第三千六百七十六話 久遠より深く、刹那より疾く(三)
だが、それはこちらも同じだ。
いや、破壊力に関していえば、こちらのほうが上といっていい。
真なる魔王態となったことで、その存在はミエンディアと同等のものとなり、手には黒き矛がある。カオスブリンガーこと魔王の杖があるのだ。絶対無敵の盾たる神理の鏡に対し、魔王の杖は最強無比の矛なのだ。攻撃能力においては比べるべくもない。
ミエンディアがその一撃で原子を砕き、存在そのものを因果律から消し去るのだとして、セツナの一撃は、さらにその上を行く。
事象の根源に至り、存在そのものを書き換えるほどの力。
そして、だからこそ、迂闊な攻撃はできないのだ。
先程から防戦一方に近いのは、そのためだった。
迂闊な攻撃は、逆にセツナにとって致命的な一撃となりかねない。
攻撃能力こそこちらのほうが遙かに上回っているが、防御能力においては、ミエンディアが大きく凌駕している。
神理の鏡の反射能力というのは、物理的に跳ね返しているのではない。極めて概念的なものであり、どんな攻撃であっても、どんな能力であっても、確実に反射する。その上で召喚者の意思によって反射した力そのものを作り替えてしまうのだ。
たとえば“闇撫”は光の手となり、魔王の影は聖皇の影となる。
そして、だからこそ、セツナは、ミエンディアの力を限界まで消耗させようとしてきたのだ。
正面からぶつかり合うのは得策ではなく、むしろ無謀極まりない以上、策を弄し、手練手管の限りを尽くし、こちらが有利になる状況を作り出す以外の戦法はなかった。
ミエンディアがそうしたように、だ。
勝たなければならない。
斃さなければならない。
終わらさなければならない。
勝ち方になど拘っている場合ではないのだ。
故に、いまもなお、セツナは、ミエンディアの攻撃を誘うように飛び回り、牽制程度の攻撃を行うに留めている。
一方、ミエンディアはといえば、もはや余裕がなくなってきていた。常にセツナを斃すために全力であり、あらん限りの力でもって大攻勢をしかけてきている。ミエンディアは、セツナが想像している以上に力を消耗しており、追い詰められているのだ。
これ以上の異世界の復元も不可能に近いのか、あるいは、そんなことに余計な力を割きたくないからこそ、彼女は、セツナをこの果てに導いたのだ。
そして、ここでセツナとの戦いに決着をつけ、ゆっくりと回復したのち、百万世界の統合を進めようというのだろう。
余裕が、ない。
ミエンディアの表情からは、完全なる復活を果たしたときから見せていた超然とした様子はいまや消え去り、ただただセツナを一刻も早く斃し、この戦いを終わらせなければならないという意識に囚われ、焦燥感に駆られているように想えた。
それは、セツナにとって有利な状況になっている、といえるだろう。
ミエンディアが長杖を振り回せば、天地の狭間を無数の巨大な炎の剣が林立した。大量のソードオブミカエルがそれこそ大量の火の玉を吐き出し、戦場の温度を急激に上昇させていく中、暴風が巻き起こって熱風の嵐となった。猛火が渦を巻き、大気を灼き焦がしながらすべてを包み込んでいく。
セツナはその真っ只中にあって、背の翼を重ね合わせた。エッジオブサーストの能力・時間静止を発動し、渦巻く猛火が自身に迫り来るのを止めて見せたのだ。だが、当然、ミエンディアには時間静止は効かない。静止した時空を平然と飛翔し、長杖を掲げようとする。しかしセツナは、ミエンディアがなんらかの能力を用いるより早く、矛を振るった。
すると、虚空が割れ、静止した時空に囚われていたすべての事象が打ち砕かれた。猛火も、暴風も、炎の剣も、なにもかもが粉微塵になって散ったのだ。
ミエンディアが目を見開いたのは、一瞬。つぎの瞬間には、こちらに向かって長杖を掲げている。杖の先端が大きく展開し、光が瞬く。それは一条の光となって、まっすぐにセツナに向かってきた。
セツナは、軽々と回避したが、直後、それが間違った判断だと悟った。セツナの真下を過ぎ去った光線は、後方で急激に角度を変え、セツナを背後から襲いかかってきたのだ。さらに飛び退けば、退いた方向に曲がって向かってくる。
(追尾光線か)
厄介だと思っていると、さらに、ミエンディアは、同様の光線を何十発も撃ってきた。無数の光線が様々な角度、方向からセツナを追いかけくるのだ。それも物凄まじい速度であり、避け続けるだけでも無駄に力を消耗しかねない。
では、立ち止まればどうなるか。
無数の追尾光線は、セツナの周囲に展開する重力場に触れると、やはりその速度を大きく低下させた。しかし、これだけで対処できたわけではない。光線のひとつひとつが一撃必殺の威力を持っていることは百も承知であり、まともに受けるわけにはいかない。かといって、再び時間静止を使うのも面倒だ。
よって、セツナは、眼前の虚空を蹴った。メイルオブドーターが生み出す重力場の真っ只中をアックスオブアンビションで蹴りつけたのだ。瞬間、虚空に走った亀裂が追尾光線に伝播し、加速度的に自壊の連鎖が始まる。
光線という光線を破壊し終えると、つぎなる攻撃が待ち構えていた。
ミエンディアとて、あの程度の攻撃でセツナを斃せるなどとは考えてもいないのだ。二手三手と攻撃を仕掛けてきている。
つぎは、大量の剣だ。燃え盛る炎の剣がセツナを取り囲むように全周囲に展開しており、さらにその後方には無数の光の槍が待機していた。
数千万本もの剣と槍がセツナを包囲していたのだ。
「多いな」
さすがのセツナも、その数に唖然としたものの、窮地とは感じなかった。それらが一斉に動き出したときには、対策が完了している。
「だが、甘い」
セツナは、包囲陣の中で魔王の影を大量に生み出し、それらを同時に爆発させたのだ。魔王の影が持つ莫大な魔力が一斉に拡散し、黒い爆発の嵐が異空の果てをこの上なく震撼させ、すべての事象を塗り替えていく。剣という剣を打ち砕き、槍という槍を破壊し、抹消していくのだ。
「この程度の攻撃で斃れるあなたではないことくらい、百も承知ですよ」
ミエンディアの声が聞こえたのは、背後からだ。声だけではない。気配も、重圧も、すぐ真後ろにある。空間転移によって背後を取ったつもり――というわけではあるまい。であれば、なにもいわず攻撃してくるべきだ。でなければ、奇襲にはならない。
「ですが、勝ち筋は見えています」
「へえ……随分と自信に満ちていらっしゃる」
「ええ」
ミエンディアの返答を聞くよりも早く、セツナは、矛を振り回していた。背後に向き直りながら、だ。
「これで、わたしの勝ちは決まったも同然。そうは想いませんか?」
「なるほど」
セツナは、黒き矛の切っ先が神理の鏡に触れている様を目の当たりにして、瞬時に理解した。ミエンディアがなにを企み、どのような状況を目論んでいたのか、すべてがはっきりとする。
鏡面が輝き、事象が反射される。




