第三千六百三十四話 奇跡の時間
「そんな……っ!?」
終わりなく繰り返される爆発の連鎖の中で、ミエンディアがセツナを視界に捉えることができたのは一瞬だっただろう。その瞬間に見せた愕然とした表情は、ミエンディアの想像を遙かに凌駕する結果に終わったことを示しており、それだけでセツナは多少なりとも溜飲を下げた。もちろん、それで油断はしない。
力の限りを叩き込み、完膚なきまでに破壊し尽くす。
これですべてを終わらせるのだ。
セツナには覚悟があり、その想いが黒き矛にも伝わったかのようだった。
ミエンディアは、さぞ、驚愕したことだろう。
神理の鏡の力で反射し、上回り、押していたはずだというのに、気がつけば、死角に回り込まれていた。そして、致命的な一撃を受けたのだ。ミエンディアが絶望的な表情を覗かせたのも当然だった。
セツナが押されていたのは、眷属の力だけで戦っていたからだ。カオスブリンガーを投擲したがためにそうなったのだが、普通に考えればあり得ないことだ。
本来、カオスブリンガーを手放すことなどあってはならない。武装召喚師の実力というのは、召喚武装を身につけているからこそのものといっても過言ではなく、召喚武装を身につけていることによる副次的作用が極めて大きいからだ。召喚武装を手放せば、次第にその副次的作用による身体能力の強化は失われていく。
その上、カオスブリンガーの場合は、眷属の力の制御にも必要不可欠だ。
なのに、セツナはカオスブリンガーを投げつけた。
なぜか。
理由はひとつ。
ミエンディアの隙を作るためだ。
もちろん、ミエンディアの虚を突くためなどではない。そんなことで虚を突ける相手などとは微塵も想っていなかった。
ミエンディアは、己自身の大いなる力と、シールドオブメサイアが持つ無敵の力に酔い痴れてこそいたが、だからといって油断していたわけではない。隙などどこにも見当たらず、どんな方向、どんな角度からの攻撃もシールドオブメサイアに防がれ、反射されてしまう。
ならば、強引に隙を作るしかない。
死角を。
そのためには、どうすればいいのか、セツナは戦いながら考えた。
考えに考えた末に導き出した結論が、ミエンディアに圧倒されるということだった。
ただミエンディアとの勝負に負ければいいだけではない。下手なやり方では余計な警戒を招く。
こちらが全力を出し、拮抗状態からの力負けという状況を作り出す必要があった。
そのためにカオスブリンガーを手放したのだ。
そうすれば、どれだけ全力を出しても、一瞬たりともミエンディアを上回ることはなく、反射される攻撃にさえ圧倒され、力負けに負けるだろう。
問題は、ミエンディアが黒き矛の位置に気づいたら終わりだったということだ。が、幸いにも、ミエンディアは、目の前の敵に集中する余り、投げ放たれたカオスブリンガーが魔王の影の手に渡り、己の死角に移動していることに気づきもしなかった。セツナが座標置換とともにカオスブリンガーを手にするなど、想像しよいうもなかったのだ。
だから、不意を突けた。
そして、その一撃が決定的なものとなって、ミエンディアの肉体を、精神を、魂までも蹂躙し、破壊し尽くしていく。
もはや原形も留めないほどに破壊されたミエンディアの体を見据えながら、それでも、安堵はしない。まだだ。まだ終わってはいない。肉体を破壊するだけでは意味がない。魂を完全に消滅させなければ、また、復活する可能性がある。たとえひとかけらであっても残すわけにはいかないのだ。
そう考え、セツナは、矛を強く握った。凄まじい反動が体を貫き、全身を燃え上がらせるようだ。魔王の魔力はあまりにも強大で、圧倒的だった。だからこそ、聖皇に打ち勝てる。
そう想っていた。
しかし。
「まさか、このような目に遭うとは――」
聖皇の声が聞こえて、彼は、はっと振り返った。
「さすがに想定外です」
振り向いた視線の先、蒼穹の下に、ミエンディアが浮かんでいた。
「なっ……!?」
