第三百六十四話 矛と盾(十二)
「そうでもしないと、ドラゴンを出し抜くのは難しいと思ってね」
「そりゃそうだけどさ」
「で、君の提案だけど、とりあえず保留とさせてもらうよ」
「保留?」
「本隊がここを通過するまでは無駄な力を消費したくないからね」
「そりゃそうだ」
セツナは、クオンの発言の意味を理解して、小さくうなずいた。無駄な消費というより、実験をしたくないのだ。守護防壁の拡大とやらで龍の動きを封じられるかどうかの実験をして、肝心の本隊が到着したときに精神を消耗し尽くしていたら、笑い話では済まない。
セツナたちの目的は、本隊の龍府到着を援護することであり、ドラゴンの打倒ではない。セツナはドラゴンを倒したいと考えているが、そんな個人的な意志のために全軍を危険に曝すような真似をクオンは認めないということだ。
それにはセツナも納得するし、反論を挟む余地はない。まずは本隊のヴリディア突破を最優先に考えるべきだ。そのためにも、いまここですべての力を出しきるのは明らかに間違っている。余力を残す戦い方をしなければならない。
「予定通りに進んでいたとしても、本隊がここに到着するまでまだ時間がある」
「それまでは手を抜け、ということか」
「そういうこと。まあ、君は思うまま暴れればいいんだ。ぼくが君を護る限り、君は無敵だ」
クオンの言い様にセツナは静かにうなずいた。クオンの判断に間違いは見えない。少なくとも、いま全力を出そうとしていたセツナよりは余程全体のことが見えている。やはり、頼りになる存在だ。
(俺は、まだまだ馬鹿だな)
反省とともにドラゴンに向き直る。
黒白の竜は、身動きひとつしていない様子だった。こちらの作戦会議を待ってくれていたのかもしれないし、そうではないのかもしれない。なんにしても憶測の域を出ないのだから、考える必要はない。
「やるべきは時間稼ぎ、だな」
セツナは、矛の柄を握り直した。力は充溢している。疲労も、少しは回復した。作戦会議のおかげで、だ。これならば余裕で戦える。戦うことはできる。いまは、それだけで十分だ。
日はまだ、昇りきってもいない。
ザルワーンの守護龍の巨躯が、前方に聳えている。
守護龍。
そのドラゴンたちは、五方防護陣の砦跡に出現し、その場から一歩も動いていないのだ。まさに守護を司るドラゴンというべき存在だった。移動してはいないが、姿形は何度も変わっている。
最初、緑色の外皮に覆われた龍の首だった。戦いが始まったと思われるころ、漆黒の外殻に覆われた竜となった。そしてしばらく前、漆黒の右半身と純白の左半身を持つ存在へと変わり果てた。
まるで黒き矛と白き盾だという評判だったが、ミリュウもそう思った。それ以外には考えられない。守護龍は、セツナの召喚武装を模倣するだけでは飽き足らず、クオン=カミヤの召喚武装も再現してみせたのだ。そうすることで戦闘を有利に運ぼうとしたのか、精神的優位に立とうとしたのか。そのどちらでもあるのかもしれない。
ドラゴンの能動的な動きは、セツナたちの戦闘の激しさを物語っている。ドラゴンの一挙手一投足が、さながら自然災害のような暴威となって遙か前方に示現している。土砂が舞い上がり、木々が吹き飛んでいく。
街道を進行するガンディア軍本隊だったが、ヴリディア砦の跡地に近づくたびに戦闘に巻き込まれる危険性は高くなっていた。もっとも、戦場が視界に入れば、むしろ安全極まりないのだが。
「ドラゴンについて、あなたは本当になにも知らないの?」
「知らないわよ。知っていたら、とっくに教えてるってば」
「……そうよね」
ファリアが、ため息混じりに視線を前方に戻した。
ミリュウがああまで強く言い切れば、納得できないとしても、追求を諦めざるを得まい。元より、疑っているわけでもないのだろう。確認しただけのことだ。ミリュウも、ファリアの気持ちがわからないでもないから、気を悪くするということもなかった。
ふたりを乗せた馬は、ゼオルからヴリディア砦へと通じる街道を邁進している。もちろん、ガンディア軍本隊とともにだ。晴れやかな空の下、総勢七千人を超す大軍勢が、土煙を上げる勢いで驀進している。
