第三千六百三十一話 勇者の条件
「おおおおおおおおおっ!」
雄叫びとともに全身全霊の力を込めた一撃を叩き込む。
ミエンディアを包み込む守護結界、そのすべてを打ち砕き、破壊し尽くすためにだ。
当然、ミエンディアは、こちらの攻撃を予測し、対応していた。自身とセツナの間に幾重もの防御障壁を構築し、それによって接近を阻もうとしたのだ。が、そんなことはセツナも承知の上だった。すべて承知の上で突っ込んでいる。
見えざる力場の壁が何枚も、何十枚も、進路上に出現し、立ちはだかっても、関係がなかった。突き破り、貫き、粉砕し、突破する。矛の切っ先から尾の先端に至るまで、体中のありとあらゆる箇所から魔力を垂れ流すことで、彼は、全身を凶器としていた。矛の一撃さえも威力はいや増し、尾を振れば衝撃波が、蹴りつければ自壊の波動が拡散する。
いや、ただ飛翔するだけで、そうなった。
魔王の力を垂れ流しているのだ。
この時空に甚大な被害をもたらしかねないほどの力を解放している。
そうでもしなければ、この守護結界に亀裂を入れることすらできないからだ。
そして、それが可能なのは、偏にある魔人のおかげだった。
「どうしたよっ、聖皇! あんたの力はこんなものかよ!」
幾重もの壁をつぎつぎと突破し、ミエンディアとの距離を詰めていく最中、セツナは叫んだ。当然、ミエンディアは、自身の優位性をまったく疑っておらず、表情ひとつ変えていない。
それはそうだろう。
聖皇は、未だ全力を発揮していないのだ。彼女が用いているのは、聖皇自身の力ではない。シールドオブメサイアの能力だけだ。それだけでこの場を掌握しきれると考えていたのかもしれないし、そうだとしたらとんだ誤算だが、それでも微動だにしなければ、眉ひとつ動かさないのは、己の力に絶対の自信があるからだ。
だからこそ、セツナは、内心ほくそ笑む。
その絶対が崩れた瞬間、聖皇はどのような顔をするのか、見物だ、と。
己の性格の悪さを認めながら、さらなる壁を打ち破り、ミエンディアに肉薄する。
「まさか。こんなものではありませんよ。セツナさん」
ミエンディアが開いているほうの手をこちらに差し出すと、指先に光が灯った。すると、セツナの周囲の空間が軋み、歪んだ。守護結界が折り畳まれて、セツナを包囲したのだ。そして、そのまま圧迫してくる。全周囲から全身を包み込み、押し潰そうとしてきたのだ。
しかし、セツナは、一顧だにしなかった。全身から垂れ流した魔力によって脈動する守護結界を崩壊させ、さらにミエンディアに迫る。力が湧く。身も心も燃えるようだ。命が燃えている。魂が燃えている。いまこそ、己のすべてを燃やすときなのだ、と、叫んでいる。
矛を突き出す。
まるで黒い閃光のような一撃。
だが、ミエンディアには届かない。シールドオブメサイアが立ちはだかったからだ。最強の矛と無敵の盾が激突し、時空が震撼する。守護結界で護られているはずの領域そのものが打ち震えた。力の爆発は最小限で抑えられたものの、空間に亀裂が走り、ミエンディアを包み込んでいた結界もひび割れる。
ミエンディアが初めて目を細めた。そして、その姿が掻き消えたとき、セツナは、四方八方の空気が激しく振動するのを感じた。
「セツナ!」
ミリュウの叫び声に反応するまでもなく、セツナは理解している。自分を取り囲む守護結界が大きく変動し、無数の立方体となって襲いかかってきたのだ。庇護対象を護るはずの守護結界を圧縮した立方体をぶつけることで、攻撃手段としたのだろう。
前後左右上下斜め、ありとあらゆる方向、角度から殺到してくる立方体の尽くを切り裂き、打ち砕き、断ち切り、打ち返し、弾き飛ばしながら、ミエンディアの転移先へ飛ぶ。
ミエンディアは、さらに無数の立方体を作り出し、その中心に浮かんでいた。
「あんなもんじゃ、俺は殺せねえぞ」
「あなたは、やはりなにか勘違いしているようですね」
「なんだと?」
「わたしは、一度だってあなたを殺すだなんていっていませんよ」
