エピローグ(四)
聖魔大戦と名付けられた大戦争が終結し、三年が経過した。
こうして、終戦記念日に大きな式典が行われ、そこに世界中の国々から王族を始めとする要人が集まることができるようになったのも、それだけ戦後復興が速やかに行われ、ほとんどすべての国や地域が大戦以前の状況にまで回復したことの現れだろう。
帝国も、そうだ。
統一ザイオン帝国は、大戦において、皇帝みずからが連合軍に参加しており、多数の帝国軍将兵も従軍していた。
帝国の大戦における活躍の度合いは、人間の中では大きい方だっただろう。
なにせ、参戦した帝国軍将兵のほとんどが武装召喚師であり、それ以外も召喚武装の使い手ばかりだったのだ。ただの人間では足手纏いになるに違いないという判断に間違いはなかったし、故に、大戦を生き延びたものが少なくないのだろう。
それでも、犠牲者は出た。
優秀な武装召喚師ほど、命を落とした。
苛烈な戦いだった。
まるで地獄のような――そんな戦い。
このような平穏な日々が訪れるとは想像もつかないほどの死線を潜り抜け、ようやく勝利と掴んだのも束の間、さらなる大惨事がイルス・ヴァレを襲ったが、いまは、そのことはだれも考えないようにしているようだった。
統一ザイオン帝国皇帝ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、大広間に集まったひとびとの視線を感じながら、グレイシア・レイア=ガンディアの話を聞いていた。
帝国からの使節団は、ニーウェハインを始め、皇妃ニーナ・レア・ザイオンに三武卿が勢揃いという様相だ。
光武卿ランスロット=ガーランド、剣武卿シャルロット=モルガーナ、閃武卿ミーティア・アルマァル=ラナシエラの三名は、久々の国外旅行に浮き足立っているところがあったが、そればかりは仕方のないことだ。終戦以来、彼らは帝国領に籠もりきっていた。
大戦のあと、まずは国の問題を解決することが先決であり、帝国市民を安堵させ、秩序を回復させることに全力を費やしていたのだ。
故に、久々の国外旅行ともいえるこの長旅は、三武卿にとってもいい気分転換になってくれることだろう。国に帰れば、仕事が山積みだ。そういう意味でも、気分転換というのは大事だった。
ニーウェハインも、その重要さはよく知っている。
ただ、ニーウェハインは、みずから出張ってくるのはむしろ良くなかったのではないか、と、想わざるを得ない。
帝国の代表として、皇帝みずからが式典に顔を出すのは、悪くないことだ。
いまや協調の時代。
かつて啀み合っていた国々が手を取り合い、協力することこそが重要であるとだれもが理解しているのだ。そんな時代にあって、帝国だけが領土に籠もっているというのは、悪い印象を与えかねない。たとえ大戦に多大な戦力を送り込み、多くの犠牲を払ったのだとしても、そんなものは言い訳にもならない。
故に皇帝みずからが顔を出したのだが、その結果、ひとびとの複雑な感情に満ちた視線に曝されることになるというのは、なんともいえない気分だった。
それはそうだろう。
要人たちの気持ちもわかる。
ニーウェハイン自身、鏡を見るたびに想うのだ。
自分と同じ顔をした魔王がこの世にいて、いまもなお、この世界の住民たちの脅威となっている現実がある。力を持たぬ民たちは、日々、魔王の影に脅かされ、恐れ、戦き、安心して眠ることができないでいる。そういう事実を強く自覚させる出来事が、度々あった。
彼が素顔で人前に出ると、ぎょっとするものが必ずいるのだ。
だれもが、魔王の顔を知っている。
そして、その顔は、彼にそっくりなのだ。
まるで鏡写しのように酷似した魔王の顔は、彼にとっても忌むべきものであり、故にこそ、彼は普段、仮面を被って人前に出るようになった。
しかし、このような式典に仮面をつけて出るというのは、皇帝の名や立場を貶めかねない、ということもあり、仕方なしに素顔で参加したのだが、それがよくなかった。
帝国使節団の席は、他国の使節団の席とは離れた特等席にあるのだが、だからといって目だたないわけではない。いや、むしろ、彼の顔がよく見えることもあり、様々な視線に曝されていた。
似ているというだけで騒ぎ立てるようなものはいないし、関係性を疑うものもいない。
魔王となんらかの関係や繋がりを持っていたのは、なにも帝国だけではないのだ。
様々な国、組織が、魔王の助力を得、それぞれの苦境を脱したという事実がある。
だからこそ、魔王の最終的な裏切りが衝撃的だったのであり、ひとびとの心を折り、絶望の底へと陥れたのだ。
とはいっても、あまりにも似すぎている以上、好奇の視線に曝されるのも仕方がなかったし、ニーウェハインが逆の立場だったならば、彼らと同じような反応を見せたことだろう。
(仕方のないことだ)
肩を竦め、嘆息する。
これから先、人前に出るようなことがあれば、素顔で出ることは止めよう。
そう心がけるニーウェハインは、卓と卓の間を影のように駆け抜ける小さな人影を見つけ、目を細めた。
いずれかの招待客が連れてきた子供たちに違いなく、故に、彼はそっとしておいた。
好奇心に駆り立てられた子供を落ち着かせるのは簡単なことではないし、問題が起きるような様子もなかったからだ。
グレイシア・レイア=ガンディアの話は、まだ続いている。
「……皆様にお聞き届けして頂きたいことがあります」
グレイシアの話が本題に入ったころ、彼は、なんともいえない気まずさの中にいた。
リョハン使節団の席には、彼を含む六大天侍と戦女神ミリア=アスラリア、そして御山会議のお偉方が顔を並べている。
戦女神と御山会議の評議員たちが使節に選ばれるのは当然として、六大天侍まで勢揃いなのは、多分に戦女神の意向が働いていた。
ミリアにしてみれば、長旅になる以上、気心の知れた六大天侍を連れて行くのは道理だったのかもしれないが、御山会議の評議員たちからは反対の声もなくはなかった。
リョハンは、戦後、“竜の庭”からリョフ山の元へと帰還を果たした。“竜の庭”での生活に慣れ始めたものも少なくはなかったが、いつまでも銀衣の霊帝の厚意に甘えるわけにはいかない、と、戦女神が声を上げた。その声に呼応するようにしてリョフ山への帰還事業が始まると、すぐさま、リョフ山の復興が開始された。
リョフ山は、空中都市を失った上、半壊していたこともあり、ひとが住める環境ではなかったのだ。そのため、リョハンの守護神マリクや竜属の力を借り、リョフ山を元の形へと戻すことになった。ただ元に戻すのではなく、より住みやすく、護りやすい環境を構築したのだが。
それによって、リョハンが再び活動を再開したのも随分前の話だ。
彼がリョハンに復帰したのは、リョフ山復興後のことであり、復帰直後には様々な問題が立ちはだかった者だ。
それが居心地悪さの一員ではあるのだが、それ以上にここがかつての獅子王宮を想起させる建物だからというのもあった。
ルウファ=バルガザールにとって、獅子王宮は輝かしい青春の象徴であるのだが、しかし、そこに複雑な感情を抱くのは当然といえた。
獅子王宮の主が世界の敵となり、全世界に甚大な被害をもたらしたという圧倒的な事実は、だれにも覆せないものなのだ。