ミリュウたちは、その大軍勢の先頭集団にいる。
ミリュウがファリアと同じ馬に乗っているのは、彼女の立場が捕虜だからにほかならない。馬の乗り方も知らないセツナとは違うのだ。五竜氏族リバイエン家の姫君とでもいうべき身分だったミリュウにしてみれば、乗馬など、当然の嗜みだった。もっとも、軍馬に乗ったことはほとんどないのだが。
ミリュウは、疾駆する軍馬から振り落とされないように、派手な鎧に身を包んだファリアの腰に腕を回していた。ファリアの背に頬を埋める。金属の鎧の冷ややかさに、これが現実なのだと思い知らされるようだ。
(現実……現実よね。なにもかも、現実なのよ)
前方に聳え立つ竜とも巨人ともつかない存在も、その出現によって五方防護陣の砦が消滅したことも。そして、何千ものザルワーン人の命が失われたことも。
いや、何千では済まない数の国民が犠牲になったのかもしれない。
五方防護陣の五つの砦には、第一から第五までの龍牙軍が駐屯していただけではないのだ。砦は、ひとつの街のようなものだった。そこには、何千ものひとびとが龍牙軍の兵士たちとともに暮らしていた。
龍府は、ザルワーンの首都だけあってとてつもなく巨大な都市だ。もしかすると、砦の住民のいくらかは龍府に移されていたかもしれない。しかし、すべてではない。ミリュウが自分の記憶を探る限りでは、五砦の全住民を受け入れられるほどの許容量は、龍府にもなかった。
では、五砦のひとびとはどうなったのか。
(死んだのよ。みんな、死んだんだわ)
死んで、竜が現れた。
ミレルバス=ライバーンの仕業とは考えにくい。ミレルバスは、優秀な人間だという。あの他人を見下しきったオリアンが胸襟を開くほどだ。余程の人物なのだろうと、ミリュウは幼い頃から思っていた。そして、ミレルバスはそのような大それたことを仕出かすような人物には見えなかった。
もちろん、判断を下したのは、国主であるミレルバスに違いない。
(召喚……されたのよね。きっと)
五方防護陣に突如として出現した五首のドラゴン。出現の直前に目撃されたのは、武装召喚術の術式に酷似した呪文の羅列であり、光であり、波動。
どこからともなく出現するというのは、武装召喚術と同じだ。
行程こそ異なってはいるものの、結果は同じなのだ。
光の中から出現したドラゴンは生物のようであり、その点でも武装召喚術と似ている。召喚武装もまた、意思を持つ生物だ。武器や防具の形をした生物なのだ。
なにより、五首の竜は、ミリュウの幻竜卿のように、召喚武装を模倣して見せた。
(幻竜卿は召喚できなかった)
ドラゴンが出現して以来、ファリアたちに隠れて何度も試したのだが、一度足りとも召喚に成功しなかった。こんなことはいままでなかった。少なくとも、地上に出てからというもの、彼女が幻竜卿の召喚に失敗したことはない。幾度となく召喚してきたのだ。呪文を間違えた、などということはありえない。
幻竜卿がほかの武装召喚師に召喚されていて、だからミリュウの召喚に応じられない、というわけでもなさそうなのだ。召喚に応じないのではない。召喚できないのだ。
幻竜卿がドラゴンそのものなのか、ドラゴンの召喚に幻竜卿が関わっているのか。
どちらにせよ、無関係とは考えられなかった。
(そして、あの術式はあの男の……)
ミリュウは険しい顔になっている自分に気づいたが、どうすることもできなかった。幸い、驀進中だ。だれもミリュウに注目などしていない。この状況では、ファリアの格好にすら無関心になっているほどだ。
だから彼女は、表情が歪んでも気にしなかった。元来、体面など気にする柄ではないのだが。
魔龍窟の武装召喚師が学んだ召喚術式は、魔龍窟の総帥だったオリアン=リバイエンが構成したものだった。
オリアン=リバイエン。
ミリュウの実の父親であり、ミリュウにあらゆる幸せを与え、ミリュウからあらゆる幸せを奪っていった男。
ミリュウがもっとも愛し、もっとも憎んだ人間。