第三千六百三十五話 敵対者
ファリアがオーロラストームの照準を合わせているのは、間違いなくセツナだった。
先程セツナの左手を貫き、いまもなお高温と痛みを発し続けているのは、オーロラストームが得意とする雷光の矢による傷痕に違いなかった。
しかし、だとすればなぜ、ファリアがセツナを狙い撃ったのかがわからない。そもそも彼女は、ほかの皆とともに守護結界に包まれ、蚊帳の外へと放り出されていたはずだ。いつの間に戦線に復帰し、しかもどうしてセツナを撃ったのか。
そして、なぜ、彼女は、悲壮な決意と絶望的な覚悟を込めたまなざしで、セツナを見据えているのか。
手が震え、オーロラストームの嘴が揺れている。
「なっ……」
なにをしたのか、と、問おうとしたが、言葉にならなかった。
起きた事実を認めたところで、到底受け入れられることではなかったし、頭の中が真っ白になって、なにも考えられなくなるのも必然だった。言語を絶するとはまさにこのことだろう。
「どうして、裏切ったのよ……セツナ!」
ファリアが叫び、オーロラストームが慟哭する。彼女の全身を包み込む無数の結晶体が鮮烈な輝きを発し、凶悪なまでの雷光の渦が迸り、セツナに殺到する。
「うらぎ――?」
言葉が上手く出てこないまま、雷の奔流をかわして見せたが、つぎの瞬間、別方向からの殺意にぎょっとした。無数の真紅の刃が視界を化する。ラヴァーソウルの刃片群だ。磁力によって結ばれたそれらは、さながら鞭のようにしなりながら虚空を駆け抜け、主の元へと戻っていく。
「そうよ! なんであたしたちを裏切るような真似をしたのよ! セツナ!」
ミリュウだ。
「信じていたのに!」
ミリュウが周囲に集まった刃片たちを展開しながら絶叫した。血反吐を吐くような叫び声は、セツナの耳に、心に痛烈に響く。その声音に嘘はなかった。真実しかなかったのだ。だからこそ、耳朶に刺さり、頭の中で反響し、目眩さえする。
「教えてくれよ、セツナ」
今度は、シーラだった。いくつかの尾がセツナを狙って空を薙いだ。虚空を切り裂く斬撃に空間を貫く突撃、そして、大気を打ち砕く殴打。強烈な三連撃をかわせたのは、反射だろう。染みついた戦闘経験がある程度の攻撃ならば無意識のうちに回避する。
シーラも嘆きに満ちた視線でもって、セツナを睨んでいた。
「なんだって俺たちが裏切られなきゃなんねえんだ?」
「待て、待ってくれ。突然なんだよ? 裏切る? 俺が? だれを裏切ったっていうんだ?」
「決まっておろう」
怒りとも哀しみともつかぬ声が聞こえて、翡翠色の光が視界に満ちた。ラグナだ。ラグナの竜語魔法が目の前で炸裂し、セツナを吹き飛ばしたのだ。
セツナは、なんとか重傷を免れたものの、全身を強く打ちつけられた。
「わしらをじゃ。のう後輩よ」
「はい。先輩。まことに残念です」
透かさずウルクが掴みかかってきたが、からくもこれを回避する。体中が悲鳴を上げているが、本当に叫びたいのは、心のほうだ、と、セツナは想った。なにがどうしてこうなったのか。
いや、それはわかっている。
セツナは、敵意の奔流の中で、ミエンディアを睨んだ。
「いったい、なにをしたんだ……ミエンディア!」
しかし、ミエンディアは応えず、それどころかまったく別方向から攻撃が飛んできた。長大な光の刃は、エスクのソードケインだ。
「それは酷い言い様ですな、セツナ様。いや、いまは魔王と呼ぶべきか」
「エスク……おまえまでか」
「そりゃあそうでしょう。あなたのために命を賭して戦ってきたっていうのに、この土壇場になって俺たちを裏切ってくれたんだ」
「だから、俺は裏切ってなんて――」
「言い訳なんてらしくないですよ、隊長」
「ルウファ……」
エスクに続いて襲いかかってきたのは、極彩色の羽の螺旋だった。無数の羽が織り成す竜巻がセツナを包み込み、全身を切り刻みながら空中高く運んでいく。その途中で防御障壁を展開したものの、時既に遅し、という奴だ。顔面が血まみれになっていた。
(おまえもかよ)
見回せば、エリナも、エリルアルムも、非戦闘員のエインまでもがセツナを敵意の籠もったまなざしで見つめていた。さっきまであれほど互いに支え合い、庇い合って戦っていた仲間たちだというのに、だ。
なぜ、こんなことになったのか。
考えら得ることはひとつしかない。
(奇跡の時間……といったな)
ミエンディアは、そう嘯き、光を放った。神々しいばかりの光の波動は、セツナと周囲一帯だけでなく、かなり広大な範囲を包み込んだようだった。そのときに抱いた違和感の正体こそが、この現状を作り出しているに違いない。
それがなんなのかは、わからない。
わからないが、なにかをしたのは確かだ。でなければ、ファリアたちがセツナを裏切り者と呼び、攻撃してくることなどありえない。
そしてそれが、神威による使徒化などではないことは、はっきりしている。魔王の祝福と加護によって、ファリアたちが神威に支配されることはありえないし、使徒ならばその身に神威を宿しているはずだ。ファリアたちにその兆候は見られない。
では、なにが起こったというのか。
(なにが……)
セツナは、ミエンディアを一瞥したが、聖皇はこちらの動向など気にしている素振りもなかった。もはやセツナのことなど眼中にないといわんばかりに目を閉じ、集中している。
四方八方から飛来する様々な攻撃をなんとか回避しながらミエンディアへの攻撃を試みようとするが、セツナには攻撃を仕掛けることすらできなかった。
ファリアたちがミエンディアの周囲に集まり、布陣したからだ。
ファリア、ルウファ、ミリュウ、ラグナ、シーラ、エスク、ウルク、エリナ、エリルアルム、エイン――。
そこにレムの姿は見当たらず、周囲に気配も感じられない。レムだけはミエンディアの力の影響を免れたのかと想いたかったが、どうやら、そういうわけでもなさそうだった。
セツナの感知範囲は、魔王の力によって大幅に増強されている。さっきまでいたはずの場所からレムの反応そのものが消滅しているのだ。これは、なにかがあったと考えるべきだろう。レムの気配が消えることなど、ありえないことだ。命が繋がり、魂で結ばれた間柄なのだ。セツナが死なない限り、レムが死ぬことなどありえないのだ。
では、なぜ、レムの気配が感じられないのか。
ありえないことばかりが起きすぎて、セツナは、軽く混乱状態に陥っていた。
ファリアが、ルウファが、ミリュウが――心の底より信頼し、愛し、幸福を願うひとたちが、皆、一様に敵に回ってしまったのだ。そして、だれもが裏切り者と罵り、殺意を込めた攻撃を放ってきている。魔王の力がなければ一瞬で消し炭になるような攻撃の数々。
セツナにとって、これほど最悪な状況はなかった。
だが、目の前の現実を否定することなどなにものにもできない。
まるで世界中が敵に回ったような感覚の中で、彼は叫んだ。
そしてミエンディアを睨み、すぐさま黒き矛をみずからの足に突き刺した。
噴き出す血の赤に映るのは、遙か世界の彼方。




