エピローグ(五)
(とはいえ)
ルウファは、会場に集まった王族要人を見回しながら、考える。
この場に集まっているのは、世界中の国や組織の代表者たちだ。連合軍に参加した国もあれば、ただ見ているだけだったものたちもいる。だが、全員が全員、獅子神皇との最後の戦いを見届け、聖皇の降臨を目の当たりにしているはずだった。
セツナのいう“アズマリアの中継”によって、最後の戦いは、世界全土に知らしめられていたのだ。
だからこそ、あれだけの力が救世神ミヴューラに集まり、また、ルウファたち個々の力となり、勝利をもたらすことができたのだ。
だから、ただ見守っていただけの連中にも、こういう場への参加資格や発言権がない、などといってはならなかった。
もちろん、もっとも多くの戦力を提供した国がもっとも大きな発言力を持つのは当然の結果であり、そこに疑問を持つものはいない。
もっとも大きな発言力を持つのは連合軍に多大な貢献を果たした“竜の庭”だが、銀衣の霊帝擁する“竜の庭”は、世界的な大復興事業以降、人間社会に積極的に干渉する姿勢も見せなければ、こちら側から接触しなければなにもしてこないといった状況だった。竜属と人間、皇魔の融和を目指し、協調共和の道を突き進んでいる“竜の庭”にしてみれば、人間社会に混乱を招きかねないような直接的な関与など望んではいないということだろう。
一方、“竜の庭”と等しく多大な貢献をもたらした神々はといえば、戦後、復興に尽力したことでひとびとの信仰を集め、様々な宗派の神として祭り上げられていた。それが神々にとっては予期せぬ福音をもたらしたようであり、神々は、本来在るべき世界への帰還を願いながらも、そのための暴挙に出る素振りはなさそうだった。
祈りこそが神々の力の源であり、新たな信仰の誕生は、神々にとって喜ぶべき事態を招いたというわけだ。
それは、リョハンの守護神マリクにとっても同様のことだ。
“大破壊”以降、リョハンの守護神として相応しく振る舞っていたマリク神は、いまもなお、リョハンのひとびとを加護し、祝福し続けている。そして、リョハンのひとびとは、そんなマリク神を心の底から信頼し、尊崇し、祈りを届けていた。
竜属や神属に次ぐ発言力を持っているのは、やはり、かつての三大勢力だ。統一ザイオン帝国と神聖ディール王国だろう。
そういう意味ではリョハンもそれなりの発言力を持っているはずなのだが、いまとなってはそれも昔の話だ。
いまやリョハンは問題国であり、腫れ物でも見るかのような視線がそこかしこから飛んできていた。
理由は、ひとつ。
先代戦女神に関連することだ。
先代戦女神ファリア=アスラリアが、出奔したのだ。
それまで戦女神としてリョハンを正しく導いてきたはずの彼女が、突如としてリョハンを離れ、世界の敵に回ってしまったのだから、その衝撃たるや並々ならぬものがあっただろう。リョハンのみならず、世界中の国々に衝撃をもたらし、様々な憶測や疑念を生んだ。
ルウファは事情を知っているが、それをいったところでどうにもならないことも知っている。
それは、ルウファがこうしてリョハンの使節団の一員として顔を並べていることにも、彼自身なんともいえない違和感を覚えざるを得ない理由のひとつでもある。
この世には、魔王が二人、存在する。
ひとりは、善き魔王ユベル。
善王とも呼ばれる彼は、皇魔と人間の融和の道を模索しており、メキドサールがログナー島に馴染むよう尽力しているという。そんな彼を悪し様にいうものはいない。もっとも、皇魔に慣れない人間たちには、好奇の視線に曝されているようだが、こればかりは致し方がない。
ひとりは、悪しき魔王セツナ。
百万世界の魔王とも呼ばれる彼は、人類史上最大最悪の裏切り者であり、イルス・ヴァレそのものを敵に回した。いや、人類どころの話ではない。皇魔にとってもそうであり、竜属にとっても、神属にとってすらも、彼は裏切り者なのだ。
故に、その悪名は百万世界に響き渡るだろうといわれ、忌み嫌われ、憎悪の対象となった。
そんな魔王の元へといってしまったのだ。
先の戦女神が、だ。
リョハンに対し、様々な疑念が生まれ、憶測を呼ぶのは当然の話だった。
リョハン事態、その出来事に多大な打撃を受けている。
戦女神を天地を支える柱の如く信仰していたのがリョハンの民だ。その柱が魔王の元へといってしまったのだから、心理的打撃たるや、想像を絶するものがあるだろう。
リョハンが立ち直るまでに半年以上の時間を必要としたのも、無理からぬことだった。
いまは、戦女神代理を務めていたミリアを戦女神に立てることで安定と落ち着きを取り戻しているが、そこに辿り着くまでの紆余曲折を目の当たりにしてきたルウファにしてみれば、なにもいえない感じがあった。
ルウファだって、セツナの元にいたかったのだ。
なにせ、世界中がセツナを敵と定め、セツナとともにいるものたちも魔王の腹心や眷属のように見ている昨今、セツナの真実を知るルウファにしてみれば、地獄に投げ込まれているようなものだった。
しかし、エミルを放っておくわけにもいかないし、エミルをセツナたちの元に連れて行くわけにもいかないという事情があった。エミルは、真実を知らない。ミエンディアに改変された意識のままであり、セツナの裏切りに衝撃を受けたままだった。
ほかのほとんどすべての人間や皇魔、竜属がそうであるように。
だから、ルウファは、リョハンに戻った。
ルウファには、エミルがいる。たったひとりの家族。たったひとりの妻だ。彼女がセツナの真実を知っているのであれば、セツナたちとともに暮らすという選択肢もあっただろうが、残念ながら、そんな都合のいい話はなかった。
エミルをひとりにしておくわけにはいかない。
いくら、エミルの周囲に彼女を気にかけてくれるひとがいるからといって、伴侶であり、将来を誓い合ったルウファが側にいるのといないのとではわけが違うだろう。
セツナたちも、ルウファにはルウファの人生があり、そのために生きるべきだと諭された。
世界中を敵に回してでもセツナと一緒に暮らしていけるのは、やはり、セツナを愛し、セツナのために生涯を捧げる覚悟のある彼女たちだけなのだ、と、そのとき、改めてルウファは理解し、痛感したのだ。
だからといって、ルウファはすべてを諦めたわけではない。
いつか、世界が抱いているセツナへの誤解を解くことができれば、そのために自分にできることが少しでもあるのならば、全身全霊を尽くしてでも事に当たろう。
そう、彼は想っていた。
そうはいっても、いますぐにどうにかできる問題ではない。
ルウファが少しでも親魔王的な言動を取れば、それだけで大問題になるのだ。
リョハンが大荒れに荒れ、世界中から疑念を抱かれたのだって、先代戦女神がその座を辞した直後、魔王の住み処に去って行ったからなのだし、魔王と少しでも繋がりを持つものは、発見し次第、それ相応の態度でもって望まれることだろう。
世界は、一見、平穏を取り戻した。
大戦が終結し、復興がなされ、人心が落ち着き始めた。
しかし、だれもかれもがあの瞬間の出来事を、衝撃を、絶望を、片時も忘れてはいないのだ。
有史以来最大にして最悪の裏切り行為は、未来永劫忘れるべきではない、と、ひとびとに記憶され、いまもなお話題に上がらない日はないのだ。
大戦の終結によって、やがていつか忘れ去られるはずの出来事は、しかし、魔王の再臨によって色鮮やかに光を放ち、イルス・ヴァレの歴史に深く刻みつけられてしまったのだ。




