはずだ。
もう、なにものも、なにかの犠牲になる必要などはないのだ。
ましてや、セツナのために世界中のひとびとが犠牲になることなど、あってはならない。
それではなんのために戦い、なんのために犠牲を払ってきたのか、わからなくなる。
本末転倒という奴だ。
そんなことを考えながら、セツナは、ミドガルドとの話を続けていた。
「それで……ミドガルドさんを乗せてきた船は、どこに?」
「ああ、セツナ殿には見えませんか」
「ええ」
「あたしも見えないんだけど!」
ミリュウがセツナに腕を絡めたまま強く主張すると、さすがのミドガルドも苦笑するほかなかったようだ。
「先程申し上げた通り、ミドガルド=ウェハラムがこの島を訪れたという事実が明らかになってはいけませんのでね。だれにも見つかることのないよう、新型の船を建造したのです。それがあの船……といっても、セツナ殿や皆様方には見えないでしょうが」
などと、ミドガルドが指し示した方向には、確かになにも見当たらない。彼は、屋敷の敷地の外、広い丘の上に新型の空飛ぶ船を下ろしたようなのだが、 セツナたちの目には映らない以上、理解しようもない。
「ええ、まったく見えないわ」
「そちらに在る、ということもわかりませんね」
「本当にあるのかよ?」
疑問符を浮かべつつ自然に会話に混じってきたのはシーラだ。セツナたちが帰ってきたのを見て、駆け寄ってきたのだろう。
「ミドガルドさんがいるからな。船があるのは事実なんだろうさ」
「うむ。わしの目にははっきりと見えておる。変わった形の……小さな船がのう」
「小さい?」
「確かに、これまで建造してきた魔晶船と比べると、小さいほうではあります。しかし、それも致し方のないこと。なにせ、完全に船を隠すには、景光幕で船全体を包み込む必要がありますからね。投影装置の出力を安定させた上、長時間の稼働を考慮すれば、船そのものを小さくせざるを得ませんでした」
「けいこうまく……?」
「周囲の風景と同化させることのできる波光の幕のことです」
「へえ……」
セツナはミドガルドの説明を受けて、静かにうなるほかなかった。
波光の応用性および魔晶技術の発展性の凄まじさを知れば、そうならざるを得ない。それもこれも、ミドガルドの知識と知恵、閃きと研鑽の成果なのだろうが、だとしても、だ。
言葉も出ない。
波光の幕が、船の存在そのものを完全に掻き消してしまっているかのようだ。
ラグナやウルクには見えているように、なにかしら見る方法や手段はあるのだろうが、これほどに完璧に風景に溶け込むことができるのであれば、確かに、この監視された島に潜り込むことは、難しくはないだろう。
そして、神々の目すら欺けるというのも、ミドガルドならばむしろ納得が行く。
「極めて複雑な処理を必要とするため、現状、投影装置の小型化は無理な上、完成させることができたのもこの船に搭載している一台限り。さすがに個人の資金では、これ以上のものは作れないでしょうな」
「ミドガルドさんでもか……って、個人の資金?」
「ええ。投影装置の開発には、国は一切関わっておりません。わたしが魔王の島に堂々と乗り込むために必要と考えたがために個人的に研究し、開発したのですよ。その資金も、わたしの懐から出たものです」
「はあ……」
「まじ?」
「どうしてそこまでして……」
「それはもちろん、ウルクに会うため……というのは冗談として」
彼は冗談めかしていったが、その発言が半ば本気であるということにその場にいるだれもが疑いを持たなかっただろう。
ミドガルドのウルクに向ける感情は、父親がたったひとりの愛娘に向けるものと同じだ。
いや、それ以上であるかもしれない。
ウルクは、ミドガルドが最初に起動させることに成功した魔晶人形であり、最初に感情を持ち、自我を芽生えさせた魔晶人形でもあるのだ。それ以降、数多くの魔晶人形を世に送り出してきているが、それら魔晶人形にウルクと同じく自我を芽生えさせたものはいないという。
つまり、ウルクは唯一の例外といっても過言ではないのだ。
ミドガルドが彼女に特別な愛情を持っていたとして、なんら不思議ではない。
そして、そんな彼女に会いたい一心で新たな船と魔晶機械を開発したというのであれば、素直に納得できるというものだ。
「あなたに渡すものがあったからですよ、セツナ殿」
無論、それも理由のひとつではあるのだろうが、セツナには、ミドガルドが多少の照れ隠しをしているような気がしてならなかった。
ウルクを溺愛している彼のことだ。直接逢う機会が訪れることがない以上、強引にでもそのための目的を作り、方法を生み出したのだとしてもなにもおかしいことではない。
そのために考案された目的がセツナに関することだというのも、彼が直接出向いてくる動機としては十分なものではないか。
「俺に?」
「それはつまり、いつもの方法では問題があるものなのでございますね?」
レムのいういつもの方法とは、彼が秘密裏にセツナたちに物資を送り届けてくれる際の方法であり、それはヴァーシュ島の浜辺に様々な物資を漂着させるというやり方だった。
大戦後、一部国家によって独占されていたに等しい航海技術が、世界連盟によって世界中の国々に普及された。以来、たかだか二年足らずでイルス・ヴァレの大海原を行き交う船が激増している。
その際、ヴァーシュ島の近海を渡ることは世界連盟によって禁じられているのだが、例外がないわけではなかった。
たとえば、聖王国印の運搬船がその例外のひとつだ。
世界連盟において大きな発言力と権限を持つ神聖ディール王国は、その大いなる権限によって自国製の船による航行の制限を限りなく少なくさせた、という。しかも、それが世界連盟に連なる国々を援助するためだという大義名分を掲げていたこともあり、反対する声はごく少数に留まり、聖王国印の船は、世界中を自由に行き来できる数少ない例外となったのだ。
故に、ミドガルドは、セツナたちに様々な物資を手配し、送り届けることができるようになった、というわけだ。
ただし、その方法にはまったく問題がないわけではない。
島周辺の海流を徹底的に調べ上げた上での方法なのだが、時折、物資が届かないことがあった。元より、不完全な方法だ。予期せぬ事故や失敗は付きものだ。
セツナたちとしても、その失敗でミドガルドに不満をぶつけたことはなかった。
ただ、感謝だけをしている。
「然様。なにせ、貴重かつ精密な機械ですからね。万が一のことがあっては困りますし、なにより、セツナ殿と同期させる必要がありましたから」
「同期? なんじゃそれは」
「まあ、その話はまずは置いておきましょう。ほかにも届け物……いえ、届けびとがおりましてね」
「届け……びと?」
聞き慣れない言葉に首を傾げていると、ミドガルドがなにもない虚空を見遣った。小型魔晶船が停泊しているという場所を見たのだろう。すると、なにもないはずの虚空からにじみ出すようにして、見知った人物が姿を現した。