第三千六百六十八話 異空を翔ける(十一)
魔王とは、まさにあのもののことをいうのだろう。
世界をひとつやふたつ滅ぼしてしまうことに対し、なんの躊躇もなければ、良心の呵責も、情け容赦もない。
いくら神理の鏡の力が厄介だからとはいえ、そのためだけに数多の命を奪うことになんら頓着しないというのは、どういう了見なのか。
どういう思考をしていれば、あのような悪逆非道を行うことができるのか。
どういう思想を持っていれば、あれほどの虐殺を躊躇わずにいられるのか。
思惑は、わかっている。わかりきっている。
この莫大極まりない精神力を消耗させ、神理の鏡の反射能力を封じることにあるのだ。
それ以上でもそれ以下でもない。ただそれだけのためだ。そのためだけに世界を滅ぼし、命を絶やし、破壊と混沌を振り撒いていたのだ。
まさしく百万世界の魔王に相応しい所業といわざるを得ない。
ミエンディアにしてみれば、たまったものではなかったし、信じられない気持ちもあった。
ミエンディアは、ある種、セツナを信じていたからだ。
セツナ。
神矢刹那という人間。
彼がアズマリア=アルテマックスによってイルス・ヴァレに召喚されたときから、ミエンディアは彼を見守り続けていた。
師に裏切られ、討たれ、死ぬことで世界と同化したときから、ずっと、イルス・ヴァレを見守り続けてきたのがミエンディアだ。
死の寸前に生み出した端末たるアズマリアがミエンディアの完全なる復活のために行動している間、およそ五百年の長きに渡り、イルス・ヴァレの在り様を見つめ続けていた。改変以前と変わらぬ有り様を見せ、変遷を辿る大陸の様子を見て、嘆いたものだ。
だれもが利を求め、血を流させ、死を蔓延させる。
闘争に次ぐ闘争の歴史。
三大勢力と小国家群が形成されてからも、それは変わらなかった。
結局、ひとがひとのままでは破滅に向かって突き進むだけなのだろう。
そう結論づけるのに時間はかからなかった。
既に三度、世界が滅亡の危機に瀕したという事実がある。
そして、そのうちの二度は、ある種の破局を迎えたのだ。
だからこそ、ミエンディアは立ち上がったのだ。勇者になろうとしたのだ。
なのに、世界は変わらなかった。
変えたはずなのに。
作り替え、すべてを統一したはずだというのに。
人間は、争いの火種を探さずにはいられない生き物のようだった。
では、どうすればいいのか。
考えに考え抜いた末に出した結論が、百万世界の完全なる統合であり、原初の静寂への回帰だ。
そうすれば、だれひとりとして相争う必要がなくなり、傷つけ合うことも、奪い合うことも、殺し合う必要性すらなくなる。
すべてがひとつに溶け合うのだから。
そこには永久不変の安寧があり、無限長久の平穏がある。
愛があるのだ。
闘争に明け暮れるものたちを真の意味で救うためには、それ以外に道はない――そう、ミエンディアは断じた。
そのための完全なる復活であり、クオンを依り代としたのだ。
聖皇としてのミエンディアの力と、神理の鏡シールドオブメサイアの力があれば、たとえ百万世界の魔王が立ちはだかろうとも負ける理由はなかった。
なぜならば、セツナがその代理人だからだ。
百万世界の魔王、その代行者だからだ。
セツナの人格については、よく知っている。その精神性についても、知りすぎるほどに知っている。イルス・ヴァレに召喚されてからというもの、ずっと注目していた。彼が魔王の杖の護持者だという圧倒的な事実が、そうさせた。
そして、彼が魔王の杖の護持者としての使命を優先し、魔王の使徒の如く振る舞ったならば、そのときは彼を滅ぼすべくアズマリアに働きかけようとさえ考えていた。たとえそれが完全復活計画に影を落とすことになろうとも、イルス・ヴァレが滅ぼされるよりはましだと想ったからだ。
もっとも、その懸念は杞憂に終わった。
セツナは、最初こそ危なげだったものの、やがて信頼に値する人物へと成長していったからだ。
だれもが信頼し、期待を寄せ、愛し、希望の体現者の如く見ていた。
特に大陸が崩壊してからというもの、セツナは、魔王などではなく救世主のような有り様であり、だれもが彼に救われ、彼の力になろうとした。
そんな彼だからこそ、ミエンディアもまた、信頼したのだ。
セツナにかつての仲間たちをけしかけたのだって、そうだ。
セツナならば決して手にかけることがないという確信があればこそ、あのような行動に出ることができたのだ。万にひとつでもだれかが殺される可能性があったならば、彼らをけしかけるような真似はしなかっただろう。
ただ、セツナの心を折る方向に仕向けたはずだ。
そして、セツナは、ミエンディアの期待通りの反応を示した。
かつての仲間のだれひとりとして傷つけず、ミエンディアの前にたったひとりで現れたのだ。
まさにミエンディアの思惑通りだった。
しかし、その思惑は見事に裏切られることになる。
セツナが、こともあろうに異世界を破壊したからだ。
その瞬間、ミエンディアは、ただただ愕然とした。信じられなかったし、信じたくもなかった。セツナほどの人物があのような暴挙を行うとは、凶行に走るとは、考えられなかったのだ。
それでは、彼を信用した自分が愚か者以外のなにものでもないではないか。
ミエンディアだけではない。
彼を信じ、彼に期待を寄せ、彼に希望を見出していたすべてのものが、容易く裏切られ、軽々と踏みにじられ、打ち捨てられた。
彼は、もはや完全に魔王となった。
魔王の使徒などではない。
魔王だ。
百万世界のすべてに仇なす魔属の王。
全存在の敵対者にして、破壊と混沌を撒くもの。悪意の権化。邪知暴虐の根源。殺戮するもの。絶望の戴冠者。昏き者共の指導者――。
様々な呼び名が脳裏を過ぎる中、ミエンディアは、翔けた。
異空を翔け、次元を超え、時空を越えていく。
セツナを斃すには、魔王を打倒するには、凶行を止めるには、もはや手段など選んでいる時間はなかった。これ以上、世界を破壊させるわけにはいかず、命を失わさせるわけにもいかない。
どんな手を使ってでも、セツナを斃し、この絶望的な戦いに終止符を打たなければならない。
だが、正面からぶつかりあっても、勝算はない。
相手は、百万世界の魔王なのだ。
その力は、ミエンディアと同等以上であり、大きく上回っていてもなんら不思議ではない。ミエンディアは、百万世界の神々から力を得、神理の鏡によってさらなる力を手にしているのだが、百万世界の魔王は、ただそれだけで百万世界の神属すべてを敵に回すだけの力を誇っている。それほどの存在を相手にするためには、どうしたところでミエンディアひとりでは力不足だった。
とはいえ、神理の鏡がある限り、いかに百万世界の魔王といえど、ミエンディアを斃しきることはできない。あらゆる事象を跳ね返し、概念すらも反射し、事実をねじ曲げ、現実を改変する神理の鏡の能力は、魔王の力さえも吹き飛ばす。
だからこそ、セツナは異世界の破壊を始めたのだろう。
ミエンディアに力を消耗させるために。
ただ、それだけのために。
だからこそ、許せない。




