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第三千六百三十七話 絶望の中の希望

 死神の寝床といえば、ベノアガルド領内にある騎士団の拠点のひとつの通称だ。

 “大破壊”直後、荒れ狂う大海原を泳ぎ切りベノア島に辿り着いた騎士テリウス・ザン=ケイルーンは、ひとりの女を担いでいた。それこそ、死神レムであり、テリウスによってこの建物の中に運び込まれたレムは、セツナの現世への帰還を待ち、眠り続けていたのだ。

 故に、この場所は死神の寝床と呼ばれるようになったのだ。

 セツナがベノア島に降り立ち、レムが覚醒したことによって、死神の寝床は本来の姿へと戻っているはずだ。

(騎士団の休息所……だよな)

 セツナは、感知範囲内に人間の気配が感じられないことを訝しんだ。

 いくら騎士団が全力を上げて連合軍に合流したとはいえ、本国防衛のための戦力を残していないはずがなかった。ベノアガルドにはたくさんのひとびとが住んでいて、暮らしているのだ。

 ネア・ガンディアを打倒しなければ、獅子神皇を討滅しなければ、そんな市民の未来さえ奪われることになるとはいえ、だ。

 ネア・ガンディアが戦力を寄越してこないとも限らなければ、まったく別の第三勢力が攻め込んでくる可能性だって皆無とは言い切れなかった。

 故に、連合軍に合流した騎士団の戦力は主力であっても全軍ではないはずだった。

 しかし、死神の寝床周辺には、ひとの気配というものがない。

 魔王の力による感知を逃れられる人間がベノアガルドにいるはずもないため、そういう意味では安全だったし、安心していいのだが、不思議でもあった。

(休息所は護る価値がないってことか……?)

 疑問ではあったが、ほかに理由は考えられず、ひとり納得し、建物内に入り込む。

 扉には鍵もかかっておらず、中もがらんとしていた。

 レムが寝床として占有していたときのほうが、まだしもにぎやかだったのではないかというほどの静寂が満ちている。

 セツナは、落ち着いて休める場所を求めていた。消耗した体力、精神力を少しでも回復させなければならなかったし、いまもなお混乱の後が残る頭や心の整理をしたかった。

 休息所の建物内に足を踏み入れれば、セツナの靴音だけが沈黙を破るように反響した。冷え冷えとした静けさが、セツナを包み込んでいく。

 だが、むしろ、それがありがたかった。

 だれもいない状況だからこそ、安心して休むことができる。

 仮に、ここにひとりでもだれかがいれば、そうはならなかっただろう。しばらくの間休ませて欲しいといって聞いてもらえるか、どうか。

 騎士団関係者ならばセツナのことは知っているに違いないのだが。

(いまは……どうだ)

 セツナの脳裏に、憎悪さえ浮かばせるファリアたちの姿が過ぎった。

 あの場にいたファリアたちだけがセツナの敵になったのか、どうか。

 ミエンディアがそれだけのことで済ませるとは思えなかった。

 一歩一歩踏みしめるようにして建物内を歩き、広間に入った。そこは、かつてレムが寝所としていた場所であり、“死神”たちが守りについていた空間でもあった。

 もちろん、いまはレムの姿も“死神”たちの姿もない。

 だれもいない広間を歩いていると、前方の空間が歪んだ。立ち止まり、警戒する間もなく、空間に穴が開き、その穴の中からひとりの少女が姿を覗かせる。やがてこちらの空間に転移してきたその少女は、セツナの姿を目の当たりにすると、安心したような、それでも心配で堪らないとでもいうような表情をした。

「兄様……」

 トワだ。

「トワ……おまえ……」

 セツナは、トワが空間転移によって追いかけてきたことを知るも、彼女のまなざしに敵意も殺意もないことを認め、警戒を解いた。尋ねる。

「おまえは、俺の敵じゃないのか?」

 すると、彼女は、きょとんとした顔になった。なにをいっているのかわからないとでもいいたげな表情は、トワがセツナの味方であることが当然だといっているかのようだった。

 そして、駆け寄ってきたトワは、どこかに座るようにセツナをうながす。セツナはトワの指示に抗わず、周囲を見回して見つけた椅子に腰を下ろした。

「よくここがわかったな……」

「兄様の気配を辿ったの。兄様の魔力、独特だからすぐにわかったよ」

 そういいながら、トワは、椅子に座ったセツナの体に手を翳した。小さな手のひらが淡い光を帯び、その光がセツナの体を包み込んでいく。

 まるで魔法のように痛みが薄れ、傷口が急速に塞がっていった。

 皮膚も筋肉も内臓も骨も、なにもかもが癒やされ、回復していく。

「ありがとう、トワ。助かった……」

 心の底から感謝すると、トワは、少しばかり照れくさそうに笑った。しかし、その表情も長くは続かなかった。

「こんなところに逃げ込んでいたのかい」

 聞き覚えのある声とともに感じたのは、やはり空間転移の余波であり、強大な力によって歪められた空間が収縮し、正常化していく感覚だった。背後からだ。

 少年のような声の主がだれなのか、振り向かずともわかった。その悪意のような善意に満ちた声音を忘れることなどありうるわけもない。

 マユラ神だ。

 トワがセツナの治療を続けながら警戒したことから、マユラ神が彼女とは異なる状態にあることを悟る。

 幸い、セツナは未だ、魔王化したままだ。

 状況が最悪かつ不透明である以上、魔王化を解除し、召喚武装たちを送還するわけにはいかなかったからだ。

 そのおかげでどんな状況になっても対応できる。

 椅子に腰掛けたまま振り向けば、確かにマユラ神がいた。広間の空中に浮かび、神々しくも輝いている。絶望を司る神だというのに、まるで希望に満ちた存在であるかのようなその有り様は皮肉が効きすぎている気がしないではなかった。

「俺の魔力ってのは、そんなにわかりやすいのかね」

「それはそうだろう。おまえは魔王だ」

 マユラ神は、冷ややかな笑みを浮かべている。

「魔王の杖の護持者だったはずのおまえが、いまや魔王に等しい存在となった。その力は百万世界の魔王に近く、百万世界に破壊と混沌を振り撒けるだけの存在となったのだ。その魔力がなによりも禍々しく、邪悪で、破壊的なのは当然だろう。とはいえ、わたしがここに辿り着けたのは、おまえの魔力を追ったからではないよ」

 マユラ神のまなざしがトワに向けられる。

「その女神を追ってきたまでのこと」

「トワのせいで……ごめんなさい」

 トワは、平謝りに謝ってきたが、セツナはもちろん、そんなことはなんとも想っていなかった。

「謝ることじゃねえよ、トワ。トワのおかげで俺はほとんど完璧に回復できたんだ。トワが追いかけてくれていなかったら、いまごろどうなっていたか」

「兄様……」

 セツナは、椅子から立ち上がると、トワの頭を撫でた。トワによる治療は終わっていて、肉体的には完全に回復していた。全身のあらゆる傷が塞がり、すべての痛みが除去されたのだ。

 問題は、精神力だけだが、これも方法ひとつでどうにでもなる。

「随分とお優しいことをいうものだな、魔王セツナよ」

 マユラ神は、そういったが、その声音や態度には以前との変化が見受けられなかった。

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