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エピローグ(十五)


 故障したかもしれない魔晶焜炉については、今日来訪予定のミドガルドに見てもらうことにして厨房を出ると、ミリュウとウルクがついてきた。尋ねる。

「厨房はいいのかよ?」

「あんな煤だらけの厨房で調理なんでできるわけないでしょ! 掃除もしなきゃだし」

「そうか……そうかもな」

「まずは掃除のための人員確保よ!」

「おまえとウルクだけでなんとかなるんじゃ?」

 当然の疑問をぶつけると、ミリュウは図星を突かれたとでもいうような反応を見せたが、すぐさま反論してきた。

「なるけど、ならないのよ!」

「意味がわからん」

「もう、なんでこういうときだけ鈍いわけ? あたしは、いま、セツナと一緒にいたい気分なの! そうなっちゃったのよ!」

「……まあ、別になんでもいいが」

「なんでもいいなら聞かなくたっていいでしょ!」

「ああ、そうだな」

 こういうときのミリュウの意見には逆らわないほうが無難である、とは、セツナの経験則であり、これまでに学習してきた通りに対応すると、彼女もなにもいわなくなった。その代わりといってはなんだが、ミリュウがセツナの左腕に絡みつくようにして引っ付いてくる。

 背後からはラグナが抱きついてきていることもあり、歩きづらいことこの上なかったが、いまは辛抱するしかない。

 ミリュウは気分屋なところが多分にある。特にこの二年で彼女のそういった部分が際立ち始めている。戦場を離れ、平穏を満喫するようになったからなのか、なんなのか。

 ファリア曰く、

『平和ボケなのよ、きっと』

 とのことだが、そこに異論を挟めるわけもなかった。

 実際、その通りなのかもしれない。

 大きな、本当に大きな戦いが終わった。

 世界全土だけでは飽き足らず、数多の異世界を包括する百万世界そのものを巻き込み、その存亡を賭けた戦いがセツナたちの勝利によって幕を閉じた。

 彼女は、それまでほとんどずっと命を懸けた闘争の中に身を置いていたようなものだったのだ。特権階級に生まれ、なに不自由なく、箱入り娘として育てられてきたはずなのに、突如として魔龍窟などという地獄に投げ込まれ、生きるか死ぬかの戦いを強いられた。魔龍窟を出た後も、死の影が舞い踊る戦場とは切っても切れぬ縁であり、平穏とは程遠い半生だったのだ。

 それが、いまや戦場こそが遙かに遠い存在となってしまった。

 武装召喚師としての鍛錬や研鑽こそ怠っていないとはいえ、常に戦場の中にいるような緊張感などあろうはずもなく、それ故、彼女がいままで見せなかった部分を覗かせるようになったのだとしても、不思議ではない。

 そしてそれは、なにもミリュウに限った話ではなかった。

 だれもが、そうだ。

 ミリュウを平和ボケといったファリアだって、同じなのだ。平穏とは程遠い、苛烈な人生を歩んできたファリアにとっても、この二年余りの安寧は考えられないものだっただろうし、故にいままでに見せなかった表情を見せるようになっている。

 変わらないものなど、ない。

 世界がそうであるように、なにもかもが変わっていく。

 屋敷の廊下を歩きながら窓の外を見れば、晴れやかな日差しの下、洗濯物を干している従僕の姿が目に止まった。ウルクと同じ、黒と白を基調とした女給服を着こなした少女然とした従僕。

 レムだ。

 彼女は、いままでと同じようにセツナの従者であり、下僕であり、半身として振る舞っていた。相変わらずの黒髪に、セツナと同じ紅い瞳、背丈も伸びず、体重も変わらない。十三歳のころから変わっていない体格は、一部のものにとっては羨ましいことなのだろうが、彼女としては悩ましいことこの上ない問題だった。

