第三千六百二十三話 降臨(三)
「無駄な足掻きをするものだ」
「足掻くわよ!」
オーロラストームの放った雷撃が虚空に生じた穴に吸い込まれた直後、頭上から降ってきた雷を素早くかわしてみせながら、ファリアは、声を張り上げた。
「せっかくここまで来たっていうのに、あなたのせいで全部台無しになんてさせるものですか!」
「勇ましいな」
ミエンディアが目を細めたのは、クリスタルビットが背後から迫ってきたからではあるまい。雷撃とはまったく別の軌道からミエンディアを狙ったクリスタルビットだったが、ミエンディアに触れることはできなかった。また、虚空に開いた門に飲み込まれたのだ。そして、ファリアに襲いかかってくる。
「さすがはファリアの孫娘というべきか」
「わたしがファリアよ!」
クリスタルビットをクリスタルドレスでいなしながら、ファリアは、聖皇を睨み据える。
「ファリア・ベルファリア=アスラリア!」
喉が張り裂けるのではないかと想うほどの大声を発したのは、いまにも折れそうになる心を励ますためだ。聖皇の圧倒的な力は、獅子神皇のそれよりも強大であったが、それだけならばこうまで精神的に追い詰められることはなかっただろう。
セツナとクオンがともにいてくれたのならば、だ。
クオンの盾とセツナの矛があれば、ファリアたちの心が折れることなどありえない。
だが、いまは違う。
セツナもクオンも倒れ伏し、動く気配さえ見せていなかった。
勝ち目が、見えない。
「あなたに父を殺され、母を奪われ、復讐のためだけに生きてきた!」
「だが、それも終わったはずだ」
わざとだろう。
ミエンディアは、雷光の如き速度で殺到したファリアの接近を許しただけでなく、繰り出した拳による渾身の一撃を左手でそっと触れるようにした。まるで人間が蟻を摘まむような優しさで、クリスタルドレスに覆われたファリアの左手を包み込む。
「セツナと出逢い、おまえは変わった。変わることができた。おまえの中での復讐は終わり、アズマリアとのなし崩し的な共闘さえ許容できていたはずだ。それで……十分だろう?」
「十分……!?」
軽く投げ飛ばされ、ミエンディアが遠ざかっていく様を認めながら、ファリアは眉間に皺を寄せた。軽く、本当に軽く投げ飛ばされたというのに、ファリアの体が飛んでいく勢い、速度たるや凄まじいものがあり、あやうく地面に叩きつけられるところだったが、すんでのところで踏み止まることに成功している。
空中に展開したクリスタルビットに指を引っかけ、さらにクリスタルドレスの出力を上げることで浮力を得、対処したのだ。
「わたしが完全なる復活を果たした暁には、おまえたちは、すべての苦しみから、すべての悩みから解放されるのだ。約束しよう。わたしがおまえたちに至上の幸福をもたらすと。それが聖皇ミエンディアの、百万世界との契約なれば」
「はっ、冗談じゃないわ!」
ミリュウの叫びに合わせるようにして、ラヴァーソウルの刃片群が虚空を薙ぎ、ミエンディアに殺到する。しかし、当然のように出現した虚空の穴が刃片群を飲み込み、つぎの瞬間、ミリュウの背後に転送させた。ミリュウは、刃片群を既に展開していた刃片群で受け止めると、瞬時に刃片を複雑に組み合わせる。
すると、擬似魔法が発動し、緋色の光の渦がミエンディアを包囲した。
ミエンディアの能力さえも利用して、術式を完成させたのだろう。
「あんたなんかにあたしたちのなにがわかるっていうのよ! あたしの苦しみ、悩み? はあ!? そんなもの、あるわけないでしょ!」
ミリュウが怒りを込めて叫ぶ中、擬似魔法の光の渦がミエンディアを包み込み、圧殺を試みる。だが、全周囲を覆った光の奔流もまた、忽然と姿を消した。そして、つぎの瞬間、ミリュウ自身が光の渦に包み込まれていた。
「ミリュウ=リヴァイア。我が弟子オリアス=リヴァイアの娘だったな。よく似ている」
「だれが似ているっていうのよ!」
ミリュウの咆哮が擬似魔法の光を吹き飛ばしたのではないかと思えたのは、彼女が叫んだ直後に緋色の光の渦が消失したからだ。光の渦が消え去ると、無傷のミリュウが姿を見せる。擬似魔法の複雑極まりない術式は、ファリアのような武装召喚師にすら理解の及ばないものだが、その術式になにか仕組んでいたことは想像がつく。
それによって、彼女は自分自身が擬似魔法の餌食にならないようにしたのだ。
最初の攻撃では、擬似魔法の直撃を受けていた。その反省なのだろうが、だとしても、高度な技術だと思わざるを得ない。
擬似魔法そのものが超高等技術といわれればそれまでだが。
オーロラストームでも真似のできない技であり、仮にファリアがラヴァーソウルを使ったとしても、ミリュウのような魔法遣いには決してなれないだろう。
「あたしはあたしよ! だれがあんな奴に……!」
「似ているとも。そっくりだ。だから、こんなにも猛り狂っていられる」
「あんたになにが……!」
ミリュウは、怒号とともにラヴァーソウルの柄を振り翳した。刀身のない柄だけの召喚武装が動けば、その動作に合わせたように周囲に飛び散っていた破片が動き、虚空に呪文を浮かべていく。詠唱だ。擬似魔法の術式を構築しているのだ。
「本当は、怖いのだろう。ひとを信じるのが怖いのだ。実の父に裏切られ、すべてを失ったのがおまえの始まりだ。おまえの人生の転換点。そこでおまえは地獄に堕ちた。墓穴の底に。奈落の闇に。他者を疑い、警戒し、決して信じることのなかったおまえは、しかし、セツナと出逢ってしまった」
ミエンディアが、静かに語る。轟音と爆風が吹き荒れているのにも関わらず、聖皇の声は、なぜか、はっきりと聞こえた。その上、脳が命じるのだ。聖皇の声は、聞き逃してはならない、と。
「どういうわけかセツナへの愛情を抱いたおまえは、それだけを拠り所とした。それ以外のすべてを拒絶したおまえにとって、セツナへの愛だけが生き甲斐だった。セツナ以外のだれもかれもを忌み嫌い、憎み、拒絶するのは、怖いからだ。また、裏切られるのではないか。また、捨てられるのではないか。また――」
「うるさいわよ」
ミリュウは、むしろ、冷笑するようにいった。ミエンディアに様々な攻撃が殺到する中で、ミリュウだけは攻撃に参加していない。擬似魔法の術式を編んでいるからだろう。
「さっきから聞いていれば知った風なことばかりいってるけど、あたしのこと、なにもわかっていないわね。認めるわ。確かに昔のあたしはそうだった。セツナ以外、だれもいらなかったわ。ファリアだって、そう。ほかのだれもかれもが邪魔だった。不要だった。あたしとセツナだけがいればいいと、想っていた。でも、いまは違うわ。セツナがいて、あたしがいて、エリナがいる。ファリアやレムやラグナだって、いまのあたしには必要なのよ。だって、そうじゃなきゃ、あたしとセツナの熱愛ぶりを見せつけられないでしょう?」
ミリュウは、そう言い終えたとき、擬似魔法を完成させた。
真紅の光がミエンディアの頭上に集まったかと思うと、大爆発を起こしたのだ。




