第三千六百五十三話 次空の狭間
虚空に開けた次元の扉を潜り抜けた先に広がっていたのは、なんともいえない幻想的な光景だった。
幾重にも輝き、大河のように揺蕩う光が、その神秘的な光景を作り出しているようなのだが、それだけではない。周囲を見回せば、まるで宇宙に瞬く星々のような無数の光点が、そこら中に散らばっていた。さながら、無重力空間に大小無数の宝石をばら撒いたかの如くであり、セツナは、一瞬、その想像だにしなかった光景に目を奪われ、意識を奪われた。
宇宙のようでいて、宇宙ではない。
なぜならば、宇宙空間の絶対の闇が、そこにはなかったからだ。
闇ではなく、光が場を満たしている。
幾重にも輝く虹色の光。
なんともいえず美しく、言葉を失うほどにあざやかだった。
宇宙を目の当たりにしたときとは、まったく異なる感覚だった。
宇宙を視た――といっても、あれが本物の宇宙だったのかどうかといえば、疑問の残るところではあるのだが。
やはりあれは、ナリア神の内的宇宙であって、本物の宇宙とはまったくの別物だったと考えるべきなのかもしれない。
とはいえ、あの宇宙が本物の宇宙とかけ離れたものであったかといえば、そうではあるまい。ナリアは、大いなる神であり、体内に宇宙を宿していたとしても、なんら不思議ではなかった。
そして、そのときの経験がまったく役に立たないのではないか、という考えの元、セツナは警戒した。
ここは、宇宙ではない。
世界と世界の狭間。
世界をひとつの星と考えた場合、それら百万の星々を内包する大宇宙とでもいうべき領域なのだ。
(つまり、だ)
セツナは、眼下を見下ろした。真下には、遙か遠方に瞬く光点とは異なり、大きく輝く光の塊が存在している。莫大な光を発するそれこそ、イルス・ヴァレと呼ばれる世界を外から見たものであるということは、なんとはなしに想像がつく。
そして、全周囲に瞬く光点もまた、百万世界と総称される異世界なのだろうということもだ。
もちろん、ひとつの世界がひとつの惑星だという話ではない。
イルス・ヴァレにも宇宙があり、太陽があり、月があり、星々があった。
ほかの異世界にも同様に宇宙があり、太陽などがあるに違いない。
銀河を、宇宙を含めた広大無辺の領域が、世界なのだ。
それほどまでに広大な世界も、百万世界全体を見渡すことのできる領域からすれば、宇宙に漂う惑星のような存在に過ぎないということだ。
よくよく見れば、イルス・ヴァレは、ほかの世界と比べても特別大きいわけではないらしいということがわかるのだが、そんなことはいまはどうでもいいことだった。
ここが百万世界を内包する大宇宙とでもいうべき領域であるということさえわかれば、それだけでよかった。
そして、なぜ、ミエンディアがこのような領域に転移したのかは、セツナにも容易く想像がついた。
戦うためだ。
全力で戦い、セツナを討ち斃すためなのだ。
そのために、こんな次空の狭間とでもいうべき領域に転移した。そして、セツナもそれを追いかけた。
追いかけなければ、ミエンディアが次空の狭間で事を成し遂げる可能性があったというのもあるにはあるが、それ以上に、イルス・ヴァレでは全力で戦えないという理由があったからだ。
ミエンディアと同じだ。
いまのセツナも、いまのミエンディアも、全力を出せば、世界に影響を及ぼしてしまう。それもいい影響などではない。悪影響を与え、甚大な被害をもたらしかねないのだ。
故に、ミエンディアは、イルス・ヴァレを去った。
故に、セツナは、ミエンディアを追った。
そうして、次空の狭間に足を踏み入れ、その光景に圧倒されたのがいまさっきのことだ。
(危ない危ない……)
セツナは、危うく次空の狭間の光景に意識そのものが飲まれそうになったのを認めて、なんともいえない気分になった。ただの人間ならば、そこまで圧倒されることなどなかったのだろうが、あいにく、セツナは魔王だ。魔王の力によって拡大した感覚が、次空の狭間に漂う莫大極まりない情報量を取り込み、頭の中が雑多な情報で埋め尽くされかけたのだ。
魔王態の長所であり、短所でもある。
もっとも、それは、摂取する情報の取捨選択を行わないことで、ミエンディアの居場所を一瞬でも早く見つけるためであり、その判断に間違いはなかった。
ミエンディアは、遙か彼方にあって、次空の狭間を游ぐように移動していた。
莫大な神威を発しながら移動する様は、さながら星の海を駆け抜ける流星のようであり、ミエンディアがいかに強大な力を秘めているのかがわかろうというものだ。
ミエンディアの力を以てすれば、世界のひとつやふたつ、容易く破壊することができるだろう。が、ミエンディアの目的は、そこにはない。ミエンディアは、むしろ、すべての世界を統合することこそを目的としているのだ。
そして、それを止めることがセツナの目的であり、故にこそ、ミエンディアを斃さなければならない。
今度こそ、ミエンディアの完全なる消滅を果たさなければならない。
復活の可能性を残してはならないのだ。
完全無欠の勝利を。
そのための、これまでの戦いなのだ。
セツナは、脳裏を過ぎった数多の光景を振り切るようにして、翼を羽撃かせた。
次空の狭間は、宇宙とは違う。が、普通の生物が生きていられるような、そんな生易しい領域でもない。神々ですら軽々と世界間移動を行えないのは、この次空の狭間が立ちはだかっているからだ。
にも関わらず、ミエンディアが平然と次空の狭間を移動できているのは、聖皇の力と神理の鏡の力のおかげだろう。
セツナもまた、魔王態のおかげで、次空の狭間をありふれた世界のように移動することが可能なのだ。
翼の羽撃きによる推力の確保も、魔王の魔力によるものだ。
魔王の力がなければ、この次空の狭間ではなにもできないまま死んでいたに違いない。
そんなことを想いながら、セツナはミエンディアを追った。
ミエンディアは、随分と離れたところにいて、次空の狭間を一直線に駆け抜けている最中だった。まるでどこかに目的地でもあるかのような一心不乱さだった。
だとすれば、ミエンディアが次空の狭間に出た理由が、セツナと戦う以外にもあるということになるが、果たして。
(世界統合のため……か?)
なるほど、ミエンディアの目的は、百万世界の統合だ。
百万もの世界を唯一無二の世界に作り替えるには、イルス・ヴァレを基点とするよりも、次空の狭間のほうが都合がいいと考えたのだとしても、なんら不思議ではなかった。そして、そのためにこそ、ミエンディアは次空の狭間を移動しているのではないか。次空の狭間の中心に向かっているのではないのだろうか。
つまり、ミエンディアは、セツナと戦い、セツナを滅ぼした後、すぐさま世界統合を行うため、次空の狭間に転移したのだ。
そう考えれば、ミエンディアが移動しているのもわからなくはない。
(随分と合理的なことで)
セツナは、ミエンディアの後を追いながら、皮肉に目を細めた。
不意に、ミエンディアが動きを止めた。
遙か遠方でこちらを振り返り、空いているほうの手を翳したのだ。




