第三千六百五十一話 勇者の反撃
迫り来るのは、獅子神皇に匹敵する神威の塊。
それだけでも厄介極まりないというのに、それが複数、四方八方から襲いかかってくるのだから鬱陶しいことこの上ない。
無論、それらを相手にする必要などはない。
斃すべきはミエンディアであり、ミエンディア以外はすべて、無視し、黙殺したって構わないのだ。
(なんて)
セツナは、神威の塊の真横を擦り抜けるように飛翔しながら、虚空を蹴りつけた。アックスオブアンビションが大気に波紋を奔らせる。破壊の波動は瞬時に空間を自壊させ、その連鎖でもって神威の塊を飲み込んでいく。
圧倒的な自壊の連鎖に飲み込まれた神威の塊は、あっという間に呆気ないほど容易く崩壊した。
(そういうわけにはいかねえよな)
神威の塊は、ミエンディアから解き放たれた力であり、その時点で別個の存在といっても過言ではないのだ。ミエンディアを斃せばそれで消え去るというものではない。故に、放置するわけにはいかないのだ。そんなことをすれば、この世界に多大な被害をもたらす可能性がある。
(その可能性も少ないんだが……)
セツナは、ミエンディアが膨大な光の中で微笑しているのを一瞥し、立て続けに神威の塊を撃破して見せた。
ミエンディアの目的が目的である以上、彼女がこの世界をこれ以上傷つける可能性は限りなく低い。
それは、ミエンディアがファリアたちや連合軍将兵をセツナ討伐に寄越したという事実からも明らかだ。
ミエンディアは、この世界が傷つくことも、この世界の生命が損なわれることも、恐れているのだ。
だからこそ、ファリアたちをセツナの元へ寄越した。
セツナが、ファリアたちを始めとする連合軍将兵と戦闘することなどありえず、傷つけるどころか、殺すことなど万にひとつもありえないと理解しているからだ。
それはつまり、ある意味でセツナを信頼しているという証でもあるのだが、聖皇に信頼されたとして、嬉しいわけもなかった。その信頼を自分の目的のために利用したのだから、むしろ憤ってもいい。
その上で、セツナがファリアたちに斃され、殺されてくれるのであれば、それに越したことはないと考えていたはずだ。
だが、そうはならなかった。
セツナは、魔界に逃れることで、ファリアたちの猛攻を凌ぎきった。そして、イルス・ヴァレへの転移でもって、聖皇の眼前へと到達したのだ。
それは、ミエンディアにとって予期せぬ結果だったに違いないのだが、それでも余裕に満ちた態度を見せているのは、驚くには値しない事態だったからだろう。
なにせ、セツナは、魔王だ。
百万世界の魔王の力を使う、イルス・ヴァレの魔王。
であれば、なにが起こったとしても不思議ではない、と、ミエンディアは考える。
考えた末に、世界に大打撃を与えかねない攻撃を繰り出してきたのは、少しでもこちらの力を削ぐため――。
「つまり、だ」
セツナは、残る神威の塊を打ち砕くと、ミエンディアの頭上へと至った。矛を振りかぶり、告げる。
「あんたは、俺の力が心底恐ろしいんだ」
ミエンディアがこちらを仰ぎ見た。双眸が金色に輝き、純白の盾が黒き矛の軌道上に展開する。
「それはそうでしょう」
魔王の杖と神理の鏡が激突した瞬間、周囲の時空が激しく軋んだ。時間も空間も、次元にさえも影響を与えるほどの力の衝突。セツナとミエンディア、両者の肉体にはなんの影響も生まれないのは、互いに相殺しているからにほかならない。相殺しきれなかった力が周囲に拡散し、凄まじい影響をもたらしている。
「あなたは魔王ですよ」
ミエンディアが、神理の鏡の力を解放しながら、当然のように告げてきた。
「ですが、わたしも勇者です。立ち上がり、恐怖に打ち勝ち、魔王を討滅しましょう。そして、この世界に、この百万世界に、永遠の幸福と安寧をもたらすのです」
「はっ」
セツナは、矛の力が反射されるのを嫌って、一度、ミエンディアから離れた。シールドオブメサイアと正面からやり合うのは得策ではない。力が反射されるだけならばまだしも、その反射された力が周囲に拡散し、悪影響を及ぼすことを考えれば、攻めにくくもなる。
本物の魔王のように、世界の行く末など考える必要がなければ話は別なのだろうが、セツナは、魔王と名乗っているだけのただの人間に過ぎないのだ。
どうしたところで、魔王のような非情さは持てない。
そして、それは、聖皇も同様であるらしかった。
ミエンディアは、盾によって拡散した力が地上や周囲に悪影響を与える前に消し去って見せると、空いているほうの手を頭上に翳した。
すると、膨大な神威が一条の光となって立ち上り、天を貫いていった。蒼穹に穿たれた大穴は、次空の大穴であり、異次元への扉といっても過言ではなかった。
なにをするのかと思っていると、聖皇は、そのまま急上昇し、みずから開けた異次元への扉に吸い込まれるようにして、消えていく。
そして、次空の大穴は、跡形もなく消えて失せた。
「おい!」
予期せぬ聖皇の行動にセツナは声を荒げつつ、後を追った。追わざるを得ない。聖皇が何処へ行こうとも、追いかけ、討ち斃さなければならないのだ。放っておけば、聖皇による世界統合が始まり、完遂されるのだ。そんなことになれば、どうしようもなくなる。
無論、聖皇にとってはセツナと魔王の杖の存在は看過できないものであり、世界統合の完遂よりも前に討ち斃さなければならないものに違いないのだが、だからといって、世界統合を始めないとも限らないのだ。
百万世界が統合されていく中で戦いを仕掛けてくる可能性だって、十分にあり得た。
それだけは、阻止しなければならない。
世界統合によってもたらされるのは、確かに恒久の平穏なのかもしれない。
そこには争いや諍いなどはなく、だれひとり悲しむことのない世界なのかもしれない。
だが、同時に、喜びも楽しみも存在しないのだ。
聖皇によって統合されるのは、世界だけではない。
百万の世界と、百万の世界に存在するすべてのものが、ひとつになるのだ。
たったひとつの完全無欠の存在へと、回帰させられるのだ。
それはつまり、いま生きているすべての人間、すべての竜、すべての皇魔、すべての神、すべての魔が、消えて失せるということだ。
百万世界の魔王さえも、完全なる統合の前では無力だ。
統合されてしまえば、魔王のすべても溶けて消える。
ミエンディアがなぜ魔王とセツナを斃すべき敵だと認識しているのかといえば、世界統合の邪魔になるからにほかならない。
統合さえ完了すれば、魔王など、セツナなどどうでもいいのだ。
邪魔される可能性があるから、斃さなければならない。
それだけのことであり、セツナと魔王を捨て置いて統合できるのであれば、そうするに違いなかった。
もっとも。
「あいにくだが、それくらい、俺にもできるんだよ」
セツナは、軽く矛を振り、眼前に次元の穴を開けた。
それはセツナを異次元での戦いへと誘うものであったが、彼はなんの躊躇もなく飛び込んだ。




