第三千六百十七話 ひとたびの余韻
レオンガンドは、逝った。
聖皇の力などという理不尽なもののために半ば強制的に生き返り、獅子神皇となり、身も心も怪物へと成り果てていたが、今度こそ完全に無欠に滅び去り、すべてを終えることができたのだ。
多数の犠牲を払い、数多の命を失い、世界全土を巻き込み、数え切れない災厄や絶望を振り撒いて、ようやく、終えることができた。
やっと、完全なる眠りにつくことができたのだ。
それは、レオンガンドにとって喜ばしいことだったに違いない。悲願であり、宿願であったに違いない。念願が叶ったのだ。
だから、セツナは、意識を埋め尽くさんばかりの想いでの数々や、心を塗り潰そうとする感情の数々を振り切ろうとした。
いまは、感傷に浸っている場合ではない。
獅子神皇との、レオンガンドとの戦いは終わった。
だが、すべての決着はついていないのだ。
まだ、滅ぼし切れていない。
「セツナああああああああ!」
そのとき、張り裂けんばかりの大声を上げながら駆け寄ってきたのは、考えるまでもなくミリュウであり、彼女の野放図なまでの愛情表現は、こういうときにも圧倒的としかいいようがなかった。そして、そんな彼女の言動が、心に優しい。
振り向けば、ミリュウ以外の面々も一緒になって駆けつけてきている。
感覚で把握したとおり、だれひとりとして欠けていなかった。
皆、それぞれの戦いを無事に終え、セツナとレオンガンドの戦いが終わったことを確認するやいなや、我先にと駆けつけたのだろう。
シーラなどは、銀獅子の体外から中心部までの距離を全速力で駆け抜けてきたのか、肩で息をしていた。無論、体外での戦闘で消耗したのもあるのだろうが、それは皆、同じだ。だれもが力を使い果たしたとでもいわんばかりの様子だった。
特に、セツナに力を貸し与えてくれていたファリア、ルウファ、ミリュウの三人の消耗ぶりたるや、窶れているのが遠目にもはっきりとわかるくらいであり、彼女たちの負担の凄まじさが手に取るようにわかった。
同時に、三人の助けがなければ、ああもある意味簡単にレオンガンドの力を上回ることが出来なかったことを考えると、聖皇の力の強大さを実感するほかない。
その力が、いまもなお、渦巻いている。
が、一先ずは、セツナは、ファリアたちが集まってくるのを待った。皆の顔を見て、その無事をしっかりと感じたかった。
真っ先にセツナの目の前まで駆け寄ってきたのは、ミリュウだ。さっきの大声で喉が嗄れたのか、もはやなにもいうこともなく、セツナに飛びついてくると、体中をまさぐってきたものだから、セツナはなんともいえない顔になった。
「傷ひとつないね」
ミリュウが少しばかり気が抜けたような、そんな声を上げた。そして、その場に座り込むと、セツナの足に抱きついた。
「おまえは本当、あれだな」
「あれってなによう」
「いいや……なんでもねえよ」
「なんなの、もう」
疲れ果て、突っかかってくる気力もないのだろう。ミリュウは、セツナの足に腕を絡めたまま、大きく息を吐いた。
「ミリュウってば、こういうときでも自重しないのね」
「羨ましいのなら、ファリアさんも真似をすればいいのでは?」
「あんな真似、だれができるのよ。ねえ?」
「ほんとだよ。あんなことができるのはミリュウだけだぜ」
ファリアが同意を求めると、シーラが呆れ果てたように肩を竦めた。すると、そのふたりの脇を擦り抜けるようにして、セツナに向かってきたものがいた。ラグナだ。
限りなく豊かな胸を上下に揺らし、翡翠色の長い髪を振り乱しながら飛びかかってくる様は、この上なく迫力があった。そして、顔面には満面の笑みを浮かべているのだから、ある意味では恐ろしくもある。
「おお、セツナよ! 無事じゃったようじゃな!」
