第三千六百五十二話 トワ
異変が起きたのは、ファリアたちを追いかけていた最中だった。
おそらくミエンディアの加護によって天使と化したのであろう集団の大移動は、セツナの消失から少しばかりの時間が経過してからのことであり、それがなにを意味しているのかは、トワにもはっきりとわかった。
セツナがこの世界に復帰したのだ。
セツナの消失は、セツナ本人の意図によるものなのか、ほかのなにものかの意思によるものなのかはトワにはわからなかったが、消失したことそのものについてはなんの心配もしていなかった。
セツナがただ消失し、それで終わるわけがない。
これまでどれだけの艱難辛苦を乗り越えてきたというのか。
どれほどの窮地を打破し、どれだけの絶望を覆してきたのか。
トワは、セツナを心の底から信じていたし、すぐにも再び姿を現すだろうと想っていた。
そして実際、その通りになったのだ。
ファリアたちが突如として動き出したのがその証左だ。
なぜならば、ファリアたちミエンディアの天使は、セツナを斃すために派遣されたのであり、セツナがこことは別の場所に現れたというのであれば、そちらに向かって移動するに違いないからだ。
移動中に聞こえてきた罵声や怒声が混じり合ったファリアたちの会話の中からも、セツナがこの世界に復帰したことが伝わってきていた。
なんら心配する必要はなかった、ということだ。
セツナが異世界に転移した意図は不明だが、イルス・ヴァレに戻ってきたのであれば、なにもいうことはない。
そして、復帰した場所、現在地を考えれば、なにを不安がることがあるのか、という気分でもあった。
セツナは、どうやらミエンディアの目の前に現れたようだった。
そのことを知った天使たちは、大急ぎでミエンディアの居場所へと向かって動き出した。
セツナとトワの前に現れたときのような魔方陣を用いた空間転移は用いていない。おそらく、あの方法は、ミエンディアが天使たちを送り込むための手法であって、天使たちが常に利用できる移動手段ではないのだ。だから、天使たちはみずからの光の翼を羽撃かせ、風を切るように空を飛ぶ。
トワは、そんな天使たちに引き離されないように追いかけていた。
トワとしては、天使たちとセツナの戦闘だけは避けたいところだったが、現状、彼女にはどうすることもできなかった。
いくら話し込んでも、どれだけ説明しても、どれほど説得したところで、天使たちには響かないのだ。セツナがファリアたちにとってこの上なく大切なひとだったという事実は、むしろ、ファリアたちを失意のどん底に突き落とし、絶望させてしまっている。なにをいっても、どんな言葉を用いても、ファリアたちのセツナへの想いが戻ってくることはない。
トワの、神の力を用いても、だ。
より大きな神の力である、ミエンディアの力の前では、無力なのだ。
いや。
(ひとつだけ……)
トワは、前方で突如として動きを止めたファリアたちの後ろ姿を見遣りながら、胸中でつぶやいた。
ひとつだけ、方法はある。
だが、その方法では、すぐにまたミエンディアの力によって塗り替えられることもわかっている。
だから、トワは、なにもできない。なにもいえない。ただ、見守ることしかできないのだ。
ただ、セツナがミエンディアを討ち果たし、この戦いを終わらせる瞬間を待つしかない。
そして、そのためにファリアたちが巻き込まれないことを祈り、そのための努力を最大限に行うしかない。
「また、消えた……?」
ファリアたちが空中で立ち往生しているのは、再びセツナの気配が消失したからだけではない。
天使たちの行軍が止まった場所は、しばらく前まで決戦の地であった小さな島の上空だった。ガンディア小大陸と名付けられたその島は、いまやかつての面影など完全に失われるほどに崩壊しており、原型など保ってもいない。
そこは、ミエンディアと戦った場所でもある。
そして、ミエンディアが瞑想を始めた場所であり、セツナが最悪の状況から逃れるべく空間転移を行った場所でもあった。
つまり、ミエンディアはつい先程までここで瞑想しており、そこへセツナが現れ、戦闘に入ったのだろう。そして、ふたりとも、異世界へと姿を消した。
空気中に漂う神威や魔力の濃度から、手に取るように分かった。
セツナにせよ、ミエンディアにせよ、とてもトワには干渉できる存在ではなくなっている。
「今度は、聖皇様も一緒みたいだけどね」
とは、ルウファだ。彼を含め、ミエンディアの天使たちは、ミエンディアのいなくなった虚空を見遣り、難しい顔をしていた。
「どうする? 追いかける?」
「ふたりの行き先は、ここではないどこかの異世界じゃぞ。どうやって追いかけるというのじゃ」
ラグナの疑問ももっともだった。ゲートオブヴァーミリオンの力を操るミエンディアや、魔王の杖の護持者であるセツナならばまだしも、ファリアたちに異世界への通路を作ることができるとは、考えにくい。
そもそも世界間移動など、神属ですら困難を極めるのだ。
いくら武装召喚師であり、ミエンディアの加護を得ているとはいえ、彼女たちに追いかけることなどできるわけがない――と、トワは想ったのだが。
「あたしたちが全身全霊の力を込めた上で力を合わせれば、やってできないことはないわよ!」
ミリュウが大見得を切ると、ルウファが肩を竦めた。
「簡単にいってくれるなあ」
「でも、ミリュウのいうことも確かよ。わたしたちは最終試練を乗り越えて、ここにいるのよ。召喚武装の力を最大限に発揮することができるわ。この力を合わせれば、聖皇様の、セツナの居場所まで転移することだってできるはず」
ファリアがルウファ、ミリュウの順に目配せをして、最後にシーラに視線を送った。
この中でもっとも召喚武装を心を通わせ合っているのが、ファリアを含めたその四人だという話だった。
召喚武装とは、武装召喚術の術式によって武器や防具に変化した異世界の住人なのだ。オーロラストームも、シルフィードフェザーも、ラヴァーソウルも、ハートオブビーストだって、それぞれの世界においては、異なる姿をしているだけでなく、それぞれ重要な役割を担っていると考えられる。でなければ、あれほど強大な力を発揮できるわけがないからだ。
召喚武装の能力は、本体の能力に依存する。
つまり、強大な力を持つ召喚武装は、異世界に於ける神などの上位存在である可能性が高いのだ。
そんな召喚武装の力を合わせれば、次空に穴を開け、セツナとミエンディアを追いかけることも不可能ではないのかもしれない。
が、トワは、それだけは止めなければならなかった。
そんなことをしても、なんの意味もない。
ファリアたちは、ミエンディアに加勢しようというのだろうが、セツナとミエンディアの戦いは、もはや彼女たちが付け入る隙など存在しないはずだ。ただの足手纏いになるか、セツナにとって致命的な欠点にならざるを得ない。
ミエンディアの足手纏いになるだけならばまだしも、ファリアたちの存在がセツナを窮地に曝す可能性があるのであれば、なんとしてでも彼女たちの挑戦を止める必要があった。
とはいえ、自分の説得が彼女たちに通用するはずもないことも、トワは知っている。
ファリアたち――天使たちには、理屈は通じないのだ。
感情が、彼女たちを突き動かしている。
だから、トワもまた、感情をぶつけるしかない。




