第三千六百六十九話 異空を翔ける(十二)
では、どうすればいいのか。
正面からまともにぶつかり合って勝てる相手ではないのであれば、裏を突けばいい。ただし、背後から攻撃したところで、死角から攻撃したところで、あるいはどうにか隙を見出し、その隙を突いたところで、どうにもならないことは明白だ。
確かに、攻撃は届く。
届くが、それでは決定打にはならない。
致命傷どころか、重傷にさえなるかどうか。
いまやセツナは、完全なる魔王となり、その身には莫大な魔力が充溢している。満ち溢れる魔力は、彼の肉体に刻まれた傷を瞬時に癒やし、大きな傷口すらも立ち所に塞ぐのだ。
その点ではミエンディアも同じだ。身に満ちた膨大な神威は、攻撃にも防御にも転用でき、損傷部位を癒やし、回復するのにも使えた。意識せずとも、だ。
だから、正面からの戦闘は、互いにとって無意味だった。
セツナの攻撃は神理の鏡で跳ね返し、セツナ自身に襲いかかるため、セツナが攻撃してくることはなく、ミエンディアの攻撃は、仮に当たったところで致命傷になることはなく、どれほどの損傷を与えられようとも魔力によって回復されてしまう。万が一にも神理の鏡を擦り抜け、セツナの攻撃がミエンディアに届いたところで、同じことだ。
セツナが魔王の如く凶行に走るのも無理からぬことなのかもしれないが、だとしても、だ。
(あなただけは……あなたの存在だけは許すわけにはいきませんよ)
もはや、と、ミエンディアは、想った。
ミエンディアを討ち斃すためとはいえ、ミエンディアを疲弊させるためとはいえ、それだけのために異世界を軽々と粉砕し、数え切れない命を奪うなど、許される行いではない。
即座にミエンディアが復元したからといって、セツナの罪が拭い去られるわけもないのだ。
しかも、セツナは、凶行に凶行を重ね、何十、何百もの異世界を消滅させている。
そのすべてが元通りに復元できたのは、神理の鏡のおかげであり、もしミエンディアが神理の鏡の護持者でなければ、いまごろどうなっていたことか。
百万世界が百万世界ではなくなり、異空の均衡が崩れ、あらゆる世界に様々な影響をもたらしたに違いない。それがどのような影響なのかは想像もつかないが、なんにせよ、セツナは許されないことをしたのだ。
だから、ミエンディアも手段を選ばない。
セツナを滅ぼすために全力を尽くすと決めた。
それこそ、神理の鏡の護持者の使命であり、百万世界を救う勇者のさだめなのだと、理解した。
そのためであればなんだって利用しよう。
セツナの同一存在だって、利用して見せた。
ゲートオブヴァーミリオンの真の力によって、セツナの同一存在を探しだし、けしかけた。
彼らは、セツナと同一存在というだけあって、類い希な能力を持ったものばかりであり、それぞれの異世界において重要な立ち位置にあった。故に、同一存在セツナとの合一による力の強化というミエンディアの提案に乗り、召喚に応じたのだ。
そして、それら同一存在に異空に滞在できるだけの加護を与えた。
それは即ち彼らの強化に繋がるのだが、そうでもしなければセツナに食い下がることすらできないだろうというのがミエンディアの考えだった。もっとも、それだけのことをしても、セツナの相手にはならないに違いない。
そんなことは、わかりきっている。
重要なのは、彼らがセツナの同一存在だということだ。
セツナは、いまや魔王となった。相手がだれであれ手加減することもなければ、情け容赦もなく力を振るい、破壊と殺戮の限りを尽くすだろう。が、同一存在ならば、どうか。
同一存在は、特異な存在だ。
ひとつの世界に同じ魂を持つものは、ひとりだけしか許されない。同一世界に同一存在がふたり以上存在した場合、世界意思によって決戦を迫られる。そして、決戦に生き残ったものが、敗者の全存在を取り込み、合一を果たす。
それ故、ミエンディアにとっては、仮に彼ら同一存在がセツナに殺されたとしても、なんの問題もないのだ。セツナに殺された同一存在は消滅せず、セツナと一体化するだけなのだから、百万世界の統合にも支障が出ない。
しかし、セツナはどうか。
セツナは、かつてイルス・ヴァレにおける同一存在との決戦に打ち勝ったものの、合一を拒絶した。そこには、セツナの確固たる信念があったに違いない。でなければ、自身の魂をより高次へと押し上げる、同一存在との合一を拒絶することに道理はない。
ミエンディアがそうしたように。
そうなのだ。
ミエンディアは、百万世界に偏在する同一存在との合一を果たしていたのだ。
およそ五百年、召喚魔法によって異世界の神々を呼び出し、その力を借りたときにだ。神々の加護と祝福を受けたとき、同一存在と呼ばれるものを知った。百万世界に偏在するというそれらとの合一を果たせば、魂の次元さえも引き上げることができるのだと。
そして、多くの同一存在と合一を果たし、ミエンディアは大いなる力を得た。
その大いなる力があってこそ、死してなお、魂だけの存在としてイルス・ヴァレに留まり続けることができたのであり、イルス・ヴァレと復活の約束を結ぶことができたのだ。
さらにいえば、魂の次元を引き上げたことで、ミエンディアは原初の静寂を知ることができた。すべての起源、百万世界の事の起こりを知り、この世界の騒々しさの所以を理解した。ひとびとがなぜ相争い、傷つけ合い、奪い合い、殺し合うのか。
世界の不備を。
不完全さを。
故に、ミエンディアは、すべてを統合し、原初の静寂へと還そうというのだが、そのための最大の障害がセツナになるだろうということは、最初からわかっていたことでもある。
セツナが魔王の杖の力を完全に自分のものとしたのであれば、なおさらだ。
百万世界の魔王と同等の力を誇るいま現在のセツナを力尽くで斃すのは困難を極める。不可能とは言い切れないが、そのために力の大半を消耗することになるのであれば、大問題だ。百万世界を統合するためには、莫大な力が必要だ。その力を使い切っては意味がない。もちろん、時間をかけて回復すればいいのだが、回復している間にミエンディアの敵が現れないとも限らない。力を消耗し尽くしたミエンディアは、ただの神にさえ敗れかねないのだ。
故に、セツナには同一存在をぶつけ、時間を稼ぐことにした。
セツナは、同一存在を殺せまい。
合一を拒絶している以上、そのような真似には出られないのだ。
時間は稼げる。
それは、世界を合一するための時間ではない。
セツナを消し去るための時間だ。




