第三百七十話 破滅の足音
「ガンディアの本隊が、五方防護陣を突破したそうだ」
「やはりか」
オリアン=リバイエンの報告を冷静に聞き入れることができたのは、彼が覚悟していたからだろう。その場にいた彼以外の面々は、一様に驚きを隠せていなかったからだ。唯一、神将セロス=オードだけは、動揺ひとつ見せなかったが。
龍府の壮麗な南門の元に集ったのは、総勢二千人からなる精鋭の龍眼軍である。そのうち、龍眼軍の指揮官である神将セロスと副官、部隊長たちだけが、ミレルバスの周囲に集まっている。ミレルバスの周囲は、いわば本陣なのだ。堅牢な城壁に護られた首都の中に本陣もなにもあったものではないのだが、気分としてはそういうものがあった。
龍府中に分散していた軍勢を掻き集めてみれば、中々に壮観ではあったが、ガンディア、ルシオン、ミオンの三国混成軍を迎え撃つには、あまりにも戦力が足りなかった。そして、戦力差を補うための守護龍は、オリアンの報告通り突破されてしまったのだ。部隊長たちの顔が青ざめるのも無理はなかった。
破滅の足音が聞こえる。
「ヴリディアの守護龍は黙殺されたか。いかな守護龍といえど、無敵の盾を破壊することはできなかったようだな」
ミレルバスが告げると、オリアンは涼しい顔で肯定してきた。
「御明察」
彼の目も声も笑ってはいない。彼が大見得きって召喚した守護龍がこうも簡単に突破されては、彼も立つ瀬がないだろう。オリアンの長年の研究成果なのだ。そのためだけにメリスオールのひとびと、五砦の住人、龍牙軍の命を捧げた。
多くの、あまりにも大量の命を捧げなくてはならなかった。でなければ、召喚を維持できなかった。それほどに不安定な術であり、不完全な技術なのだ。だからこそ、オリアンは、守護龍の召喚は最終手段としたのだ。開戦当初に使えば、守護龍がガンディア軍との戦闘に入る前に維持できなくなっていたかもしれない。
果たして、五方防護陣に駐屯していた龍牙軍を失うだけの価値はあったのだろうか。ミレルバスが愛したゼノルートも死んだ。ゼノルートだけではない。数え切れない国民が、この龍府を一時でも守護するためだけに死んでしまった。
守護龍の糧として、光の中に消えた。
早まったのではないのか。
彼は胸中で頭を振る。守護龍の召喚に踏み切らず、五方防護陣が健在であった場合、ガンディア軍はとっくにヴリディア、ビューネル、ファブルネイアの砦を突破し、龍府に肉薄していたに違いない。いや、肉薄どころではあるまい。龍府にはガンディア軍の兵士が雪崩れ込み、破壊の限りを尽くされていたかもしれない。
(……龍府の余命が延びたまでだ)
ミレルバスは内心、冷ややかに笑った。
ガンディア軍がヴリディアを突破したということは、明日にも龍府の目前に迫るということだ。龍府への攻撃が数日先延ばしになっただけのことに、どれほどの意味があるのか。
ひとつだけ意味があるとすれば、ミレルバスの決意が覚悟に変わったということくらいだろう。
(それだけで上出来か)
自分にしては、上手くやれたのではないか。
そんなことを考えながら、彼はオリアンの目を見ていた。異彩を放つ瞳は、いつになく超然としている。この状況を心底愉しんでいるのがわかる。困った男だ。
「血を流した価値はなかったか」
「それはどうでしょうな。おかげで、こちらにも勝ち目が見えました」
「ほう?」
「ガンディア軍は、守護龍を黙殺するために切り札を使ったのです。守護龍を黒き矛と白き盾に釘付けにすることで、彼らはようやく五方防護陣を突破できた。とはいえ、守護龍の攻撃を恐れるガンディア軍が、即座に矛と盾を招集できますかな?」
「無理だな。守護龍を抑えておく必要がある」
