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エピローグ(十三)

 平穏というのは、退屈なものというのが定番だ。

 いつも通りの生活、代わり映えのしない風景、揺らぐことのない日常――それらは、ともすれば停滞しているようにも思えなくもない。なにせ、なにも変わらないのだ。なにか悪いことが起きる様子も、不穏な気配もなければ、生活習慣さえも一定だ。

 それこそ、待ち望んだ日々だったのだろう。

 だが、しかし。

 彼が手に入れた平穏な日常というのは、そういった退屈さとは無縁のものだった。

 まず第一に、安寧に満ちた静寂などどこにもなかった。

 いや、たまにはある――ような気がしないでもない。

 たとえば、だれもが疲れ果てた午後の一時などは、午睡に浸ることだってできなくはないのだ。

 しかし、大抵の場合、そんな穏やかな時間さえ、破壊された。

 一瞬にして、徹底的に、粉微塵となった。

「あああああっ!?」

 声高に響き渡ったのは、ミリュウの絶叫だ。

 屋敷そのものを揺るがすだけでなく、倒壊させるのではないかと思われるほどに強烈な叫び声は、今日もまたなにかしらの事件が起きたことの証明以外のなにものでもなかった。

「なんだよ……こんな時間に……」

 セツナは、耳朶に突き刺さり、鼓膜を激しく刺激した悲鳴に眉根を寄せた。重い瞼をこじ開け、視界を塞ぐ物体を手で掴み取る。新聞紙だ。大陸から取り寄せているそれには、紙面一杯に今日の出来事に関する記事が載せられており、彼はその記事を読みふけっている間に寝てしまったのだ。

 文字を読むのは、この頃になって獲得した趣味だ。それまでは文字のことを考えるだけで頭が痛くなるくらいの文字嫌い、文章嫌いだったのだが、戦場が遠ざかり、筋肉を衰えさせない程度の鍛錬くらいしかやることがなくなってからというもの、本を読むようになった。

 それもファリアやミリュウの勧めもあってのことだし、彼女たちが勧めてくれる本は読みやすく、ためになった。

 おかげで、いまでは活字中毒なのではないかと心配されるくらいに読書に夢中だった。これまで想像したこともない世界が、本の中の文字の宇宙に広がっているのだ。夢中にならないわけがなかった。

 そして、それもあって、これまで書き綴られていた自分たちに関する新聞記事などに改めて目を通し、過去を振り返ったりもした。いまとなっては、すべてが夢幻のような、そんな日々を。

 新聞紙を長椅子の背もたれに置いていると、だれかが欠伸を漏らした。

「ふあぁ……なんじゃ……ミリュウのやつかのう?」

 長椅子に寝そべるセツナの腹を枕にするという変則的な格好をしているのは、ラグナだ。人間態の彼女は、押しも押されぬ美女であり、肉感的な肢体を簡素な衣服で包み込んでいる。翡翠色の長い髪を後ろでひとつに束ねているのは、衣服同様動きやすさを重視しているからだ。

 竜属である彼女にとって、衣服を着ること事態考えられないことなのだが、人間態や竜人態の間は、人前では決して裸にならない、と、ファリアたちに念入りに約束させられている。そうでもしなければすぐにでも服を脱ぎだし、真っ裸で走り回りそうなのだから、致し方がない。

 いくらここにセツナたちと親しくないものがいないとはいっても、なにかと問題があるだろう。

「今度はなにをやらかしたのやら……」

 セツナは、ラグナがゆっくりと起き上がるのを待った。そして、彼女に手を引かれるようにして席を立つと、そのまま流れるようにしてしがみついてくるラグナを振り解こうとはしなかった。

 書斎から廊下に出て、声がした方向に歩き出す。

「あっちから……だったな」

「うむ。わしの耳に間違いはないぞ」

 竜王が耳元で眠たそうに囁いてくる。

 セツナ自身、半覚醒状態に近く、すぐにでも昼寝に戻りたかったのだが、ミリュウをあのまま放っておくとなにをしでかすかわかったものではない。なにかしらの騒動真っ只中のミリュウを放置して碌な目に遭ったことはなかった。

 もっとも、それは、これから渦中に飛び込んだとしても同じことなのではないか、と想わなくもない。

 が、いくしかない。

 竜が通れそうなほどに広い廊下の先、進行方向が、濛々と立ちこめる煙によって見えなくなっていることに気づく。

「なんじゃ、あれは」

「厨房……ミリュウ……!」

 セツナは、嫌な予感に突き動かされるようにして、廊下を走った。煙が吹き出しているのは、厨房の中からだ。つまり、ミリュウは、厨房の中で煙に巻かれている可能性がある。いくら武装召喚師とはいえ、平時においてはただの人間なのだ。もし、火事などが起きて、煙に巻かれでもしたら、大変なことになる。

 急いで廊下を駆け抜け、厨房の目の前に到達すると、ラグナにいった。

「煙をなんとかしてくれないか」

「主の頼みじゃ、任せよ」

 気怠そうにいいながらも、ラグナはセツナの背後から右手を差し出した。白くしなやかな指を鳴らすと、それだけで目の前の煙が吹き飛び、視界が開けた。厨房の中まではっきりと見通せる。

「ミリュウ、だいじょうぶか!」

「全然だいじょうぶじゃない!」

 まったくもってだいじょうぶそうな声で、相反する内容の返事が飛んできたものだから、セツナは困惑したものの、厨房の中に足を踏み入れた。すると、あまりの焦げ臭さに顔をしかめざるを得なくなり、さらに歩を進めると、焜炉を前に憤然と佇むミリュウの姿が目に飛び込んできた。

「……だいじょうぶそうじゃが」

「どこがよ!?」

 ラグナが憮然とつぶやけば、ミリュウが信じられないとでも言いたげな顔でラグナを睨んだ。相変わらずの真っ赤な髪をやや短くしたいつもの彼女は、碧い瞳でこちらを見ている。身につけているのは、体型を強調するような普段着であり、その上から調理用の前掛けを纏っている。しかし、その可憐ささえ感じられる姿も、煙まみれのせいで台無しだ。

「どこがって……」

「大失敗よ!」

「……ああ、そう……」

「ああそうってなに!? あたしが愛しいあなたのために丹精込めて作ってた料理が、完全無欠に壊滅的被害を受けてしまったのよ!?」

「それは……その……なんというか……」

 予期せぬミリュウの剣幕にしどろもどろになりながら焜炉の上の鍋の中を覗き込むと、確かに彼女のいうとおりの惨状が展開していた。なにを具材にどのような料理を作ろうとしたのかわからないほどに、なにもかもが焼け焦げてしまっており、原型を失っているのだ。どうすればこのような状況になるのか、まったく想像もつかなかったし、理解もできなかった。

 ミリュウは、別段、料理が下手なわけではない。

 ガンディア時代から隊舎で手料理を作ってはセツナに食べさせてくれたものだし、ゲイン=リジュールに調理の手解きを受け、ゲインをして調理人になれるといわしめたほどだったのだ。

 それがなぜ、これほどまでに壊滅的な惨状を生み出すに至ったのか。

「これでは食えぬな」

「当たり前よ! こんなの出したらセツナの愛妻の名が廃るわ!」

「だれが愛妻なんだ、だれが」

「あ・た・し」

 愛情たっぷりに当然のように断言してきたミリュウだったが、すぐさま視線を鍋に戻した。

「これのせいよ、これの」

 そういって彼女が睨み付けたのは、鍋の下に置かれた焜炉だった。

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