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第三百六十六話 駆ける(一)

 それが進路上に君臨しているのが見えたのは、随分前のことだ。

 ヴリディア南方のガンディア軍野営地にいたときから見えていたのだ。それだけで巨大さがわかるというものだが、それでも間近で見たときより一回り以上も小さくなっているようだった。

 そのとき、彼が目撃したのは、天に昇るかのように伸びた龍の首であり、現在の姿とは大きく異なるものだった。地下にとてつもなく巨大な胴体が埋まっているのではないかと囁くものもいたが、そうではなかったらしいというのが、現在の竜を見ればわかる。

 漆黒の右半身と純白の左半身を持つ人型の竜。人型とはいえ、その巨体は、平均的な成人男性の数百倍はあるだろう。人間そっくりというわけでもない。長い首に翼、尾があり、全身、二色の外殻に覆われている。

 そして、その巨躯に見合った力を持っているようだ。

 何分、直接戦ったわけでも、これから戦いを挑むわけでもないため、実際のところはわからない。しかし、遠方から見ていた限りでも、その人知を越えた能力には畏怖を覚えざるを得ない。

「あんなものと正面切って戦わなくてはならないなんて、同情を禁じ得ないな」

「セツナにですか?」

「セツナ殿にも、クオン殿にもだ」

 ハルベルク・レウス=ルシオンは、リノンクレアに注意するべく語気を強めた。セツナ・ゼノン=カミヤは、同盟国ガンディアの王立親衛隊長のひとりだ。いくらルシオンの王子妃とはいえ、礼儀を弁えぬ物言いは良くない。

 無論、リノンクレアがなにも理解していないのではなく、ハルベルクとふたり並んでいることで、つい気が緩んだのだろう。あるいは、目前のドラゴン、その先の決戦に意識が向き過ぎていたのかもしれない。

「そうでした。セツナ殿」

 リノンクレアが言葉を改めたので、ハルベルクは微笑みを浮かべた。

「この策を提案したのはエイン=ラジャール殿だったか。彼のことは知っているかい?」

 尋ねたのは、白聖騎士隊長としての彼女の情報収集能力を試してみたかったからだ。ガンディア王家出身の彼女にとって、ガンディア内部の情報を知るのは造作も無い。

「ガンディアのログナー方面軍第三軍団長ですね。ログナー時代は飛翔将軍の親衛隊に所属していたということで、それなりに有能ではあったようです」

「親衛隊か……無名なのも当然だな」

 ログナーの人物としてまず名前が上がるのが飛翔将軍アスタル=ラナディースであり、彼女の双翼として知られた赤騎士グラード=クライド、青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスだ。ガンディアのバルサー要塞を落としたことで、ジオ=ギルバース将軍が一躍有名になったものの、彼の評判は芳しくなかった。ほかに名のある人物がいないというのがログナーの弱みといえば弱みだったのだが、エイン=ラジャールやドルカ=フォームといった軍団長を見る限り、才能ある人物は隠れていたのだろう。そういった連中が頭角を現していたならば、ガンディアとログナーの戦争も、違った結果になっていたかもしれない。

 過去に起きた出来事の別の可能性を考慮するだけ無駄な話だ。ガンディアとログナーの戦争は、ガンディアの勝利で終わり、ログナーは全面降伏したのだ。ログナーという国は地上から消滅し、ログナー人のほとんどがガンディアに帰属した。ログナー軍人はガンディア軍人となり、ガンディアの戦力は増大した。

 ガンディアの版図が拡大し、国力が増強されるというのは、同盟国であるルシオンの立場から見ても頼もしいものである。既定路線としての北進を掲げるガンディアの後背を護るのがルシオンであるのと同時に、南方への拡大を目論むルシオンにとっては、ガンディアの強化は北の守りが厚くなるということにほかならない。ガンディアの戦力が増大すれば、援軍を要請しやすくもなる。

 これまで何度となくガンディアを支援してきたのは、ガンディアの将来に期待してのことでもある。ミオンを含めた三国同盟が成立したのも、互いの国力を利用し合うことで、この戦国乱世を生き抜こうという思惑が働いたからだ。

 ガンディアの先王シウスクラウドとルシオンの現王ハルワールが親友だったことも大いに関係しているのだが、ガンディアがルシオンにとってなんら価値のない国ならば、ハルワールは同盟の維持に拘らなかっただろう。ガンディアとの同盟に価値を見出だせなければ、切り捨て、国土を切り取ろうとしても、不思議ではない。

 乱世とはそのようなものだ。

 エイン=ラジャールのような人材が年齢や出自を無視して抜擢され、その策が採用されるのも、乱世だからこそだろう。これが治世ならばそうはいかないかもしれない。

(軍事的才能は治世には不要か)

