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第三百六十二話 矛と盾(十)

(なんという男だ)

 彼は感嘆を漏らす。

 豆粒のように小さな人間が、守護龍の腕を駆け上り、肩にまで登りつめたのだ。払い落とすために腕を伸ばしたものの、右腕も左腕もかわされ、左腕はこちらに攻撃するための足場となった。もっとも、黒き矛が守護龍の顔面に届くことはなかったが。

 腕を踏み台にしてこちらに飛びかかってきた男を、吐き出した炎で撃ち落としたのだ。ビューネルにおいて守護龍の口内を灼いた炎だ。彼も相応の苦しみを味わったものだ。

 さぞ熱かろう、と思ってはみたものの、黒き矛の武装召喚師は炎に包まれても平然としていたし、炎が男の肌を焼くことはなかった。鎧も、矛も、髪も、焦げ目ひとつついていなかった。男を地に落とすことができたのは、跳躍の勢いを殺せたからだ。

 男は、地に叩きつけられてなお、無傷だった。それは男の能力ではない。黒き矛の能力ですらない。もうひとりの武装召喚師によって、男は護られていた。

(シールドオブメサイア……)

 戦場のやや離れたところに立つ少年は、武装らしい武装をしていなかった。それは、少年が自身の召喚武装を信頼している証明でもあるだろう。彼が抱えているのは、純白の盾。真円を描く白き盾はシールドオブメサイアという呼称で知られている。

 まさに無敵の盾だった。

 いかな守護龍の攻撃といえど、シールドオブメサイアが作り出した防壁を破ることはできず、破ることができないということは、あれらを倒すこともできないということだ。守護龍にとっては塵芥のようなちっぽけな存在であるにも関わらず、叩き潰すことすら容易ではない。

 だが、だからこそ彼はほくそ笑んだ。

(そうでなくては)

 そうでなくては、倒し甲斐がない。戦う意味も、意義もない。圧倒的な力で雑魚を蹴散らすことほどつまらないものはない。ファブルネイアにおいて、グレイ=バルゼルグの軍勢を壊滅させたときも、ガンディア軍を撃滅したときも、彼はなんら感慨を覚えなかった。龍府の守護という義務を全うしただけのことだ。そこに感情の入り込む余地はなかった。

 しかし、これは違う。

 いま、目の前にいるふたりの敵は、違う。

 黒き矛と白き盾。

 全力を注ぐに値する敵だ。

 全存在を賭けるに値する。

(ようやく敵を見つけた)

 守護龍は、歓喜に震えるような想いで、眼下を見下ろしていた。強力無比な黒き矛も、絶対無敵の白き盾も、守護龍の全力を以って倒さねばならない。倒さなくては、ザルワーンに未来はない。

 この国を護らずしてなにが守護龍なのか。

 そのためにも、彼は五方防護陣に展開するすべてのドラゴンの力を結集する必要があると考えた。敵はふたり。たったふたりだ。しかし、そのふたりに傷ひとつつけることができない現実がある。

 盾を打ち抜くには、想像を絶する力が必要だろう。守護龍の全力を注がねばなるまい。あらん限りのすべてを使うのだ。

 不意に咆哮が聞こえた。

 獣じみた雄叫びは、黒き矛の使い手が発したものだった。大気が震えた。まるで男の全力を恐れるかのようだった。だが、彼は恐れない。むしろ笑った。叫んだところで、守護龍の巨体が動くわけもない。

 もちろん、黒き矛がそんなつもりで吼えたはずもない。

 少年は、こちらを睨んでいた。血のように紅い瞳の射抜くような視線には、彼も同様の視線で応えた。

 少年が大地を蹴って、駆けた。跳ぶ。少年が向かったのは、大地に開いた大穴の中心、黒き竜と化した守護龍の尾だった。しかし、常識外れの跳躍力も、砦全体を飲み込むほどの大穴を越えられるはずもなかった。黒き矛は穴の底へ落ちていく。底なき闇の底の底へ。白き盾の少年は唖然としていたし、それは彼とて同じ気持だった。これでは、黒き矛の打倒に全力を上げる決意をした自分が愚かではないか。

 が。

(なんだ?)

 彼は、苦痛にうめいた。尾が痛みを訴えてきたのだ。刺すような痛みは、連続的に続いていた。次第に、尾を這い上がってきているような感覚がある。黒竜の外皮を貫くようなものが、この世にいくつもあるはずがない。

 黒き矛だ。

(なるほど、そういうことか)

 彼は納得するとともに、黒き矛の思惑を見抜けなかった自分を恥じた。黒き矛は、守護龍の尾に届かないとわかって飛び込んだのだ。しかし、遥か地の底まで伸びる尾には、いつかは到達するだろう。そう信じて、冒険に出た。

 いや、たとえ尾に辿り着く前に穴の底に落ちたとしても、盾が護ってくれる。そういう意味では、冒険でもなんでもないのかもしれないが

 少しずつ這い上がってくる痛みに、彼は顔を歪めた。黒き矛を突き刺しては這い上がる少年の姿が脳裏に浮かぶ。

(馬鹿馬鹿しい)

