第三千六百二十八話 降臨(八)
だから、滅ぼす。
聖皇の魂たる不確かな光を根絶する。
この世界に二度と顕現しないよう、百万世界の混乱の元とならぬよう、徹底的に破壊し、粉砕し、消滅させる。
一片の欠片も残さずにだ。
セツナは、空中高く飛び上がると、遙か頭上から迫ってくる光の塊に向かって矛先を向けた。黒き矛の漆黒の切っ先にすべての力を集中しながら、両腕から具現した“闇撫”で矛を支え、広げた翼で襲いかかるであろう反動への対処とする。全身に漲る魔力を、魔王と眷属たちの様々な感情をも引っくるめて切っ先に収束させれば、黒い光が周囲の空間を歪め、亀裂を走らせていく。
「吹き飛べ!」
吼え、撃ち放つ。
最大出力にして最大威力の“真・破壊光線”は、爆発的な黒き光の奔流となって虚空を貫き、天へと至る。迫り来る光に激突すれば、容易く打ち砕き、それによって飛散していく光さえも侵蝕し、崩壊をもたらしていく。空間をも打ち砕き、爆砕に次ぐ爆砕の連鎖が空を自壊させていく様は、圧巻としかいいようがなかった。青空が失われ、不気味で禍々しい異空間が顔を覗かせる。
圧倒的な破壊の力。
百万世界の魔王、その力の一端の顕現と考えれば当然のことではあるが、それによる反動も凄まじく、セツナは、聖皇の魂が破壊されていく様を見届けながら、背中から地面に激突していた。想定以上の反動だったのだ。
もっとも、反動によって地面に激突したからといって負傷するほど間抜けではない。
その可能性も考えて、背中側に防御障壁を張り巡らせていたからだ。
黒き破壊の光が消え去ったのは、セツナが立ち上がった頃合いだった。
“真・破壊光線”によって生じた時空の裂け目が速やかに修復していく光景を見遣りながら、ほっとする。
上空に聖皇の魂は存在しない。
「終わった……んだよな?」
「いや、まだだよ、セツナ」
「え?」
嘘だろう、と、セツナは、クオンを見遣った。
「あの程度じゃあ、聖皇の力は、聖皇の魂は滅ぼしきれない」
「嘘!?」
「冗談だろ!?」
「あれほどの痛撃を受けても、ですか?」
だれもが信じられないといった反応を見せる中、クオンは、確信を持った表情で上空を見ていた。
セツナは、彼が嘘をいっているわけもないと、その目線を追うようにして空を仰ぐ。黒き光が聖皇の魂の光を侵蝕し尽くし、徹底的に破壊した光景を目の当たりにしたのにも関わらず、だ。信じられないが、クオンがこんな状況で嘘をいう理由がなかった。
すると、セツナは、信じられない光景を目撃する。
「嘘だろ……」
修復されていく空と大地の狭間に、光が漂っていた。高密度の神威たるその光は、いかにも神々しく、眩く、透き通るように輝いていて、破壊の光に貫かれ、破壊され尽くされたことなどなかったことのように平然と空に浮かんでいた。
聖皇の魂だ。
「もっとだよ、セツナ」
「え?」
「もっと、力が必要なんだ」
クオンは、聖皇の魂を睨みながら、いってきた。もっと、と。それはつまり、セツナがさらにカオスブリンガーの力を引き出さなければならないということだが、現状、それができるとは思えなかった。獅子神皇を斃したときにあれだけの力を発揮できたのは、ファリアとルウファ、ミリュウの助力があったからこそだ。
いま、あのときと同じだけの力を発揮することはできない。
そして、おそらく、クオンはそれ以上を求めている。
それ以上の力でなければ、完全なる聖皇の魂を消滅させることはできない、と、いっているのだ。
「でも、それだけでも足りない。君だけじゃ」
「うん?」
セツナが彼の口振りに訝しんでいると、聖皇の魂がまたしても降下してきた。セツナに向かってまっすぐに、物凄い速度で、だ。神速といっても過言ではない。
