エピローグ(七)
「皆様も御存知の通り、ガンディアは、“大破壊”によって半ば滅亡したも同然という状態にありました。“大破壊”を生き残ったわたくしどもが仮にも政府を名乗り、ザルワーン方面の安定に尽力してはいましたが、ガンディアの再興を謳うにはあまりにも力不足でした」
グレイシアの語る過去は、いまや遠い昔の出来事のように感じられた。
たかだか数年前の話だが、“大破壊”後の混乱、大戦中の混迷、大戦後の混沌を乗り越えてきたものたちにとってしてみれば、数年が数十年に感じられたとしても、なんら不思議ではなかったのだ。
ルウファですら、そう感じるのだ。
この場に集まった当事者たちには、さらに昔の出来事に感じられるのではないだろうか。
「そんな折、獅子神皇率いるネア・ガンディアが現れ、このイルス・ヴァレに危機をもたらしたことは、わたくしどもにとって極めて重大な出来事でした」
と、グレイシアは、深刻な表情をして、続ける。
ガンディアという名が忌み嫌われず、大戦の発端ともいえるネア・ガンディアの存在さえも言及することが可能なのには、大きな理由がある。
ガンディアも、ネア・ガンディアも、獅子神皇すらも、被害者である――。
だれもがそのような認識をしているからだ。
理由は、簡単。
ミエンディアによる意識改変、価値観の反転とやらが、セツナをすべての黒幕に仕立て上げてしまったからだった。
本来、ミエンディアこそが聖魔大戦の元凶であり、このイルス・ヴァレを絶望の闇に閉ざしてしまった張本人なのだが、あの瞬間、セツナが世界の敵となり、ミエンディアが救世主となったことで、ひとびとの記憶にまでそのような改変が起きてしまったというのだ。
セツナがすべての敵対者となった瞬間、セツナこそが魔王であり、魔王こそが一連の事件の、大戦の黒幕だということになってしまったのだ。
ひとびとの頭の中で。
竜たちの頭の中で。
神々の意識の中で。
そうなってしまっては、もうどうしようもない。
連合軍の敵として立ちはだかったすべての存在が、その一瞬にして被害者となった。
完全なる加害者は、百万世界の魔王セツナただひとりとなったのだ。
故に、ネア・ガンディアは許され、ガンディアもまた、許された。
むしろ、同情さえされているといっていい。
だからこそ、ガンディアの代表であるグレイシアが、式典の主催者にさえなれたのだ。
「獅子神皇は、我が子レオンガンドの成れの果てだということは、皆様も御存知のことでしょう。どのような理由があれ、レオンガンドがしたことは、決して許されていいことではありません。レオンガンドは、イルス・ヴァレに多大な被害をもたらし、数多の命を奪ったのですから」
グレイシアは言葉を濁すようにいったが、レオンガンドが獅子神皇になったのには、どのような理由があったのかについても、だれもが知っていた。
すべての元凶がセツナになったのだ。
ただ、それだけのことだ。
それだけのことが、この世界の様々な矛盾を解消し、疑問を消し去り、種族や国々の垣根を取っ払い、軋轢を排除し、紐帯を強くしている。
たったひとりの魔王の存在が、イルス・ヴァレをひとつに纏め上げているのだ。
“大破壊”さえも、魔王セツナの手引きとなってしまっている。
最終戦争終盤、ガンディオンから脱出することだってできたはずのセツナが王都に残り、三大勢力を迎え撃った理由さえも、そこに関連づけられてしまっている。
セツナが王都に残った理由。
それは、聖皇復活の儀式を利用するためだった、というのだ。
そして、儀式を利用してイルス・ヴァレに壊滅的打撃を与え、混沌の権化たる魔王の降臨に相応しい状況を作り上げようとしたのだ、と。
だれもがそのように理解し、認識しており、それは、かつてセツナとともに戦ったものたちですら、変わらなかった。
そして、魔王と関わりが深かったものほど、痛みや哀しみ、怒りの感情を抱いているのだ。
この会場では、ルウファだけが、真実を知っている。
「本来ならば、ガンディアを再興しようなどと考えることすら許されないことなのかもしれまん。ですが、世界がこうなった一因がガンディアにあるというのであれば、尚更のこと、なにもせず、見て見ぬ振りをすることなどできないのです」
グレイシアが熱弁を振るえば、聴衆は様々な反応を見せる。その多くは、感動だ。実の息子を魔王に利用されただけでなく、化け物へと作り替えられ、さらに愛する国さえも蹂躙し尽くされたのが、彼女だ。そう、聴衆は認識しているし、だからこそ、彼女の真に迫った発言に心を打たれているのだろう。
ルウファの周囲でも、グレイシアの言葉に感情を揺さぶられているものはいる。かつてガンディアに属していたこともあるグロリアやアスラもそうだが、ガンディアのことなど考えてもいなかっただろう御山会議の老人たちさえも、感動しているようだった。
「どうか、わたくしどもに再び世界に貢献する機会を頂くことはできないでしょうか? ガンディアを再興させ、世界連盟の一員として、この愛しいイルス・ヴァレの平和と安寧のために尽力することを許してくださいませんか?」
グレイシアの問いかけに対し、会場を埋め尽くす数多の国々の王族や要人たちは、そのほとんどが肯定的な態度を示していく。
なんともいえない気分なのは、ルウファくらいのものだろう。
ほかのだれが、この事態に異様なものを感じるというのか。
異様なほどの熱気は感じるだろうが、グレイシアの発言や問いかけに疑問を持つものはいまい。
ルウファは、孤独なのだ。
グロリアやアスラを始め、六大天侍の同僚たちは、いまも仲良くしてくれている。妻との関係も良好だ。国外にも友人知人が増え、生活面においては充実しているといえるだろう。
だが、孤独だ。
まるで大海原にぽつりと浮かぶ孤島のような気分で、彼は式典の成り行きを見ていた。
それがこの世界の選択ならば、彼にはどうすることもできない。
そのとき、不意に視界を掠めたものがあった。
(あれは……)
卓や椅子の下を潜り抜けていく少女と男児には、見覚えがあった。
善き魔王ユベルの愛娘にして魔王姫リュカと、エンジュールの守護エレニア=ディフォンの息子レインではないか。
(また、なにをしでかすつもりなのやら……)
ログナー島三者同盟における問題児二名の動向を見て見ぬ振りをしたのは、結局の所、この式典が気に入らなかったからなのかもしれない。
いや、この世界の現状そのものが、真実を知るルウファには受け入れがたいのだ。