 黒き矛の少年の行動が、ではない。

 この状況を打開するための方法が、敵にとって望むべきものだということがわかったからだ。それでも、彼は動かざるを得ない。尾に生じる連続的な痛みなど些細なものだ。無視しても構わない。しかし、無視していては、いつまでたっても戦いにならない。その上、少年が攻撃可能な位置に登ってくるまで待つのも馬鹿げている。

 もっとも、それは彼がいまからやろうとしていることも同じなのだが。

(同じならば、このほうがよかろう)

 彼は胸中で告げると、胸の前で両腕を組んだ。竜の肉体に充溢する力を練り上げ、解き放つ。爆発的な力の奔流は、当然、盾の前では無力だ。しかし、尾にしがみついていた少年を引き剥がすことには成功したようだ。痛みの連鎖が消えたことでそれとわかる。もちろん、それで終わりではない。力の奔流は上昇気流となって彼の体に絡みつくように逆巻いた。

(対象を守護することはできても、必ずしも衝撃を殺しきることはできない。それがシールドオブメサイアの欠点……)

 黒き矛を炎の息吹で叩き落とせたのも、その欠点をつけたからだ。ただし、生半可な衝撃では簡単に受け流されてしまうに違いない。許容量を越える衝撃を叩きつけなければならない。


(シールドオブメサイア。確かに凶悪な盾だ。無敵の盾、無敗の障壁、不滅の防壁。だが、どんな能力にも限界はある。盾よ、白き盾よ、おまえの許容量は如何程かな?)

 一瞥すると、白き盾の武装召喚師は澄まし顔でこちらを仰いでいた。勝利を確信している。負けるはずはないと決めつけている。黒き矛の武装召喚師を信頼している。黒き矛が打ち勝つのだと、信じている。

 土砂が視界に飛び込んでくる。上昇気流の如き力の奔流が運んできたのだ。大きな影も過る。影ではない。人体。笑っている。黒き矛の少年。気流に弄ばれ、天地逆になっていたが、構いはしないのだ。地の底で尾と格闘していても埒が明かないのは、少年も同じだ。まさか、こうも上手く竜の眼前に移動できるとは思ってもいなかっただろう。

「みずから運んでくれるなんて、驚いたぜ!」

(それはこちらの台詞だ)

 黒き矛の切っ先がこちらに向けられていた。

(いつの間に吸ったというのだ?)

 漆黒の穂先が紅く膨張し、黒き矛が吸収していた炎を発射する。竜の視界が紅蓮に燃えるが、右腕で顔面を庇うことに成功している。黒き矛の炎では、外皮を焼くこともできない。彼は、空いている左手を少年に伸ばした。掴み、握り潰すつもりだった。それがもっとも単純かつ確実な方法のように思えた。すべての力を注げば、シールドオブメサイアの許容量を越えられるかもしれない。

 越えられなかったとしても、負けはない。盾の召喚者の精神力が尽きるまで黒き矛の動きを封じておけばいい。単純なことだ。

(だが、おまえの負けだ)

 黒き竜の左腕が黒き矛に殺到する。黒き矛は気流に囚われて身動きもままならない。ただの人間が空中で自在に動ける道理もなかった。少年が驚いた顔をしているのは、炎が効かなかったことに対してだろう。彼もまさか、防がれるとは思いもしなかったのかもしれない。

(セツナ=カミヤ!)

 彼は、叫んだ。黒き矛さえ封じれば、勝ったも同然だった。白き盾に攻撃能力はない。ビューネルのときのような邪魔は入らない。

 そう、思った。

 だが、つぎの瞬間に彼が目撃したのは、セツナを握りしめる竜の左手ではなく、見えざるなにかに接近を阻まれる左手の有り様であり、矛を振りかぶった少年の姿だった。直後、黒い剣閃が走る。激痛が左の手のひらから腕へと突き抜けていく。

 彼は絶叫しながらも、状況の確認を怠らない。黒竜の左前腕が中程まで真っ二つに斬り裂かれたのは一目瞭然だった。外皮から筋肉、骨まで綺麗に両断されていた。大量の血液が流れ落ちている。

 異世界の存在であり、黒竜に変わり果てたとはいえ、守護龍も生物だ。体には血が流れているし、脳髄もあれば、心臓もある。この世の生物との大きな違いはない。こと生命力においては比較にもならないが。

 意識が消し飛ぶような痛みの中で、それでも彼は、自身の有利が覆らないことはわかっていた。気流は、変わらずセツナの移動を封じているはずだ――。

(なんだ?)

 彼は、愕然とした。つい数秒前までセツナがいたはずの虚空から、少年の姿が忽然と消えていたのだ。そして、衝撃が脳天に突き刺さった。無数の目が、黒き矛を逆向きに手にした少年の姿を捕捉したのは、その直後のことだった。

(やはりおまえだ。おまえさえいなければ、こんなことには……!)

 彼は、守護龍とともに咆哮した。

 まだ、終わってなどいないのだ。


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