第三千六百二十四話 降臨(四)
「いまは違う、か」
心臓型の光の爆発は、だが、ミエンディアに直撃することはなかった。やはり、ゲートオブヴァーミリオンの門に飲み込まれた爆発は、ミリュウを襲い、彼女を地上まで吹き飛ばしてしまったのだ。
爆発の直撃を受け、満身創痍となったミリュウに駆け寄ったのは、トワだ。トワならば安心できる、と、ミエンディアに向き直ったファリアだが、現状では、ミエンディアを傷つけることすらできないという事実に直面し、臍を噛むような思いだった。
ミエンディアへの攻撃は、止まない。
エスクが光刃を振り回して斬りかかったり、シーラが様々な尾の使い方で攻撃したり、と、多様な方法で攻撃を試みているのだが、いずれも失敗している。
「確かにそうかもしれない。確かに、おまえたちは変わった。だが、本質はどうだ。心が色を変えようと、魂の形は変わらない。魂に根ざした本質を変えることなど、無理な話だ。心持つ生き物である以上、そればかりは致し方のないことだ。そうだろう、ルウファ=バルガザール」
「今度は俺ですか」
ミエンディアに話を振られたルウファは、困惑しながらも冷ややかなまなざしを聖皇に返していた。無数の翼から放たれる羽弾の数々は、やはり、虚空に開いた穴に吸い込まれ、直後に彼自身に襲いかかっている。そして、それらの羽弾は、翼の防壁によって受け止められるのだから、ルウファの護りは万全だ。この中のだれよりもしっかりしているかもしれない。
「いっておきますが、俺は、あんな馬鹿げた言動に心揺らされることなんてありませんよ」
「おまえは、この世界についてどう想う?」
「はあ?」
「理不尽だと想わないか?」
「一番理不尽なあなたにいわれたくはないんですが」
「理不尽? わたしがか」
ミエンディアが少しばかり考える素振りを見せた。
「ふむ……それもそうか。だが、これも致し方のないことだ。わたしは、この世の在り方を是正するために存在する。この世の誤りを正し、生きとし生けるものが健やかで穏やかに生きていける、だれひとり犠牲となる必要のない、争いひとつ起きず、命の奪い合いなど存在しない世界を実現するために」
などと、ミエンディアは、いった。
とても信じられない言葉の数々は、聞くに値しないものばかりだ。ミエンディアがなにをどういおうが、聖皇の力がこの世界に壊滅的被害をもたらし、混沌たる惨状を作り上げたという事実は覆らない。獅子神皇となり、この世界に破局をもたらそうとしたことも変わらない。聖皇がこの世界を呪い、復活後、滅ぼすと約束したこともだ。
しかし、ミエンディアが嘘を言っているようには聞こえなかった。
まるで、真実を言っているようだった。
「だったら、この戦いはなんなんですか」
ルウファが、自身の放った羽弾の嵐に見舞われながら、それでも平然とした様子で問いかける。
「ネア・ガンディアとの長きに渡る戦いはなんだったんですか。獅子神皇によって率いられた神将や獅徒たちは、なんのために戦い、なんのために死んだっていうんですか。聖皇ミエンディア。あなたは、いったい、なにを考えているんですか」
「いったはずだ。この世の在り方を是正するのだ。すべてが等しく間違えているのなら、すべてを等しく是正する必要がある。でなければ、この世に救いはなく、だれもが喘ぎ、苦しみ続けなければならなくなる。そうだろう?」
「なにをもって、間違っている、と?」
「すべてだ」
ミエンディアは、上下前後左右、あらゆる方向、あらゆる角度から飛来、殺到する攻撃のすべてを門で軽々と捌いて見せながら、断言した。
「なにもかもすべてが、間違っている」
「……話にならないな」
