第三千六百十九話 敵対
アズマリアの裏切りは、確かに衝撃的で唐突な出来事だった。
しかし、ファリアからして見れば、最初から信用のならない人物であり、常に何処かに疑念を抱いていたものだから、別段、衝撃というものはなかった。
アズマリアがどれだけ真摯で真剣に獅子神皇との戦いに取り組んでいようと、世界を救うためにセツナと協力し、ファリアたちに手を差し伸べ、道を示そうとも、ファリアには、彼女を心の底から信用できない部分があったのだ。
そればかりは、致し方のないことだ。
アズマリアがリョハンを襲い、父を殺し、母を依り代とした事実がある。そしてそのときの光景は、網膜にくっきりと焼き付いていて離れないし、忘れることなど出来るわけもなかった。
アズマリアへの復讐を果たすためだけにガンディアを訪れ、魔人の情報を集め続けた日々を思い出す。そして、セツナと出逢い、彼がアズマリアの名を口にしたことで、ファリアは運命を感じたし、彼を利用し、アズマリアと接触しようとした。
そうして、やっとの思いでアズマリアと接触を果たしたのは、何年前の話だったか。
そのときは、結局、アズマリアを殺すことはできなかったが、以降も彼女は、アズマリアへの復讐心を募らせる一方だった。
“大破壊”が起き、状況が変わった。
世界が滅亡の危機に瀕し、ネア・ガンディアを、その首魁たる獅子神皇を撃ち倒さなければならなという事態に直面したからといって、アズマリアへの憎しみを完全に拭い去ることはできなかった。
セツナは、アズマリアを心の底から信用していたようだし、そんな彼に絆されるのがミリュウたちだ。
ファリアも、セツナに感化される人間のひとりだったが、ただひとつだけ、ほかの皆とは違う部分があった。
実の父を殺されたという事実だ。
それだけが、ファリアの心の中で冷ややかな光を放っていて、アズマリアを信用するなと警告を発していた。
だから、この事態になっても、瞬時に対応できた。
聖皇の力へと引き寄せられていくかのように空に浮かぶアズマリアに向かって、オーロラストームを掲げ、雷光の矢を放つ。
その寸前だった。
ラグナが、アズマリアのいる上空へと飛び上がったのだ。
ラグナも、アズマリアの裏切りに即座に反応できていた。
それは、彼女もまた、アズマリアを心の何処かで警戒していたからだろうし、完全には信用してはいなかったからだろう。
ラグナは、かつて聖皇ミエンディアと契約を交わしており、その契約を受け継いだアズマリアに従っていた。そして、アズマリアに言われるままセツナを襲い、その戦いの結果、セツナの仲間になったという経緯がある。ラグナがアズマリアを信用していなかった理由はそれだけではないのだろうが。
そんなラグナの猛然たる飛翔は、しかし、アズマリアに到達することさえできなかった。
巨大な闇の塊が、ラグナの全身を包み込んだからだ。
それがなんなのか、一瞬、わからなかった。
いや、理解したくなかったのだ。
それは、禍々しくも巨大な闇の手だった。
まるで魔王がその力の一部を見せたかのようなそれは、だれあろう、セツナの左手から伸びていた。“闇撫”。黒き矛カオスブリンガーの眷属ロッドオブエンヴィーの能力であり、完全武装状態のセツナにとっては、ありふれた攻撃手段のように用いられる力だ。
「セツナ!?」
だれかが叫んだ。
いや、だれもが叫んでいた。
それはそうだろう。
セツナが、まるでアズマリアを護るように立ちはだかり、こともあろうに飛びかかったラグナを無造作に掴み取り、そのまま軽々と放り投げたのだ。
ファリア自身、信じられない気持ちで一杯だったし、アズマリアが裏切ったことよりも何倍、いや、何十倍も衝撃的だった。
信用していなかった人物の裏切りと、身も心も委ねた人物の敵対行為を比較すること自体、馬鹿げている。
ファリアだけでなく、周囲の皆が騒然となるのは当然だった。だれもがセツナの行動に衝撃を受け、頭の中が真っ白になったとしてもおかしくはなかった。
「ぐぬうっ……なんじゃっ!? いったいどういうつもりじゃ! セツナ!」
軽く投げ飛ばされただけだったらしいラグナが空中で体勢を整えると、セツナに噛みつくように叫んだ。
すると、セツナが驚いたような顔をした。
「それはこっちの台詞だろ?」
「なんじゃと!?」
「なんでアズマリアに襲いかかろうとしてんだよ」
「はあっ!?」
ラグナが素っ頓狂な声を上げれば、セツナは憮然とした表情を見せる。
「アズマリアは仲間だろうが」
「それはさっきまでの話でしょ!?」
「アズマリアは、聖皇の力を取り込もうとしているんですよ!」
ミリュウが叫び、ルウファが声を張り上げる。
その間も、アズマリアの上昇は止まらない。
ファリアは、仕方なく、矢を放った。残された力をオーロラストームに注ぎ込み、撃ち放つ。極大の雷光が大気を震わせながら虚空を駆け抜け、アズマリアに届こうとした寸前で見えない壁に激突したかのように爆散した。
セツナではなかった。
(シールドオブメサイア……!?)
ファリアが愕然としたのは、クオンまでもがアズマリアの側についているという事実に直面したからだ。
「ああ? それがどうしたんだ? なあ、クオン」
「うん。問題があるようには思えないけれど……」
セツナに尋ねられたクオンが困ったように微笑んだ。そんなふたりのやりとりは、普段となんら変わらない。いや、いままでよりも距離感が近く、仲が良さそうに見えた。まるで長年の親友のような、そんな雰囲気さえある。
死闘を経て培われた絆、というものなのか、どうか。
ファリアには、そんなことはわからなかったが、ひとつだけ、確かなことがあった。
「おかしいわよ」
「なにがおかしいんだ?」
「なんであなたたちがアズマリアの味方をしているのよ!?」
「なんでって、仲間だからだろう」
「獅子神皇打倒のために力を尽くし、命を燃やしてきたのは、アズマリアも同じだ。確かに彼女は、信用するのは難しいかもしれない。五百年かけてやりたい放題やってきたわけだからね。でも、それもこれも、今日のこのときのためだったんだ。聖皇の力を滅ぼし、イルス・ヴァレを聖皇の呪縛から解放するため……」
「だから、それがおかしいんでしょ!?」
ミリュウが絶叫すると同時に擬似魔法が発動した。ミリュウの周囲に生じた緋色の光が、奔流となってアズマリアに向かっていく。
「アズマリアは、聖皇の力を我が物とするつもりなんですよ!」
ルウファも、ミリュウに続いた。彼の背中に生えた無数の翼から膨大な量の羽が飛び散り、空を極彩色に染め上げていった。翼の世界が構築されていく。
「だーかーらー」
セツナが、少々うんざりしたような、困ったような声を上げた。矛を一振りしただけで蔓延する羽を吹き飛ばし、擬似魔法の光をも断ち切ってしまう。
「それの何処が問題なんだよ? 俺にもわかるように説明してくれ」
セツナは、冗談をいっているようには見えなかった。
真剣に、真面目に、問いかけてきていた。




