第三千六百十八話 使命
「しかし……それにしても、なんだその様子は」
アズマリアが呆れ果てたような表情をしてきたのは、セツナがミリュウたちの玩具になっているからだろう。緊張感もなければ、勝利の余韻といった様子もない。普段通りのだらけきった馬鹿げた空気感が、どういうわけか嘘のように充ち満ちている。
なにもかもが終わり、すべてが解決したかのような雰囲気。
獅子神皇が斃れ、銀獅子が消え去り、世界が正常化しつつあるからこそだが、それにしたって、気を抜きすぎだといわれれば、返す言葉もない。
「まだ、終わったわけではないのだぞ」
「あー……まあ、いいだろ、これくらい」
「……わかっていないな。セツナ。おまえは……おまえたちは、確かに獅子神皇を討ち滅ぼした。だが、斃したのは獅子神皇だけだ。決着はついていない」
「はあっ!?」
ミリュウが素っ頓狂な声を上げながら勢いよく立ち上がろうとして、途中で力尽きたのかセツナに寄りかかってきた。肩の辺りに顎を乗せ、アズマリアを睨み付ける。
「どうっいうっことよっ……!」
息も絶え絶えといった様子のミリュウに、アズマリアは、一瞥もくれなかった。代わりに、頭上を仰ぎ見て。ミリュウの視線を誘導したようだった。
どこまでも抜けるような透き通った青空が、遙か彼方に広がっている。どんな景色よりも美しい空模様は、ただ仰ぎ見ているだけで意気が吸い上げられていきそうなほどだった。
ただし、空と地上の間にあるものを無視できれば、の話だが。
「なによ……あれ……?」
「あれは……」
ミリュウが訝しげな声を上げるのと、ラグナが眉を潜めるのはほとんど同時だっただろうか。
ミリュウにはわからなくとも、ラグナには一目でそれがなんなのか理解できたのには理由がある。かつて、聖皇と契約を結んだ過去を持つラグナにとっては、懐かしい気配だったに違いなかった。
光が、浮かんでいる。
淡く、ゆらゆらと揺らめく、存在の不確かな光。膨大で莫大、空を覆い尽くしかねないほどの質量を持ちながら、しかし、決して覆い隠すことのない、光。神々しくもあり、幻想的でもあり、優しくもあり、美しくもある。
その光がなんなのか、セツナは、はっきりと理解していた。
「聖皇の力だ」
「聖皇の……力?」
「どういうことなのでございます?」
「何度となく説明したはずだ。獅子神皇とは、聖皇の力の継承者……聖皇の力の器だとな。おまえたちが獅子神皇を討ち滅ぼしたことで、器は壊れた。では、力はどうなる。器を抜け出し、新たな器を探し求めるは必定」
アズマリアの説明を聞いて、セツナとクオン以外のだれもが焦りや驚きを覚えていた。セツナは、実感として理解していたし、クオンもこうなることがなんとなくわかっていたのだろう。
獅子神皇の打倒が、最終目的ではなかったのだ。
最終目的は、聖皇の力の抹消。
この世に混沌たる破滅をもたらす聖皇の力を完全に消滅させることこそ、セツナたちに課せられた使命なのだ。
「ちょっと待って。それってつまり、また新たな獅子神皇が現れるってこと?」
「このままだと、そうなる」
「そんな……」
「だから、俺がいるんだろ」
セツナは、ミリュウたちの狼狽ぶりを見て、力強く断言した。
「え……あ、ああ、そういうこと……」
「なるほど、隊長と黒き矛はそのためだったってことか……」
「驚かせるなよ、まったく……」
「ふー……またあんなのと戦う羽目になるかと思ったじゃないっすか」
胸を撫で下ろす面々を見て、セツナは、小さく笑った。
さすがに獅子神皇と同等の力を持ったものともう一度戦うのは、だれだって嫌だろう。なにより、皆、疲れ果てている。消耗し尽くし、立っていることもできないものさえいる。こんな状況で、聖皇の力の継承者が現れ出もしたら、全滅しかねない。
クオンだって、これ以上は神理の鏡の力を酷使することは困難だろう。
もはや、だれも戦えないのだ。
セツナくらいかもしれない。
まだ、多少なりとも余力を残しているのは。
「というわけだ。皆、離れてくれよ」
セツナは、自分を取り囲んだままのミリュウたちに優しくいった。すると、ミリュウは、名残惜しそうに体を擦りつけてきた。