セツナは、矛を振りかぶった。
が、聖皇の魂は、セツナの間合いに入る直前、進路を変えた。急角度に曲がった魂の軌跡は、まばゆい光の螺旋となってセツナの網膜に焼き付く。それほどに印象深かったのは、光を目で追った先にクオンがいたからで、彼が、まるで、待ち侘びていたかのように聖皇の魂を受け入れたからだ。
「えっ――?」
セツナは、一瞬、なにが起こったのかわからなかった。
目に映った光景そのものを否定するわけではないが、どうしようもなく受け入れがたい出来事が起こったのだ。
つぎの依り代としてセツナを狙っていたはずの聖皇の魂は、突如、その進路を変え、クオンへと至った。そして、クオンは、聖皇の魂をかわそうとも、盾でみずからの身を守ろうともせず、受け入れてしまったのだ。
そのとき、セツナは、はたと気づいた。
なぜ、あの瞬間、聖皇の魂がセツナの目の前で進路を変えたのか。
セツナの眼前に防御障壁が聳え立ったからだ。
シールドオブメサイアが生み出した、絶対無敵の盾が、だ。
故に、聖皇の魂は、セツナを依り代とするのを諦めざるを得なかった。
その代わりといってはなんだが、聖皇の魂は、クオンを依り代に選んだ。神理の鏡の護持者でありながら、一切自身を護らず、無防備極まりない状態だったクオンならば、だれにも邪魔されず、容易く憑依することができるからだ。
そして、実際、その通りになった。
「嘘……」
「なんだよ、それ……」
だれもが愕然とする中で、クオンの全身が光に包まれていく。
聖皇の魂はあっという間にクオンの体内に入り込んでいた。クオンは、そのことに抗う様子すら見せず、ただ一目、セツナを見て、なにかをいった。声は聞こえなかったが、いったはずだ。口が動いていた。その口の動きから言葉の内容を推測するには、あまりにも余裕がなかった。
ただ、セツナには、彼がなにをいいたいのかわかっていたし、彼の想いも理解できていた。
どいつもこいつも、と、セツナは想うほかなかった。
だれもかれも、自己犠牲の精神がひとの形をなしたような連中ばかりだ。
セツナは、そんなことを想いながら、クオンを見ていた。聖皇へと変貌するクオンの姿を。
聖皇の魂が憑依してから、クオンの肉体が完全に乗っ取られるまで時間はなかった。クオンが抵抗しなかったのだ。抵抗すれば時間は稼げるが、そんな時間稼ぎにはなんの意味もない。ならば、聖皇に肉体を明け渡したほうがいろいろと早く済む――そう、クオンが思ったのだとしても、なんら不思議ではない。
そして、クオンの天使めいた姿が聖皇に相応しいものへと変容していった。
クオンは、歴とした男だが、聖皇の憑依と完全なる同化によって、その肉体は女のものへと変わっていった。つまり、胸があり、腰が細く、全体的に丸みを帯びたのだ。顔立ちも変わった。そもそも美男子だったが、より美しい女性の顔になった。髪は白いままだが、背中に生えていた翼は、光の翼になり、光輪が生まれた。身に纏う衣服も大きく変化した。白を基調としているのは変わらないが、より荘厳により神々しく、複雑で精緻な装飾が施されたこの世のどこにも存在しない代物へと変わったのだ。
「ようやく」
女の声が、その口から漏れた。
「ようやく、復活することができました」
その声音は、アズマリアの肉体を依り代としていたときとは大きく異なるものだった。簡単にいえば、アズマリアとまったく似ても似つかないものであり、別人といっても過言ではなかったのだ。
「それもこれもあなたがたのおかげです。いまはただ、心よりの感謝を」
聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンは、そういって、柔らかに微笑んだ。