「はっ」
セツナは、ミエンディアのまっすぐな目を見つめながら、冷笑した。ミエンディアの言葉など、真に受ける道理がない。
「聖皇の望みは、この世界の破滅だろう?」
「それは、頭に血が上っていたが故の世迷い言ですよ。心より崇敬する師匠方に裏切られ、命を落とす羽目になったのです。激昂のあまり、思ってもいないことを口走ってしまっただけですよ」
「信じられるかよ」
「信じてください。わたしは、この世界を愛しています」
セツナの目を真っ直ぐに見つめながらそんなことを平然と言ってのけるミエンディアの声音は、確かに真に迫ってはいた。心の底から、そう願っているといわんばかりの声。
「聖皇になる以前のおぬしの言葉ならば信じられたがの。いまのおぬしの言葉は、心に響かぬ」
「それは、あなたがそこな魔王に魅入られているからでしょう。ラグナシア」
「魔王? だれのことよ」
「セツナさんをおいて、ほかにはいないでしょう?」
ミエンディアは、ラグナを一瞥し、それからセツナに視線を戻した。立方体の生成も、攻撃の手は止まっている。攻撃するなら、いまが好機だ。そう、セツナは考えた。
「魔王でもなんでもいいさ。あんたが斃せるならな」
いって、セツナはミエンディアに襲いかかった。すると、当然のように無数の立方体がセツナに迫ってきたが、それらはセツナに届かなかった。ファリアやルウファ、ミリュウたちが立方体の進路上に立ちはだかったからだ。
ファリアたちは、どういうわけか、シールドオブメサイアの守護結界の庇護下にある。つまり、立っているだけで立方体を撥ね除けることができるということだ。立方体は、様々な角度から飛んでくるとはいえ、直線的な動きしかできないようだった。セツナの周囲に展開するだけで、十分中部となる。
ちなみに、庇護下にあるのはセツナも同じなのだが、セツナは立方体の攻撃対象になっている以上、彼女たちのような真似はできないだろう。事実、別の方法で守護結界に押し潰されそうになったのが、セツナだ。ミエンディアは、明らかにセツナを敵視している。
「ですから、どうして、わたしを斃そうとするのです。わたしがこの世界に救いをもたらす存在なのかもしれないのですよ?」
「じゃあ聞くが、あんたのいう救いってのは、なんだ? なにをもって救いというんだ。どうやってこの世界を救う。あんたの力の暴走によって破壊し尽くされ、滅亡の危機に瀕したこの世界にどんな奇跡をもたらすっていうんだ!」
「奇跡……そう、奇跡です」
ミエンディアは、突如として、そんなことをいった。奇跡。セツナが発した言葉を反芻しているだけ、という風には見えなかった。
「世界を救う勇者には、奇跡がつきもの。そう想いませんか。それこそ、勇者の条件である、と」
「なにをいっていやがる……」
「セツナ、あんな奴のいうこと、聞く必要ないわよ」
「そうね、まったくその通りだわ」
「ああ、俺も同意見だ」
「わたくしもでございます」
ミリュウやファリアたちが息巻くのも無理はない。
聖皇の言を額面通り聞き入れるほど、セツナたちは愚かではないのだ。
「わかってるさ」
だが、なんだか妙な胸騒ぎがしてならなかった。
勇者、と、彼女はいった。
世界を救う勇者。
かつて、ミエンダと名乗っていた女は、世界を混迷から救う勇者になるために立ち上がり、混沌たる時代に立ち向かった。
そうして世界をひとつにするという荒技で、大いなる争いを、破滅的な闘争を根絶した。世界はひとつの大地に纏め上げ、多用に分かれていた種族を人間種族に作り替えた。世界を統一し、国家を統一し、種族を統一し、言語を統一した。多様性を否定することにより、恒久の和平を実現しようとしたのだろう。もっとも、世界統一による平穏は、聖皇の死によってあっという間に瓦解してしまったのだが。
ミエンディアが、いまもなお本当に勇者たろうとしているのであれば、なにを企んでいるのか、わかるのではないか。