「もう……そういうことなら、仕方ないわね。今回だけよ」
「そうじゃのう」
「では、ミリュウ様はわたくしが責任を持って預からさせて頂きますわ」
「先輩、わたしも手伝います」
「そんなに重傷じゃないってば」
セツナから強引に引き剥がそうとするレムとウルクに抗議しながらも、渋々従うミリュウの様子は、いつも通り以外のなにものでもなかった。聖皇の力の存在に驚き、狼狽していたとは思えない。皆、セツナのことを信頼してくれているのだ。
セツナとカオスブリンガーの力を。
信頼と期待には、応えなくてはならない。
「ったく……この期に及んで暢気なもんだ」
「まあいい。これで終わるのだ」
「ああ……って、さっきといってることが違わないか?」
「どうでもいいことだろう」
「そうだけどさ……」
アズマリアのなんともいえずぶっきらぼうな言い方に、セツナは、憮然とするほかなかった。さっきまで急かしていたのはどこのだれなのか、と、言い返したかった。
しかし、そんな機会は永久に訪れなかった。
「さて、セツナ。クオン」
アズマリアが、話を進めたからだ。
魔人は、セツナとクオンの顔を交互に見比べたあと、一言、いった。
「後のことは、任せたぞ」
「ん……ああ」
「もちろん」
違和感とともに脳裏に生じた疑問は、一瞬にして消えて失せた。
あとは、いつも通りだった。
ただ違うのは、やるべきことがわかったということかもしれない。
不意に、アズマリアの体が宙に浮いた。物理法則を無視した移動は、アズマリア自身の能力などでもなければ、召喚武装の能力でもなかった。そもそも、ゲートオブヴァーミリオンは、この場に存在していない。
では、彼女はどうやって空に浮かんだのか。
セツナにも、わからない。
ただ、アズマリアが、ゆっくりと、確実に、聖皇の力へと近づいていくことだけは理解できていた。
「なにを……しているの?」
だれかが、疑問の声を上げた。ファリアかもしれないし、別のだれかかもしれない。セツナにははっきりと聞き分けられなかった。全員がそれぞれ異なる言葉を発したのもあるだろうが、それ以外の理由もあるような気がした。それも、判然としない。
「え?」
「は?」
「どういうこと?」
「なんじゃ?」
「あれは……いったい……」
だれもが疑問の声を上げる中、セツナは、一切の疑問を持たなかった。
聖皇の力、その光へと近づいていくアズマリアではなく、ファリアたちを見ている。
「五百年だ」
アズマリアの声が、頭上から響いた。
「およそ五百年前、わたしは生まれた。聖皇ミエンディアが、イルス・ヴァレと約束を交わしたとき、生まれ落ちた。それ以来、今日に至るまで、このときを待ち続けていた。この瞬間を待ち侘びていた。このためだけに生き続けてきたのだ」
彼女は、朗々と響く声で、告げる。
「わたしの名はアズマリア=アルテマックス。ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンが魂のひとかけら。いまこそ、欠けたる聖皇の力を補完し、完全無欠の存在として降臨しよう。そして、すべての決着をつけるのだ」
聖皇の力の元へと吸い上げられていくアズマリアの声は、セツナの耳朶によく馴染むように聞こえていた。
「アズマリア……あの野郎!」
シーラがハートオブビーストを構えた。
「ふざけるなっ!」
ファリアが絶叫とともにオーロラストームを掲げた。
「嘘をついていたってのかよ!?」
エスクがソードケインを振り上げた。
「最初から、これが目的だったってわけ!?」
ミリュウがレムに支えられながら、ラヴァーソウルを翳した。
「冗談じゃないっ!」
ルウファが、全力を上げて、シルフィードフェザーを広げた。
レムも、ウルクも、エリナも、エリルアルムも、マユリ神も、だれもかれもが戦闘態勢を取った。
「セツナ、アズマリアを止めるぞ!」
そして、ラグナがセツナに呼びかけながら、アズマリアに向かって飛んだときだ。
「セツナ!?」
だれかが愕然とした声を上げた理由は、セツナには、わからなかった。
ただ、自分の目の前にラグナがいて、彼女の体を翼ごと、“闇撫”で包み込んだだけだったからだ。
それは、彼に課せられた使命だ。