ルウファは、唾棄するようにいうと、シルフィードフェザーを全開にした。暴風が巻き起こり、白き竜巻となってミエンディアに殺到する。それは、激しく蛇行することで、門から吐き出された様々な攻撃をも飲み込みながら、膨張しながらミエンディアに襲いかかった。
「俺は、この世界の在り様が間違っているとは想わない。そりゃあ、人間同士でさえも、嫌い、憎み、争い、殺し合っているのはどうかと想うけれど、人間が人間である以上はある程度致し方のないことだと割り切るほかないんだ。そうやって、人間は歴史を積み重ねてきた」
「その結果、創世回帰が引き起こされたとしても、か」
ミエンディアは、当然のように白き竜巻を打ち返して見せる。
「創世回帰……」
「創世回帰など、もう起こらぬぞ。ミエンディアよ」
門を通り抜けたせいなのか、何倍にも勢いを増した白き竜巻に飲まれたルウファに変わって、ラグナがミエンディアに飛びかかった。
ゲートオブヴァーミリオンが飲み込んだ攻撃を吐き出す際、何倍にも威力を増すようになったのは、先程からだった。
たとえば、エスクの虚空砲だ。一発の虚空砲が、数発の虚空砲となって打ち返されるので、エスクも回避しきれず、片腕を吹き飛ばされたほどだった。
ウルクの波光砲も、何倍にも威力が増していたが、さすがに彼女の躯体は傷ひとつつかなかった。
ミエンディアが、ファリアたちの攻撃を鬱陶しく感じているからなのか、どうか。
だとしても、ミエンディアがほかの攻撃手段を用いてこない理由はわからない。しかし、そこがつけいる隙だということも確かだ。
「ラグナシア=エルム・ドラースか」
「現実をなにも知らぬただの小娘じゃったおぬしが、いうものになったものじゃな」
「それもこれも、あなたや、師匠様方の御教示があればこそ。わたしひとりでは、世界の真実を知ることなどできなかった」
「その結果がこのザマならば、止めておくべきじゃったな」
「なにを仰る」
ミエンディアは、ラグナが発した翡翠色の光の怒濤のような猛攻を尽く虚空の門によって吸い込んで見せると、竜王が光の奔流に飲まれる様を見ていた。何倍、何十倍にも増幅された光の奔流は、しかし、ラグナを傷つけることはなかった。
どういう理屈なのかはわからないが、竜語魔法なのだ。自分を傷つけることのないように術式を構築することが可能だとしても、なんら不思議ではない。
ミエンディアがあらゆる攻撃を跳ね返してくるというのであれば、刃片を利用して術式を完成させたミリュウや、竜語魔法の攻撃対象に自分を含めなかったラグナのような手段、方法で攻撃をしかけるのが上策だろう。
「おかげで、世界を救う機会を得られたのだ。あなたも胸を張るべきだ。あなたが初めて耳を傾けた人間が、百万世界を理不尽から救う希望の光となったのだから」
「そうも容易く嘯けることがわしには空恐ろしいわ!」
「嘯く? わたしは本当のことをいっているだけだよ、ラグナシア」
ラグナの怒号に対しても、何処吹く風といった様子で、ミエンディアはいう。
「この力があれば、この力さえあれば、この世のすべての理不尽、過ち、間違いを正すことができるのだ。だから、邪魔をしてくれるな」
翡翠の光に包まれ、ミエンディアに体ごとぶつかりにいったラグナだったが、やはり、ゲートオブヴァーミリオンに吸い込まれるようにして姿を消すと、地上から轟音が響き渡った。地面に激突したのだろう。
ファリアは、その様子を見てはいない。なぜならば、既に矢を番えているからだ。
「いいえ、邪魔させてもらうわ」
オーロラストームに番えていた黒い雷光の矢を放った。禍々しくも美しい漆黒の輝きを放つ雷光の矢は、なんの逡巡もなく、一直線にアズマリアへと飛んでいった。
当然のように虚空に穴が開く。
矢は、吸い込まれていった。