 戦乱の時代だからこそ輝く才能なのは疑いようもない。

「無名でも才有れば登用し、重用する。義兄上のやり方には学ぶ所も多いが、同じことをルシオンでやれば反発も大きいな」

 無名の、なんの後ろ盾もない人物を軍団長に抜擢した場合のことを考えて、彼は苦笑した。間違いなくルシオンは荒れに荒れるだろう。まず、ハルベルクに反発する連中が騒ぎ立て、つぎに家名だけを拠り所する連中がその煽りを受ける。軍人たちを巻き込んだ政争に発展する可能性まで脳裏を過った。

「ガンディアはいま、レオンガンド陛下の独裁のようなものですから、反発しようにもできないのでしょう。反発すれば首が飛ぶかもしれない。もちろん、レオンガンド陛下は暴君とは程遠いお方ですが」

「それで上手く回っているうちはいいさ」

 それが王による独裁であれなんであれ、国政が上手く回り、国民が幸福を感じているのなら、他国がとやかくいう問題ではない。ガンディア出身のリノンクレアにとっては他人事ではないのだろうが、ルシオンの王子に嫁いだ以上、国政に口出しするべきではない。当然、彼女もそれは理解しているだろうが。

 もちろん、兄妹で仲睦まじくすることにはなんの問題もないし、リノンクレアとレオンガンドの関係が良好なのは、ハルベルクとしても嬉しいことだ。ハルベルクはレオンガンドを実の兄のように慕っている。いままでがそうであったように、これからもそうだろう。

 ただ残念なのは、戦場に立って指揮を執るレオンガンドの姿を拝むことはできないかもしれないということだ。

 レオンガンドは、ザルワーン侵攻以来、軍の指揮を大将軍アルガード・バロル=バルガザールに一任していたからだ。ガンディア軍の全権を掌握する大将軍が采配を振るうのはある意味では当然なのだが、それがハルベルクには残念でたまらなかった。ハルベルクは、レオンガンドが軍を動かす姿を一目でいいから見たかったのだ。

(一目見て、どうする?)

 自問して、彼は目を細めた。胸の奥に妙な引っ掛かりがある。それがなんなのかは、すぐに理解できた。ミオンを訪れて以来、考え続けなければならないことでもあった。目をそらすことは許されない。それは逃避にほかならないからだ。逃げてはならないのだ。ルシオンの王位継承者として、目の前の現実から目を背けてはならない。

(マルス=バール。おまえはなにを考えている……)

 ミオンの宰相との会談は、ハルベルクの思考に暗い影を落としていた。マルス=バールはいった。レオンガンドに獅子王の風格を見た、と。若き獅子王は、いずれ小国家群に覇を唱える偉大なる獅子となるだろうといい、震えが止まらなかったのだともいっていた。

 それはおそらく武者震いなどではない。

 恐怖だ。

 レオンガンドの指揮の下で拡大を続けるガンディアによって、ミオンが喰い尽くされるのではないかという妄想とも強迫観念とも取れる畏れ。

 マルス=バールが小心者だからというのもあるのだろうが、ガンディアの急速な膨張に危機感を抱くのは、同盟国ではありつつも隣国であるミオンの宰相ならば当たり前の反応なのだろう。特に彼のような、王位継承問題で暗躍したことで宰相の座に付いた男にしてみれば、ガンディアの一挙手一投足が気になって仕方がないのだ。

 いまは同盟を結んでいるからいいものの、いつガンディアの気が変わるのかわかったものではない。彼は暗にそういっていたのだろう。

 その点、ハルベルクは。自分は気楽なものだ、と思わないではなかった。

 レオンガンドの最愛の妹を妻に迎えたことで、ルシオンとガンディアの関係はより深く、密なものになっていった。レオンガンドからの援護要請があれば、すぐにでも部隊を差し向けたし、ハルベルクが援軍を頼めば、レオンガンドも二つ返事で援軍を寄越してくれたものだ。それは、ガンディアとミオン、ルシオンとミオンの間では見られない現象だった。

 三国同盟の中で、ミオンが疎外感を覚えるのは、致し方のないことなのだ。結果、マルス=バールが要らぬ心配をしているのならば、その誤解を早く解くべきだろう。ガンディアにしても、ミオンはまだまだ利用価値のある、同盟を組むに値する国であるはずなのだ。

 が、それもこれも、この戦いが終わってからのことだ。

 この長きに渡る戦いが終われば、しばらくは大きな戦争のない日々が続くだろう。そういう日々が、この胸の奥の違和感を消し去ってくれるに違いない。

 不意に、凄まじい大音声が聞こえた。地の底から世界を揺らすような音だった。前方の軍馬が一斉に棹立ちになったのが見えて、彼は手綱を捌いた。彼の愛馬ムーンドレッドは、一般の軍馬を恐怖させた咆哮にもたじろがず、平然としている。それはリノンクレアの駆るエバーホワイトも同じだ。

 幾多の戦場を共に駆け抜けてきたのだ。

 怪物の叫び声くらい、どうということはなかった。

 黒白の竜はすぐ目の前だった。

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