守護龍の勢力圏がどれほどのものかはミレルバスにもわからない以上、ガンディア軍にとっても不明に違いない。であればこそ、ガンディア軍は守護龍を放置することができないのだ。龍府に向かう本隊とは別に、いくらかの戦力をヴリディアに残していく必要がある。それもただの戦力では駄目だ。ガンディアの弱兵であれ、ルシオンの精兵であれ、ごく一般の戦力では、守護龍に蹴散らされるのは火を見るより明らかだ。
守護龍を引き止めておくために強力な武装召喚師を用いるのは、ミレルバスにだって想像できたことだ。黒き矛のセツナと《白き盾》のクオンの両者とヴリディアに残すなどとは思いもよらなかったが。
(大胆なことをするものだ)
ミレルバスは呆れるように感心した。ガンディア最大の戦力であるセツナ=カミヤと、《白き盾》の団長の両者を残していくなど、普通では考えられない。
クオンは、わかる。
シールドオブメサイアの能力がなければ、守護龍の猛攻に耐えられないのは自明の理だ。彼を使うのは必然だった。
守護龍を抑えておくだけならば、クオン=カミヤひとりに任せるのもひとつの手ではあっただろう。クオン自身の戦闘能力などたかが知れてはいるが、無敵の盾は、守護龍の攻撃を耐え抜いたのだ。クオンひとりで、守護龍を封殺できたかもしれない。
しかし、ガンディアはそれをしなかった。
クオンひとりに任せるという賭けに出なかったともいえる。
クオンひとりに任せるよりは、セツナをつけたほうが戦力的には安定すると見たのか、どうか。
なんにせよ、ザルワーンにとって最大の難敵である黒き矛と白き盾がガンディアの本隊に帯同しないということは、オリアンのいう通り、勝ち目が見えたということでもある。ミレルバスの望みも叶うかもしれない。
「矛と盾なきガンディア軍など、恐るるに足らず。国主様の望むままに蹂躙し、レオンガンド王の御首を頂戴さすれば、我らの勝利は間違いなく」
舞台役者にでもなったかのようなオリアンの物言いに、ミレルバスは苦笑を隠せなかった。
「龍府に迫るは七千に及ぶ大軍勢。されど、肝心の主力が不在では、その戦力もたかが知れている」
セロス=オードが声を励ますと、龍眼軍の副官と部隊長たちは姿勢を正した。オリアンの報告に驚いていた面々も、いまでは覚悟を決めたかのように静まり返っている。
(それはそうだろう)
セロスがザルワーンの軍部から選び抜いた人材なのだ。それはつまり、ミレルバス政権でなければ日の目を見なかったものたちでもある。セロス自身、ミレルバスが国主でなければ、ミレルバスが人材発掘に尽力するような人間でなければ、龍眼軍の指揮官にまで上り詰めることなどできなかった。天将位、聖将位、そして神将位を歴任することなどなかったのだ。
「我ら龍眼軍は二千人あまり。七千のガンディア軍に比べればちっぽけなものかもしれない。しかし、勝機はある。勝算はあるのだ」
言葉を選ぶ必要はなかった。
セロス自身、勝利の可能性が見えてきていた。オリアンの報告は、曇天に差す光そのものだった。暗闇の向こうに光はあったのだ。話に聞く黒き矛と《白き盾》という、ガンディアの主戦力が帯同していないというのは、それだけで大いなる可能性を見出させた。
鉄壁の盾も、凶悪な矛もないのだ。それだけで、付け入る隙が生まれるはずだ。
もちろん、ガンディア軍は、ふたりの武装召喚師抜きにしても強力無比な軍勢だ。
ルシオンの白聖騎士隊や精兵、ミオンの騎兵隊は強敵だったし、傭兵団《蒼き風》の突撃隊長の勇名はセロスも聞き及んでいる。それに《白き盾》。団長がいなくともふたりの武装召喚師は凶悪であり、クオンの懐刀である剣士も注意すべき存在だ。
ガンディアの正規軍のうち、ログナー人で構成される部隊はもっとも注意するべきだろう。ログナー人は精強で聞こえているだけでなく、ザルワーンへの根深い恨みがある。ログナーを支配して以来、まともな政策を行ってこなかったつけが、ここにきて回ってきている。
考慮に入れなくていいのは、ガンディア人の部隊くらいのものだ。ガンディア軍人ほどの弱兵は、古今聞いたことがないというくらい、彼らは弱い。脆弱で、怯懦。だからこそ派手な甲冑で着飾るのだろう。外面を取り繕うことで、内面の弱さを隠そうというのだろう。
