エピローグ(十)
ガンディアの再興。
それは、“大破壊”後のグレイシアらにとっての悲願であり、彼女たちとともにあった旧ガンディア国民にとっても長年の望みだった。
ガンディアが滅亡に近い形で破局を迎えた“大破壊”は、ガンディアのみならず、数多くの国々に多かれ少なかれ様々な影響をもたらした。ある国は滅び、ある国は存亡の危機を迎え、ある国は結束し、ある国は内乱によって息絶えた。また、新たな国が興ったりもした。
“大破壊”による世界への影響たるや、考えるだけで頭が痛くなるほどに重大だ。
故に、ガンディアの復興など夢のまた夢と想われていた。
なぜならば、“大破壊”はともかくとして、“大破壊”後の世界に甚大な被害をもたらしたのは、ネア・ガンディアを名乗る軍勢であり、ネア・ガンディアを率いていたのは獅子神皇だったからだ。そして、獅子神皇は、レオンガンド・レイグナス=ガンディアを名乗る、かつてのガンディア国王そのひとだった。
それこそ、旧ガンディア国民にとって予期せぬ事態であり、最悪の状況だった。
世界中のひとびとに恨まれ、憎まれても仕方がないといった有り様であり、実際、そういった声がガンディアのひとびとに届いていたことだろう。
特にガンディアのひとびとを纏める立場にあったグレイシアは、そんな声ばかり聞いていたかもしれない。
だが、状況は変わった。
“大破壊”の原因も、“大破壊”後の世界の悪化も、聖魔大戦の原因すら、ひとりの魔王に収束してしまった。
ガンディアも、ネア・ガンディアさえも被害者となり、加害者は魔王ひとりとなってしまった。
(いまや魔王一派……か)
ルウファは、ガンディア再興に沸き立つ式典会場の空気にどこか寒気さえ覚えながら、目を細めた。本来この場にいて、主賓とされるべき人物の不在も、彼にしか違和感を覚えさせていないのだ。この二年で慣れたこととはいえ、気味の悪さは拭いきれない。
万雷の拍手の中、壇上のグレイシアが深々とお辞儀をし、聴衆に感謝を示している。
ガンディアの再興が、各国の王族や要人たちによって受け入れられたからだろう。それも想定通りの運びに過ぎないのだろうが、だからといって当然のような態度を取るわけにもいくまい。それで反感を買うようなこともあるまいが、礼儀というものがある。
「どうした? あまり嬉しくなさそうだが」
「なにいってるんですか。嬉しいに決まっているじゃないですか。祖国なんですから」
ルウファは、グロリアの鋭い指摘に慌てて返答しながら、内心、冷め切っている自分に気づいていた。
ガンディアは、愛しい祖国だ。それは、変わらない。生まれ育った国であり、バルガザール家が成立していたのは、ガンディアという国の中にあったからだ。そこで産声を上げ、教育を受けてきたルウファにしてみても、ガンディアとは掛け替えのない存在であり、国のため、王家のために身命を賭すことになんの疑問も持たなかった。
その気持ちは、多分、いまも変わらないだろう。
だから、嬉しいことは嬉しいはずなのだ。
なのに、気分が乗らない。まったく昂揚しない。興奮しない。
それは間違いなく、真実を知っているからだ。知ってしまったからだ。知ってしまった以上、虚構に満ちた事実の上に積み上げられた世界を本物と受け止められず、偽物のように感じてしまうのだろう。
その偽物こそが、この世界を生きるほとんどの存在にとっての真実であり、現実なのだとしても。
「嬉しいことですよ、本当に」
師に本心を伝えられないことは心苦しかったが、こればかりは致し方がない。妻にさえ、真実を伝えられないのだ。
ここにいる自分も嘘なのだ。
本心を悟られないよう、虚偽と欺瞞の鎧で身を包んだ虚像のような存在なのだ。
だから、なのだろう。
この式典の盛り上がりに対し、冷ややかな気分になってしまう。
だれが悪いわけではない。
式典の主催者も、参加者も、だれひとりとして悪くはないのだ。
原因はミエンディアにあり、そのミエンディアが滅び去ったいまとなっては、この怒りをぶつけられる相手などどこにもいない。まったく無関係の他人を怒ったところで、どうしようもないことだ。
ただ、我慢するしかない。
「ガンディアが再興した暁には、必ずや、皆様方の御厚意と御恩に報いることを約束しましょう。そして、皆様方と手を取り合い、より良い世界の実現に向けて、希望に満ちた未来に向かって進みましょう」
グレイシアの演説が最高潮を迎えている。
ガンディアの再興は、おそらく、この場で初めて明かされたことではあるまい。
ガンディアは世界連盟主要各国の承認を経ているはずだ。いくらガンディアが悲劇に見舞われた国とはいえ、大戦の中心だった国を勝手に再建するなど、世界連盟に喧嘩を売るようなものだ。聡明なグレイシアがそのような暴挙に出るはずもなく、故に再興の発表が熱気と祝福でもって受け入れられたのだ。
「それでは皆様にガンディアの次代の女王をお披露目させて頂きたいと――」
グレイシアが穏やかな微笑を湛え、演壇後方を振り返ろうとしたときだった。おそらくレオナを紹介しようとしたのだろうが、その視線の先にはいるべきはずの人物がおらず、ガンディアの関係者が慌てふためいている様がルウファの目にも飛び込んできていた。
「レオナ!? レオナはどこへいったのです!?」
グレイシアが頓狂な声を上げ、騒ぎが一瞬にして拡大していく光景を眺めながら、ルウファはくすりと笑った。
ガンディアの王女レオナが忽然と姿を消した原因が、なんとはなしに理解できたからだ。
おそらくは、魔王の姫だろう。
悪戯好きと評判の魔王姫ならば、退屈を持て余すに違いないこの式典でなにかしらの騒動を起こしたとしても、なんら不思議ではなかったし、その騒ぎにレオナ姫が巻き込まれたとしてもおかしくはなかった。
魔王姫と獅子姫は、同年代だ。
子供が騒ぎを起こす理由など、その程度のものだ。
(まあ、こういうのなら、悪くはない、かな)
ルウファは、かつての獅子王宮大広間を再現したかのような式典会場が騒がしくなっていく中、ただひとりおかしみを堪えていた。
「こんなことをして、良いのか?」
「良いわけがあるまい」
レイオーンの背に乗り、膨大な銀色の体毛に隠れるようにして身を伏せながらも、レオナははっきりといった。
「式典の主役はわたしなのだぞ」
とは、彼女が実の祖母でありガンディアの太后であるグレイシアや、ガンディアの重臣たちから散々聞かされたことだ。
大戦終結から三年が経過した今日を記念するべく開催された式典は、大戦で命を落とした偉大なる戦士たちの霊を慰め、魂を鎮めるためだけでなく、ガンディアという国の再興を大々的に発表する場でもあった。
魔王によって散々利用された挙げ句、滅ぼされ、その亡骸さえも蹂躙され尽くした悲劇の国ガンディア。獅子神皇を名乗り、ネア・ガンディアを率いたかつてのガンディア国王レオンガンドもまた、悲劇の主役だった。そんな悲哀に満ちた国の再建には、多大な労力が必要だったが、神々の助けによって、それはいままさになされようとしていた。
この、いま彼女が銀獅子レイオーンの背に跨がって駆け抜けている王宮こそが、その象徴だ。
ガンディア小大陸の中心近く。
かつて、聖魔大戦の最終決戦が繰り広げられ、壊滅的打撃を受けた地に、ガンディア王都ガンディオンが再建され、獅子王宮がその中心に聳えていた。




