第三千六百五十五話 聖皇問答(二)
「――ないね」
セツナは、即座にそう答えると、カオスブリンガーの切っ先をミエンディアに向けた。穂先から漏れ出る魔力は、それだけでこの異空にさえ影響を与え、変質させ、ねじ曲げていくのだが、ミエンディアはびくりともしない。
その程度では、脅しにもならないとでもいうのだろう。
もちろん、セツナとしても脅しのつもりはなかった。
本気で、ミエンディアを斃そうと考えている。
そのための隙がわずかでも生じれば儲けものと考えたのだが、残念ながら、ミエンディアには一切の隙がなかった。動揺ひとつ見せなければ、セツナのどんな行動にも瞬時に対応できるように見えた。
いくら魔王の力が絶大だとはいえ、神理の鏡を手にしているミエンディアに対し、正面から攻撃を仕掛けるのはただの愚策だ。受け流されても、防がれても、反射されても、無駄に力を消耗するだけに終わる。
「俺はいまの世界がそれなりに気に入っているんだよ」
無論、不満がないとは言い切れない。満ち足りないし、物足りない部分はある。が、それは、イルス・ヴァレがああなってしまったから感じる部分といってよく、もし、聖皇が存在せず、“大破壊”や獅子神皇による天変地異が起きなければ、十二分に満足のいく人生を送れたのではないか、と、想えてならなかった。
もっとも、その場合、セツナがイルス・ヴァレに召喚されることはなかったのだろうが。
だとしても、本来在るべき世界において、それなりに納得の行く人生を送ったはずだ。
確信をもって、セツナは、ミエンディアを睨む。
「……それは残念です。魔王の力を得たいまのあなたならば、わたしと同じ次元に立ち、この世界の理不尽さを理解できるものと想っていたのですが……」
「理不尽はあんただろう」
「……そうですね。それも、認めましょう」
ミエンディアは、ただただ微笑する。セツナの敵意を受け入れ、包み込むように。
「わたしの存在は理不尽極まりない。この世界の条理を無視し、法則を超越し、約束をも反故にしている。これを理不尽といわず、なんと呼ぶべきでしょうね。やはり、理不尽としかいいようがないのでしょう」
「だから――」
「わたしを斃す、と、あなたはいうのでしょうが、しかし、それは大きな間違いです」
「はっ」
セツナは、ミエンディアから目を逸らすまいとしながら、鼻で笑った。なぜ、いまになってそのようなことをいってくるというのか。まるで時間稼ぎでもしているかのようだが、そうでもなさそうだった。この場で時間稼ぎをしたところで、なんの意味もない。ミエンディアに味方するなにものかが現れるはずもなければ、セツナが消耗し尽くして異空に散るというようなこともないのだ。
「いまさらなにをいいやがる。命乞いでもしようってのか?」
「そう受け取っていただいても構いませんよ」
「なんだと」
「わたしには、重大な使命がある。わたしはその使命を終えるまで、死ぬわけにはいかないのです。無論、あなたと戦ったとして、勝つつもりではいますが、万にひとつでも敗れる可能性がある以上は、あなたと戦うよりも、話し合いで解決したほうが遙かに理に適っているとは想いませんか?」
「それですべての問題が解決できるっていうならな」
「できますよ」
平然と、ミエンディアは告げてくる。絶対の確信と、揺るぎない自信をもって、断定してくる。
「わたしが百万世界を統合し、すべてを完全な状態に戻すことができれば、あらゆる問題、あらゆる不安、あらゆる心配――なにもかもすべてが解決します」
「完全な状態に戻す……?」
「そう、戻すのですよ」
ミエンディアがセツナの疑問を肯定する。
「かつて、イルス・ヴァレに生を受けたわたしは、滅び行く世界を目の当たりにして、考えに考えました。ひとはなぜ、争い、諍い、憎み、恨み、妬み、嫉み、奪い合い、殺し合うのか。なぜ、手と手を取り、分かり合い、愛し合えないのか。ずっと、疑問を抱いていました」
遙か悠久の彼方を見遣るミエンディアのまなざしは、儚く、哀しみに包まれていた。まるでこの世の終わりでも見ているかのような、そんな脆ささえ感じられるほどだった。
「ラグナシアと出逢い、三界の竜王の知見を得て、わたしの疑問は確信へと変わります。三界の竜王による二度に渡る創世回帰を経てもなお、新たに生まれた人類は、そのたびに、同じことを繰り返したのですから」
三界の竜王による創世回帰。
それは、イルス・ヴァレを存続させるための苦肉の策といっても過言ではなかった。世界を滅ぼしかねない戦いが起きて、その結末を見届けるわけにはいかないから、すべてを洗い流し、世界そのものを原初の状態へと回帰させる。それが創世回帰であり、三界の竜王は、そうやってイルス・ヴァレを存続させてきたのだ。
無論、創世回帰によって洗い流される当事者であったミエンディアが、三界の竜王のやり方に反発し、なんとかして回避する方法を見出すべく奮闘するのは、当然だ。結果が伴うかどうかはともかく、以前の時代にも、ミエンディアのようなものがいたかもしれない。
だれが好き好んで創世回帰によって滅ぼされるのに身を任せるというのか。
たとえば、いままさにラグナたちが創世回帰の決断を下したとすれば、セツナは、ラグナたちに立ち向かい、戦うに違いないのだ。
そして、それはいまのセツナの戦いそのものといっていい。
「それはつまり、人間が――いえ、イルス・ヴァレに生まれるものが持つ、本質的な欠陥が原因だと断定せざるを得なかった」
「本質的な欠陥……」
「もっとも、それは必ずしも正しくはなかったのですが……ともかく、わたしは、その欠陥を埋め合わせることで、三度目の創世回帰を回避させました」
それが、聖皇によるイルス・ヴァレの統合であり、世界改変というべき荒技だ。聖皇は、召喚した神々の力を借り、イルス・ヴァレのばらばらだった大陸や島をたったひとつの大地へと統合させ、人間種族をも一種に統合した。国も、言語も、なにもかもをひとつにすることで、争う理由を消し去ろうとしたのだろう。
だが。
「……あんたは、討たれた。聖皇六将によって」
その結果、世界は再び混迷の時代へと逆戻りした。
それは、世界にとって、イルス・ヴァレにとって正しい選択だったのか、どうか。
聖皇による統一時代は、わずかな時間ながらも、確かに平穏極まりない時代には違いなかったようなのだ。それを破壊したのが、聖皇六将だ。その瞬間、大陸の平穏は崩壊した。戦国乱世が始まったのだ。
もっとも、セツナには、聖皇六将の正しさが理解できている。
聖皇六将がが聖皇を裏切り、聖皇を殺したのは、やはり、聖皇が世界統一だけで歩みを止めようとはしなかったからに違いない。
いま、セツナがミエンディアを斃そうとしている理由と同じなのだ。