彼女は、セツナの胸に飛び込んでくるようにして、抱きついてきた。竜人態であるため、耐えきれない重量ではないものの、かなりの衝撃が襲いかかってきたため、セツナは思わず悪態をついた。
「おまえもかよ」
「なんじゃ? よいではないか、わしとおぬしの仲じゃ」
「どんな仲なんだよ」
「主と下僕じゃ!」
ラグナは、あっけらかんとした調子でいってくる。
「下僕が主にこんなべたべたするわけねえだろ」
「よいよい、よいのじゃ」
「こんな自分勝手な下僕、聞いたことも見たこともないぜ」
「まあまあ、よろしいではありませんか、御主人様」
「そうです、セツナ。先輩たちのいうとおりです」
レムとウルクがいつの間にかセツナの左右に立っていて、それぞれの腕に自分の腕を絡めて見せた。
「おまえたちまで……」
「わたしもいるよ、お兄ちゃん!」
セツナは、腕や足や首といった部位を好き放題に引っ張られ、なすがままにされるほかなかったし、いまは、それでいいと思えた。
なんたって、獅子神皇は討ち果たせたのだ。
少しくらい、余韻に浸る時間があってもいい。
なんの問題もない。
「ミリュウさんだけって話では?」
「……彼女たちはミリュウみたいなものよ」
「そうだな、ミリュウみたいなもんだな」
「……ほかにだれもいなければな。わたしだって……」
「いま、なんていいました?」
「なんでもない」
慌ててルウファの追及をかわしたエリルアルムだったが、セツナの耳には、しっかりと彼女の声が聞こえていた。召喚武装によって拡張された感覚は、いまもなお、限りなく鋭敏になっている。
それはルウファも変わらないはずだが、彼の場合、疲労のほうが勝っているのかもしれない。なんといっても、翼の世界を作り続けていたのだ。どれだけ精神的、肉体的に消耗したのか、計り知れないものがある。
「それで……」
不意に話しかけてきたのは、エインだった。マユリ神との合一を解いたエインは、少しばかり心細そうな表情でもって、セツナに近づいてきていた。当然、マユリ神の姿もある。
「ん……?」
「終わった……んですよね?」
「ああ……」
うなずき、しばし目線を虚空にさまよわせたのは、なんと伝えるべきか考えたからだ。
「少なくとも、獅子神皇は、討ち滅ぼした」
「少なくとも……?」
エインが怪訝な顔をしたのも無理はなかった。
獅子神皇レオンガンドを討ち滅ぼせたのであれば、それでいいのではないか。
セツナがなにをいいたいのか、エインには、わからない。エインだけではない。この場にいるほとんどのものが事情を知らなかった。
「そうだ、セツナ」
事情を知っているものの声は、背後からだった。
「さすがとしか言い様がないな」
そう、賞賛してきたのは、無論、アズマリアだ。ゲートオブヴァーミリオンの能力によって、セツナの背後に現れたらしい。傷ひとつ見当たらない姿は、相も変わらず妖艶であり、美しい。金色の目が、異様に光っていた。
「無事に獅子神皇を斃せてなによりだ」
「あんたも無事だったようだな」
「当たり前だ。後方にいたのだから、巻き込まれる心配もなかった」
「それにアズマリアは不滅の存在だからね。ぼくが護る必要さえなかったんだよ」
などといってきたのは、クオンだ。当然のように、アズマリアの近くにいた。彼も無傷だ。とはいえ、既に力を使い果たしているのだろう。もはや立っているのがやっと、といわんばかりの様子だった。
ただでさえ消耗していたというのに、さらなる力の行使を強いるような戦いの連続だったのだ。
この戦いにおけるクオンの活躍ぶりは凄まじいとしかいいようがない。彼がいなければ、突入組のだれひとりとして欠けることなく勝利することなど不可能だったに違いない。
彼には感謝してもしたりなかった。
そして、そういえば、と、思い返せば、合流後のアズマリアは、獅子神皇に攻撃される気配さえなかった。獅子神皇にしてみれば、攻撃するだけ無駄だということを理解していたのかもしれない。




