第三千六百五十六話 聖皇問答(三)
「あんたが世界の統一で、創世回帰の回避で満足しなかったから。それ以上を、さらなる先を求めたから、あんたを愛し、信じていたはずの六将が裏切ったんだ。そしてあんたは、六将を呪った。いや、六将だけじゃない。世界そのものを呪ったんだ」
聖皇六将によって討たれたとき、ミエンディアは、復活の約束を世界を交わした。それは、一種の呪いといっても過言ではなかった。なぜならばミエンディアは、復活を果たした暁には、世界を滅ぼすと宣言したからだ。
不老不滅の存在となった六将たちの見ている前でイルス・ヴァレを滅ぼし、六将たちに絶望を与える――それこそ、あのとき、あの瞬間にミエンディアが宣言したことであり、ミエンディアが結局の所、我意に囚われた人間であることの証明なのではないか。
故に、クオンたちは聖皇の復活を阻止するべく命を擲ったのだし、セツナたちは、獅子神皇となった聖皇の力の討滅に全力を注いだ。
そして、実際のところ、獅子神皇は、イルス・ヴァレにとっての純然たる滅びの化身といってよく、獅子神皇を討ち滅ぼさなければ、あの世界が滅亡していたことは疑いようがない。
「いまさらだ」
獅子神皇の力の根源たる聖皇ミエンディアが、実は、本質的な世界の延命を願い、動いているのだ、などといわれたところで、なにもかもいまさらなのだ。
セツナは、ミエンディアを睨めつけ、その神々しくも穏やかな表情を見据えた。
「……それもまた事実。認めましょう」
ミエンディアの表情に陰が混じる。
「わたしは、親愛なる師の裏切りに遭いました。しかし、それも致し方のないこと。わたしが力に溺れ、己を見失っていたのですから、あの方々が失望の果てにわたしを討とうと考えるのは、道理なのです。討たれてもなお、わたしは物事の本質に気づきもしなかった。だから、師を呪い、世界を呪い、すべてを呪った。必ず復活するという約束。約束という呪い。それこそ、わたしが我を忘れていた証になりません」
悠然と己の過ちを省みるミエンディアの姿からは、聖皇という名に相応しいものが感じられないではなかった。
過去の自分の間違いや愚かしさを認め、反省することができるのは強さなのだ。
人間はだれしも間違うものだし、失敗を犯すものだ。問題は、その事実をどう受け止め、どう乗り越えるかであり、ミエンディアは、まさにそういった過去を乗り越えたとでもいわんばかりの輝きがあった。
「ですが、いまのわたしは違いますよ。わたしには、考える時間が十全にあったのですから」
「死んでいる間に考えを変えたっていうのか?」
「御明察。その通りですよ、セツナさん」
「はっ……冗談にしちゃ、つまらねえな」
「本当のことですから」
ミエンディアが微笑する。引き込まれそうになるほどに美しい笑顔だが、セツナの意気が吸い込まれることはなかった。セツナは、ミエンディアを信用してはいない。彼女のどのような言動も信じるには値しないと断定していたし、攻撃する隙を見出すことに終始していた。
会話に応じているのも、そのために過ぎない。
「死は、終わりではありません。肉体が滅んでも、魂となって存在し続けるのですから。そしてそのことは、あなたが一番よく理解していることではないのですか?」
「……そうだな」
それは、認めざるを得ない。
かつて、元の世界にいたころは、半信半疑というよりもむしろ信じていなかったことだが、イルス・ヴァレに渡り、黒き矛の使い手となってからというもの、次第に感じ、明確な存在を認識するようになっていった。死後の世界というものの存在だ。
そしてそれは、地獄という形で眼前に現れ、セツナの人生観そのものを変えたといっても過言ではない。
地獄は、夢でも幻でもなかった。
現実に存在したのだ。
だから、セツナが地獄の軍勢を召喚できたのであり、亡者の群れが戦列に加わったのだ。
イルス・ヴァレには――いや、百万世界には、確かに地獄が存在するのだ。死後の世界が存在し、肉体の滅びが終着点ではないということも確かなのだ。
そもそも、ミエンディアが復活している時点で、そうだろう。
ミエンディアは一度死んだ。聖皇六将によって殺され、命を落としたのだ。肉体的な死がすべての最後ならば、復活などありえない。いくら儀式が必要だといっても、肉体の滅びが終着点ならば、それで終わったはずなのだ。
だが、ミエンディアは復活を果たした。
それはつまり、ミエンディアの魂がどこかを漂っていた証なのではないか。
地獄にも堕ちず、無論、天国にも行かず、イルス・ヴァレをさまよっていたのか。
いずれにせよ、ミエンディアは、魂だけの存在となって、およそ五百年ものときを流れ続けていたのだろう。
五百年だ。
考えに考え続けたという話が本当ならば、考え方が変わったとしてもなんら不思議ではない。人間だって数年あれば考え方を変えられる。五百年もの長い時間を経たというのであれば、考え方が変わるのは極めて自然に想えてならなかった。
だが、だからといって、セツナがミエンディアに気を許したわけではない。
「あんたは、死んでいる間に考え方を変えたのかもしれない。でも、だったらなんで獅子神皇を止めなかった。“大破壊”を……それに続く破滅的な災害の数々を止めようともしなかったんだ」
セツナは、ミエンディアに矛の切っ先を向けたまま、強く問うた。
仮に、ミエンディアが考え方を変えたのがこの数年であったとしても、聖皇の力がレオンガンドに宿り、獅子神皇として復活を果たす前であるはずだ。それならば、獅子神皇の力の源として、獅子神皇の暴走を止めることができたのではないか。復活の儀式の失敗による“大破壊”も、食い止めることができたのではないか。もし、“大破壊”そのものを食い止めることができなかったのだとしても、被害を最小限に抑えることくらいはできたはずではないのか。
脳裏に過ぎるのは、“大破壊”によって蹂躙され尽くした世界の有り様であり、獅子神皇の暴走によって破壊されていく絶望的な光景だった。
「止めなかったわけではありませんよ。止められなかったのです」
至極無念そうにミエンディアはいった。
「復活の儀式は、クオンさんたちの手によって妨げられ、失敗に終わりました。その結果、わたしは不完全な存在となってしまいました。力だけの存在となったのです。その結果は、セツナさんも御存知の通りです」
ミエンディアの発言に対し、セツナはなにも言い返せなかった。獅子神皇をミエンディアが操っていたとは、考えにくいからだ。
獅子神皇は、レオンガンドだった。
聖皇の力に溺れたレオンガンドだったのだ。
だからこそ、ミエンディアに止められないのかと問うたのだが。
「力は、使い手次第」
ミエンディアは、静かに続ける。
「たとえば、セツナさん。あなたは、魔王の杖の護持者ですね。その力は、元来、破壊と混沌をもたらすものであり、魔王の杖が顕現した世界は、程なく絶望の海に沈むもの。ですが、あなたが使い方を限定しているおかげで、イルス・ヴァレが滅びずに済んでいる」
「……まるで、あの有り様は陛下のせいだとでもいいたげだな」
「レオンガンドさんおひとりのせいだとはいっていませんよ」
ミエンディアがセツナの敵意に満ちたまなざしを涼しい顔で受け流し、告げた。
「多くのひとびとの意思が、わたしの力の使い方を誤り、結果、イルス・ヴァレに不幸をもたらしてしまった。それだけのことです。そして、それ故にわたしはなさなければならない。このような不幸な行き違いをなくすためにも、ね」




