第三千六百七十七話 久遠より深く、刹那より疾く(四)
シールドオブメサイアの磨き抜かれた鏡のような表面がまばゆく輝き、その光の中にカオスブリンガーの禍々しい姿を確かに見た。そしてそれが、ミエンディアの狙い通りの状態であり、いままさに黒き矛が事象の反射の対象になったことがはっきりとわかった。
暗黒の闇をひとつに纏め、一本の矛に具象化したとでもいうべき黒き矛。その禍々しくも破壊的な姿が純白の光に塗り潰されていく。清く美しく神々しい白の輝き。暗黒の闇と対立する純白の光は、シールドオブメサイアの根源的な力の形であり、百万世界の魔王と相対するだけの力と輝きを誇っていた。
なにもかもが白く塗り潰されていく中で、セツナは、急速に力が失われていく感覚に襲われた。全能感に満ちた莫大無比な力が瞬く間に奪われ、消し去られていくような感覚。全知全能の存在が不知不能の存在へと堕ちていくような、そんな錯覚。元より全知にも全能にも程遠いのだ。そんなものはただの錯覚に過ぎない。過ぎないが、しかし、厳然として力が消失しているという現実があり、黒き矛が純白の光に包み込まれているという事実もあった。
そして、それこそがミエンディアの目論んでいた事態だったのだ。
これまで、神理の鏡は、黒き矛による攻撃を受け止めた際、ただ攻撃を反射するだけに徹していた。攻撃に込められた力をそのまま反射することで、セツナに直接大打撃を与えようとしてきたのだ。実際、それで大打撃を喰らったのがセツナだが、ミエンディアの真の目的は、現在のこの事態にこそあったのだ。つまり、真の目的を隠すため、敢えて攻撃の反射のみに留めていたのだ。
直接攻撃を受けた場合、その攻撃を反射することしかできないのではないか、と、セツナに思い込ませることで、この事態を引き起こそうとした。そしてその思惑は、成功した。
白く塗り潰された魔王の杖からは、セツナへの力の供給が断たれた。百万世界の魔王の力が流れ込んでこなくなったのだ。
それはつまり、どういうことか。
高次の存在となったミエンディアには遠く及ばない存在へと成り果てたのだ。
ミエンディアの勝利宣言とも受け取れる発言は、そこに起因する。
すべては、ミエンディアの思惑通りに事が運び、セツナは、力の大半を封じられてしまったのだから、彼女が勝利を確信するのも無理はない。
セツナが咄嗟に矛を盾から引き離したのだが、それでは間に合わなかった。神理の鏡は、一瞬にして魔王の杖を包み込み、封じ込めてしまった。
ミエンディアが長杖を掲げ、告げてくる。
「さあ、これで終わりに致しましょう。セツナさん。こうなった以上、あなたにはなにもできないのですから」
「なにもできない? それは――」
セツナは、ミエンディアが動き出すよりも早くエッジオブサーストの能力・座標置換を発動した。力の差が圧倒的である以上、ミエンディアが動いてしまえばそれで終わりかねない。知覚できているのは、ミエンディアがそこにいたという事実があり、既に認識していたからだ。動き出せば、その瞬間から知覚できなくなり、勝敗は決する。
先程まで、高次の存在であるミエンディアを知覚できていたのは、セツナもまた、魔王態によって高次の存在となっていたからに過ぎない。
黒き矛が封じられ、完全なる魔王態が解除されたいま、ミエンディアの間には分厚い次元の壁があると考えていい。
ミエンディアから遙か遠く離れた位置にあった羽の座標に移動すると、即座に別方向への座標置換を発動する。何度となく座標置換を発動し、異空の果てを飛び回るようにして移動しながら、どうにかしてミエンディアの追撃をかわそうとするのだが、おそらくこんなことではどうにもならないことはわかりきっている。
黒き矛が封じられた以上、打つ手がないのだ。
現状、どうすることもできない。
カオスブリンガーに働きかけても、白く閉ざされた魔王の杖はなにもいわない。魔王の眷属たちの力を以てしても、神理の鏡の封印は解けない。
左腕に激痛が走った。見ると、肘から先が切り飛ばされていて、血が噴き出していた。さらに右太腿を鋭い痛みが貫く。視界が半分くらいになった。右目が潰されたらしい。
無論、ミエンディアの攻撃だ。しかし、知覚できないが故、どこにいるのかも、どこから攻撃してくるのかもわからなかった。これほど恐ろしく、嫌らしいことはないだろう。同時に腹立ちもする。
「遊んでやがる」
「違いますよ。ただ、万全を期しているだけです」
ミエンディアの声が朗々と響き渡ってくる。
「あなたの正体が正体である故に」
万全を期すのだ、と、ミエンディアはいった。
そして、すべての羽が消し飛ばされ、もはや座標置換すらできなくなったセツナの目の前に姿を現したミエンディアは、いままで以上に神々しく輝いているように見えた。次元の違う存在だからだろう。
「しかし、もう十分でしょう」
「そうだな……」
セツナは、痛みを訴える部位をマスクオブディスペアの影で包み込みながら、肯定した。
もう十分だろう。
ミエンディアを見る限り、確信する。
一見、圧倒的な力を持つ女神そのものといったような有り様のミエンディアだが、彼女がどれほどの力を消耗しているのかは想像がつく。そもそも、消耗し尽くしたからこそ、この異空の果てへとセツナを導いたのだ。そこからどれだけ消耗し、現在へと至るのか。少し考えればわかることだ。
「あなたを斃し、殺し、滅ぼし、消し去り……そして、百万世界に真の平穏をもたらしましょう」
ミエンディアは、長杖を掲げた。
そして、そのまま動かなくなった。
微動だにしなくなれば、次第に目も眩むような光が弱くなっていく。神々しさが損なわれ、威圧感や猛々しさも失われていくのがわかる。高次の存在が地に堕ちてきたかのような、そんな感覚。そして、それはなにひとつ間違っていなかった。
「だから、いおうとしたのさ」
セツナは、影でできた左手でミエンディアを指差して見せた。
「あんたも、なにもできないだろ?」
「これは……そんな……!?」
ミエンディアは、激しく動揺していた。それもそうだろう。勝利を確信し、いままさにセツナに止めを刺すところだったのだ。後一歩。ほんの一瞬でも力を発することができれば、それだけでセツナを滅ぼすことができたのだ。
それなのに、突如として力を発することができなくなってしまった。それどころか、体を動かすことも、指一本動かすことすらできなくなったのだ。
「俺は……俺たちは、このときをずっと待っていたのさ。あんたが復活した瞬間からずっとな」
セツナは、大きく息を吐いた。
すべてが報われた瞬間を目の当たりにしたのだ。
「あんたは、重大な勘違いをしていたんだ。あんたを斃そうとしているのは、俺ひとりなんかじゃあなかったんだよ」
ようやく、終わる。