セツナは、即座に矛に視線を戻し、穂先が貫いている物体が無惨に砕け散り、消滅する様を目の当たりにしたのだが、それがミエンディアではなかったことを知り、歯噛みする。
「魔王よ。あなたはいま、鏡に映る影を破壊しただけに過ぎない。ただの鏡ではなく、神理の鏡に映る影をね」
ミエンディアは、当然のように告げてきたが、しかし、その表情は曇っていた。胸元に手を触れているところを見ると、そこに痛みを感じているらしい。ミエンディアの影に刻まれた傷痕と同じ箇所だ。
「ですが、どうしてでしょうね? あなたの一撃が届いている」
「……そりゃあそうだろ」
セツナは、肩で息をしながらミエンディアを睨んだ。
「魔王の杖なら、その程度造作もねえ」
確かに、カオスブリンガーが貫いたのは、ミエンディアの影だったのかもしれない。しかし、神理の鏡によって精巧に作られた分身は、本体と密接な繋がりを持っていた。影を通し、本体に痛撃を喰らわせることくらい、最大限に引き出した魔王の力ならば不可能ではなかった。
多少、安堵する。
先程の全力の攻撃がまったくの無駄にならずに済んだのだ。
魔王の杖の一撃は、ただ肉体に損傷を与えるだけではない。精神を侵蝕し、魂を破壊する。それがたとえ掠り傷程度であったとしても、だ。
「なるほど。認めましょう」
ミエンディアは、胸元の傷口を塞いで見せた。神属の復元能力を低下させる魔王の力も、神々の王にして神理の鏡の使い手の前では、脅威にはならない、とでもいいたげだ。だが、実際はそうではあるまい。
見た目にはわからないが、魔王の魔力は、間違いなくミエンディアの精神を、魂を食い破っている。致命傷にはなっていないようだが、この調子で攻撃を叩き込み続ければ、いずれ、魂を完全に消滅させることも不可能ではない。
「確かに、わたしはクオンさんとシールドオブメサイアの能力に過信しすぎたようです。その結果がこの有り様なのですから、反省するほかありませんね」
心底反省しているように見えるが、一方で未だ余裕に満ちているように見えなくもない。いや、実際、聖皇には余裕があるのだ。
「そして、アズマリアがあなたに残したものもまた、大きかった。ゲートオブヴァーミリオンが、あなたと世界を繋いでいる。ですから、あなたにこれほどの力を発揮することができた。この狭い世界で、百万世界の魔王の力を存分に振るうことができた。それはすべて、アズマリアのおかげ。アズマリアは本当によくやってくれました。わたしが再びこの世に返り咲き、勇者としての本懐を果たすため、五百年もの歳月をかけ、大陸中を歩き回り、手練手管を尽くして――そして、この状況を作り上げた。この状況を」
「ああそうだ、あんたが滅びるための状況をな!」
セツナは、ミエンディアの言を否定せず、むしろ肯定した。そうなのだ。アズマリアがこの状況を作ってくれたのだ。セツナが黒き矛の力を存分に発揮できる状況を紡ぎ上げてくれたのは、ほかならぬアズマリアであり、ミヴューラ神であり、クオンなのだ。
「いいえ、それは間違いですよ、セツナさん」
ミエンディアが微笑する。
「これはわたしが真に勇者になるための状況」
ミエンディアの全身から光が溢れた。
「奇跡の時間」
莫大な光が視界を塗り潰していく中で、セツナは、ミエンディアに飛びかかった。わざわざミエンディアの攻撃を受けてやる必要などどこにもない。一方的に攻撃し、破壊し、消滅させればいい。そう、考えたのだが、しかし。
「なんだ……?」
セツナは、全身を突き抜けていく光の波動の中で妙な感覚に囚われ、動きを止めざるを得なかった。光は既に収まっている。
ミエンディアは、ただ、微笑している。
違和感がある。
なにかがおかしい。
なにかが不自然だ。
セツナは、自分の身になにかが起きたのではないかと考えたが、そうではなかった。
「どうして……!」
それは、慟哭だった。
「どうしてなのよっ……!」
閃光が駆け抜け、雷鳴が響き渡る。
その瞬間、左手を貫いた痛みは、熱を帯びていた。
振り向けば、オーロラストームを構えたファリアの姿が視界の真ん中にあった。