無駄な足掻きだ。
どれだけ派手に着飾り、華麗な鎧を身に纏ったところで、戦闘の結果に影響することはない。ガンディア軍人など、龍眼軍の精鋭を用いずとも一蹴できるだろう。
純粋な意味でのガンディア軍など、端から敵ではないのだ。ガンディアに与する連中こそが敵であり、中でも最大の壁となって立ち塞がると思っていたのが、クオン=カミヤだった。
無敵の盾を展開されれば、こちらがどれだけ全力で戦おうと、すべてが無駄になる。死を賭した突撃も、無敵の防壁に阻まれれば、無駄死ににならざるを得ない。王の御首を頂戴するという目的も達成できなくなる。
クオン=カミヤひとりで、すべてが台無しになるのだ。
そういう意味では、守護龍の存在はおおきかったのだろう。クオン=カミヤのみならず、セツナ=カミヤまでヴリディアに釘付けにできた。
勝機が見えた。
「我らはミレルバス様に見出され、ミレルバス様に重用され、ミレルバス様に引き立てられた。ミレルバス様あればこそ、いまの我らがある。先主の時代が続いていれば、我らがここに立つことなどなかっただろう」
セロスの言葉に対し、部下たちが反論を浮かべることはなかった。だれもがセロスに見出されたのだ。セロスがミレルバスによって引き立てられたという事実がある以上、彼の言葉を否定することはできない。
セロスの脳裏を過るのは、マーシアス=ヴリディアの時代だ。ザルワーンにとってまさに暗黒時代といってもよかった。支配階級も被支配階級も、マーシアスという暴君の前では為す術もなかったのだ。ミレルバスもオリアンも、マーシアスの命には唯々諾々と従うよりほかなかった。
マーシアスが病に倒れ、ミレルバスが国主の座についたのが七年前。
ザルワーンは変わった。少しずつだが、確実に変化を始めていた。すべてが良い方向に変わっているとは言い難いかもしれない。支配階級の連中にとっては寝耳に水のような変革であり、被支配階級の人々の中にも、急激な変化を歓迎しないものも少なくはなかった。それでも、マーシアスのような暴君を二度と生み出さないようにするためにも、必要不可欠な変化だった。
「わたしは、ミレルバス様のために戦い、ミレルバス様のために死ぬことを夢見てきた」
セロスがそう思うようになったのは、ザルワーン軍における最高位である聖将を拝命したときからだ。軍人として登りつめたのだ。これ以上、望むものなどなかった。ただ、ミレルバスに受けた恩を返したい。その気持ちばかりが強くなった。
「わたしもザルワーン軍人だ。戦場で死ぬ事こそ本望だと想っていた」
国のために死ね。
ザルワーン軍人が最初に叩き込まれる考えだ。死ぬのならば、国のために。生も死もザルワーンのために。ザルワーンの繁栄のために。ザルワーンの将来のために。
「だがいまは、ザルワーンではなく、ミレルバス様のために死にたいのだ」
告げて、副官たちの顔を見回した。異存はないという目つきだった。だれもが、ザルワーン軍人としての教育を受けてきて、その上でミレルバスに恩義を感じている。ミレルバスのために命を懸けることを躊躇いはしないだろう。
死を恐れていないわけではない。
だれもが普通の人間だ。軍人として訓練を積んだ、通常人に過ぎない。死を恐れ、その上で勇猛を振るう戦士に過ぎないのだ。だれだって死にたくはない。戦争などしたくもない。軍人になりたくてなったわけではないものも少なくはないのだ。選択肢などなかった。生きるために仕方なく、軍人としての道を歩みだした。
そして、幾多の戦場を生き抜いてきた。
死は恐ろしい。だが、決して立ち向かえないものではなくなっていた。
「戦おうではないか。ミレルバス様のために」
「ミレルバス様のために!」
ひとりが、叫んだ。
「ミレルバス様の勝利のために!」
大音声が、龍府の空の下に響き渡った。