 が、そればかりは致し方がない。

 彼女が、仮初めにも生きているためには、仕方のない代償のようなものだ。

 そんな小さな体を目一杯使って――というわけでもないが、たったひとりで大量の洗濯物を干している様を見ていると、なんだか申し訳ない気分になってくるのも事実だった。しかし、セツナが手伝おうとすると、不機嫌になるのがレムなのだ。

 主は主らしくふんぞり返っていればいい、というのが、レムの持論であり、従僕としての領分を侵されることをなによりも嫌っていた。

 それも、戦後の変化かもしれない。

 より、役割をはっきりさせるようになった、という意味で。

「レムひとりでいいのか?」

「先程まで手伝っていたのですが、厨房からけたたましい悲鳴が聞こえたので、先輩に命じられるまま駆けつけてきたのです」

「じゃあ、手伝いに戻ったら? もうこっちは心配ないんだし」

「はい。そうします。では、セツナ。行って参ります」

「あ、ああ。レムにもよろしくな」

「頑張るのじゃぞ、後輩よ」

「はい」

 ウルクは、セツナたちに一礼すると、素早く廊下を駆け抜けていった。人間には真似のできない移動速度であり、あれならば、すぐさま庭に出て、レムの元に辿り着けることだろう。

 すると、ミリュウがラグナを振り返った。

「って、あんたはいいの? あんたも一応、セツナの従僕でしょ」

「先輩と後輩には先輩と後輩の、わしにはわしの役割があるのじゃ。そして、わしはいま、だれよりも重大な役割を果たしておる。そうじゃろう、セツナ」

「……まあな」

 背後から強く抱きしめてくるラグナに仕方なくうなずくと、強い視線を感じて、左を見た。訝しむようなミリュウのまなざしは、鋭く、強い。

「なんだよ?」

「やっぱり、ラグナを人間態にさせてるのって、セツナの趣味でしょ?」

「なんでそうなんだよ!」

「だって、嬉しそうだもん」

「どこがだ!」

「じゃあ、嫌なの?」

「そういうことじゃなくてだな」

「ほれほれ、わしのことで喧嘩をするでない」

「なんであんたが仲裁するのよ」

「まったくだ」

「ふふん」

 なにやら勝ち誇るような反応を見せたラグナに対し、セツナもミリュウもともに脱力するほかなかった。

 ラグナが四六時中セツナにくっついているのは、彼女がいったとおり、ほかのだれにも真似のできない重大な役割であり、重要な意味を持っている。

 異空の果てからイルス・ヴァレに帰還を果たしたセツナたちだったが、そのとき、セツナは思い知ったのだ。自身にかけられた神の呪いがいかに凶悪で、強力無比なのか。異空の果てでは、魔王の庇護下にあったがためにどうとでもなっていただけなのだ。

 目の前が真っ暗になり、なにも聞こえなくなり、ほかのあらゆる感覚も消失した。生きているのか、死んでいるのかさえわからなくなっていった。無音の闇の中に浮かんでいる、そんな感じ。声を出そうとしても声は出ず、耳を澄ましてもなにも聞こえず、手を伸ばそうとしても動いている感覚はなく、足掻いても足掻いても、意味はない。

 そんなセツナの危機的状況を察したファリアたちが大騒動の末に導き出したひとつの回答が、ラグナだった。

 ラグナがセツナに直接魔力を送り込み、すべての感覚を強化したのだ。

 それによって人並みの生活が送られる程度には回復したセツナを見て、ファリアたちもやっと安心したものだった。

 だが、後に、ラグナがセツナから少しでも離れると、同量の魔力を送り込んでもなんの意味もなさないことが判明したため、ラグナには、セツナにくっついておかなければならない、という使命感が生まれたようだ。そして、それがセツナにとっての死活問題でもあるため、だれも文句をいえなかった。

 ミリュウも口ではラグナにあのようなことをいっているが、感謝してもいるのだ。

 セツナがこうして日常生活を送ることができているのは、ラグナのおかげ以外のなにものでもなかった。

 

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