エピローグ(十一)
「ならば、いますぐ戻るべきだ」
レイオーンは、当然の道理を説いた。それこそ、王家の人間にして、次代の国王たるものの務めではないのか。
しかし、レオナは、頑なに首を縦に振らなかった。
「式典が最重要事項なのはわかっている。しかし、友の誘いを無下にするわけにもいくまい」
「友……か」
「うむ!」
レオナが、レイオーンの言葉に力強くうなずくと、同じく銀毛の獅子の背中から振り落とされまいとしがみついている男児と、平然とした態度で横座りしている魔王姫を見たようだった。
レオナがレイオーンを駆って王宮内を爆走しているのは、ひとえに、ふたりのせいだった。
ガンディアの守護獣たる精霊レイオーンにしてみれば、厄介なことこの上ない存在だ。が、同時に、レオナの保護者であり、彼女を実の親以上に見守ってきた身の上からすれば、これほど頼もしい存在もなかった。
レオナには、友と呼べる人間が限りなく少ない。
レオナに関わる人間は多い。それこそ、数え切れないほどにいて、だれもがレオナを心の底から気に懸けている。だが、レオナにとって本当の友といえるのは、軍神ナーレスの遺児ミレル=ラグナホルンくらいのものであり、それに次ぐのがいま彼の背に掴まったり座ったりしているふたりなのだ。
メキドサールの魔王の姫とエンジュールの守護の子が、なぜ、ガンディアの王女と知り合い、友達と呼べる間柄になれたのかといえば、大戦の真っ只中のことだった。
三年前、いまよりもずっと子供だった当時のレオナは、死と絶望が跋扈する戦地に兵士たちを送り出すことしかできなかった。子供なのだから当然なのだが、子供だからこそそんな道理を受け入れられなかったのだろう。ただ兵士たちの無事を願い、勝利を祈ることしかできない己の無力さに打ち拉がれ、嘆いていた。
子供だからこその無邪気さがそうさせたのだろう。
そんなレオナと同様の気持ちを抱いていたのが、魔王の姫ことリュカであり、守護の子レイン=ディフォンだった。
三人は、出逢って早々に気持ちを分かち合い、まるで何年も前からの友人であるかのように振る舞うようになった。
さらには、大戦最終最後に行われた史上最大の裏切り行為は、セツナに英雄を見ていた三人の気持ちをひとつにした。
あれから三年。
ほとんど逢う機会はなかったものの、三人の間では手紙でのやり取りがずっと続いており、その様子を微笑ましく想っていたのがなにを隠そうレイオーンだった。
新生ガンディアの女王となるべく生まれ育ったレオナが、ただの無邪気な子供に戻ることができるのは、同年代の子供たちと触れ合っている時間だけであり、その時間ほど尊いものはない、とも、レイオーンは想っていた。
だから、リュカの提案にレオナが乗ったときも、三人が三人とも彼の背に昇ってきたときも反対できなかった。
厳重極まりない警備と監視が目を光らせた王宮大広間こそ慎重に慎重を重ねて抜け出せば、あとは楽なものだ。
ガンディアの守護獣たるレイオーンの進路を阻むものなど、この王宮には存在しない。重臣であろうと、近衛であろうと、番兵であろうと、彼の行く手を阻むことはできない。たとえそれがこの国の太后であったとしても、だ。
彼は、ガンディアに守護獣であり、建国以来見守り続けてきた精霊なのだ。
その加護がガンディアの歴史に寄与することこそなかったものの、レオナがこうして逞しく立派に成長できているのは、ひとえに彼のおかげといってもいいだろう。
そう、彼は自負していたし、彼の働きはだれもが認めるところだった。
レオナでさえ、レイオーンに感謝していた。大抵の場合、レイオーンの言に従い、自分の意見を引っ込めるのだって、その現れだろう。レイオーンを父の如く敬い、母の如く慕ってくれている。ときには、友の如く扱ってくれもした。
そんなレオナがレイオーンは大好きだったし、彼の忠告を振り切り、魔王姫の提案に乗ってしまったことにも一定の理解を示したのも、レオナのことをよく知っているからだ。
いずれ、ガンディアが再興された暁には、幼いながらも女王となり、国を引っ張っていく立場になることがその小さな頭でしっかりと認識している。
獅子の国の女王に相応しい人間になるべく、日夜、勉学に励み、研鑽を積み、修練を重ね、礼節を学んでいるのがレオナなのだ。
そのようなレオナだからこそ、この式典の重大さを痛いほど理解しているはずなのだが、しかし。
「仕方があるまい」
「うむ。仕方がないのだ」
王宮の外へ出た瞬間、毛並みに隠していた頭を突き出して、レオナが鷹揚にうなずく。
「わたしは、友の頼みとあらば、地獄のような戦場にだって向かうぞ」
レオナが声高に断言すると、彼の背に乗ったもうひとりが軽やかに笑った。
「地獄が待っているのは、この後のことですわ。獅子姫様」
「なんで他人事みたいなのさ……リュカが誘ったんじゃないか」
レイオーンの背から振り落とされまいと懸命に掴まりながら、レイン。
「あら、レイン。あなた、いつからこのリュカに意見できるようになったのかしら」
「む。リュカよ。そなたこそ、いつからレインにそのような口の利き方をできるようになったのだ?」
「あらあら、御存知なかったのですか、獅子姫様。レインはリュカの下僕にございますわよ」
「げ、げぼく……?」
「大切な友達ってことよ」
「そ、そうか……」
「レイン、納得するでないぞ。下僕というのはだな――」
(まったく……)
暢気なものだ、と、レイオーンは、さっそく背の上でとりとめのない口論を始めた三人の子供たちに、なんともいえない気分になった。
冬とも思えないくらいに穏やかであざやかな日差しとともに、無数の視線が周囲から頭上から降ってきているというのに、まったく意に介していないのだ。大物というべきか、子供故の怖いもの知らずというべきか。
なんにせよ、レイオーンは、白亜の王宮を取り囲むようにして屯している無数の竜属を前に憮然とするほかなかった。
竜属も、式典の招待客なのだ。
しかし、あまりにも巨大過ぎるため、王宮大広間に入れるわけにもいかず、王宮の周囲の空き地を竜属のための会場として解放したのだ。そこには、様々な姿形をした竜たちが所狭しと集まってきており、上空に投影された会場内部の様子を眺めたり、談笑したりしていた。
すると、二種類の声が聞こえてきた。
「なんだ。どこのだれかと思えば、式典の主役ではないか」
「こんなところにいてよろしいのですか? 獅子の国のお姫様?」
ひとつは、どこか物憂げながらも力強さを感じさせる凜とした声で、もうひとつは、この季節外れの日差しのように柔らかで、すべてを包み込む母のような優しさを持った声。どちらも女の声だが、前者の声は若々しく、後者の声は年齢を考えるなど馬鹿馬鹿しいくらいに悠久の時の流れを感じさせた。
その声の主が、蒼白衣の狂女王ラムレシア=サイファ・ドラースと、銀衣の霊帝ラングウィン=シルフェ・ドラースであることは、目を向けずとも分かった。
わかったが、解せぬことがあった。
ラムレシアはともかく、とてつもない巨躯を誇るラングウィンがどのようにしてこの場に姿を見せることができたのか、ということだ。
ラングウィンの巨躯は、山脈のようであり、軽く動いただけで大地の形が変わるといわれるほどだった。建設途中の王宮など、容易く踏み潰してしまうだろう。




