第三千六百十五話 英雄(三)
沸き上がるのは、力だけではない。
意思も想いも炎のように燃え上がり、身も心も灼き尽くさんばかりだった。カオスブリンガーまでもが俄然その気になっているのは、セツナに流れ込んでくる別種の力に触発されているからなのか、それとも、セツナ自身の変化に反応しているのか。両者だろう。魔王の杖とその眷属たちは、セツナとほぼ同化しているのだ。セツナの肉体的、精神的変化に反応するのは当然のことだった。
そして、それによって力がいままで以上に増大している理由も、理解できる。
制御できるからだ。
いまのセツナならば、余す所なく制御できるからこそ、魔王の力も増幅していく。
どれだけ強大な力であっても、制御できなければ意味がない。それがただの召喚武装の力ならばまだしも、カオスブリンガーこと魔王の杖と眷属たちの力ならば、制御できなければ自滅するだけだ。
これまで、セツナが黒き矛の力を制御出来ていた理由がそこにある。
黒き矛が、その本体たる魔王が、セツナに制御できる範囲の力を貸与してくれていたからなのだ。
だから、どれだけ大きな力を発揮しようとも、限界以上に引き出そうとしても、セツナが黒き矛の力に溺れ、制御不能となり、暴走し、ついには逆流現象に飲まれることもなかったのだ。
それが、魔王の杖の護持者たる所以といっていいだろう。
魔王の杖が、魔王が、セツナを使い手として認めてくれたからこそ、貸し与える力を制限し、暴走することのないように細心の注意を払ってくれていたというわけだ。
だからこそ、いま、まさに魔王の力がこれまで以上に増幅したのだ。現状のセツナに制御できる限界の力が、充ち満ちていく。
ファリア、ルウファ、ミリュウの想いが、魔王の力を引き出したということだ。
「ああ……いいな」
レオンガンドが、どこか惚れ惚れとした様子で声を上げた。その眩しそうにこちらを見る目は、いつか、セツナたちを見ていたレオンガンドのまなざしによく似ていた。
「それはいい」
白き矛を翻し、レオンガンドが空を蹴った。一足飛びに飛びかかってくる。
「最高だ」
神速を超える飛行速度でもって殺到してきたレオンガンドだったが、セツナは、その軌道上に既に罠を仕掛けていた。無意識のうちに、だ。
レオンガンドが光の矢の如く飛来してくる最中、それらの罠がつぎつぎと作動し、炸裂する。時空の裂け目から飛び出した闇の手がレオンガンドの装甲を剥ぎ取り、光背を掴み取り、ばらばらにしていく。それでも、レオンガンドの速度は落ちない。
むしろ、加速している。
そして、セツナを間合いに捉えると、レオンガンドは、大上段に振りかぶった矛を獅子の咆哮にも似た気合いとともに叩きつけてきた。なんの策もない、至極単純な飛び込みからの攻撃。当然、セツナは、対応する。矛を振り上げ、受け止めたのだ。
レオンガンドの神威とセツナの魔力が激突し、爆発する。
そこまでは、いままで通りだ。
いままでとは違うのは、魔力のほうが上回ったという点だろう。
相反する力の衝突によって生じた大爆発は、両者の肉体を損傷させるほどの威力を誇るのだが、今回の爆発では、レオンガンドのほうがより大きな損傷を負った。装甲を剥ぎ取られ、剥き出しになった肉体の表面に深刻な損傷が幾重にも刻まれただけでなく、全身の装甲に黒い亀裂が走った。
魔王の魔力を大量に浴びたからだ。
それでも、レオンガンドの攻勢は止まらない。
「破魔の剣よ。退魔の槍よ。封魔の杖よ。浄魔の槌よ」
神の声が数多に響き渡った瞬間だった。
「討神の斧よ。降神の弓よ。崩神の刃よ。滅神の矛よ」
無数に響く歌声が耳朶に響いたかと想うと、どこからともなく飛来した神の武器群に対応するかのようにして、反神の武器群が出現した。無論それは、神の声などではない。神の声は、獅子神皇に反発こそすれど、レオンガンドに反旗を翻す理屈はないのだ。
では、いったい、なんだというのか。
セツナには、即座に理解できていた。
ラヴァーソウルだ。
ミリュウの召喚武装ラヴァーソウルの刃片群が奏でる呪文の詠唱。それが音となって聞こえ、言葉となって響いたのだ。そしてそれは、さながら破滅的な歌声のようであり、歌い終わるのと同時に擬似魔法が発動したのだった。
しかし、ラヴァーソウルが瞬時に神の声に対抗して詠唱し、術式を完成させることができたのは、間違いなく魔王の力の影響だった。
セツナの周囲に漂っているのは、ラヴァーソウルの刃片に過ぎない。本来、ラヴァーソウルの刃片を操ることができるのは、ラヴァーソウルの柄を握るものだけであり、あれだけの複雑な制御を可能としているのはミリュウの技量によるところが大きい。セツナの意思に反応して刃片が呪文を構築し、術式を完成させるなど、本来ならばありえないことだ。
だというのにも関わらず、神の声に反応できたのは、刃片群がカオスブリンガーの制御化にあるからだ。魔王の杖の支配を受け入れ、その命令に従うことを認めているからなのだ。
それは、オーロラストームのクリスタルビットにも、シルフィードフェザーの翼にもいえることだった。
通常ならば魔王の杖など忌み嫌うはずの召喚武装たちだが、いま、百万世界共通の敵を目の前にして、全面的に協力してくれているのだ。それも、魔王に従うという形で、だ。
それもこれも、ファリア、ルウファ、ミリュウと心を完全に通い合わせ、真に理解し合っているからに違いない。
そして、三人がセツナを真に信頼してくれているからだ。
(ああ、最高だ)
最高の気分だ、と、セツナは想った。
ファリア、ルウファ、ミリュウの三人だけじゃない。
突入組の、反ネア・ガンディア連合軍の、いや、世界中のひとびとの想いを感じる。
だれもがセツナの勝利を望んでいる。願っている。祈っている。
獅子神皇レオンガンドを討ち果たし、この長い長い戦いに終止符を打って欲しいと、叫んでいる。
神の武器群と、反神の武器群がセツナとレオンガンドの周囲でぶつかり合い、激しい火花を散らせる中、さらに神の剣と神の盾が舞った。
無数の剣と盾が一斉に押し寄せてくるのを突風が迎え撃つ。数え切れない量の羽が乱舞し、視界一杯に翼の世界が展開した。すると、剣も盾も翼に包まれてしまった。すべての神の剣と神の盾に翼が生えたのだ。そうなると、今度は、レオンガンドに殺到した。
レオンガンドが矛を振り翳し、吼えた。
莫大極まりない神威が爆発し、神の剣も神の盾も神の武器群も反神の武器群も翼も、すべて消え失せた。
残ったのは、セツナとレオンガンドだけだ。
そして、そのときには、セツナは、レオンガンドの胸に矛を突き刺していた。
オーロラストーム・クリスタルビットは、セツナの身体能力を限界以上に引き上げていたし、そこに魔王の力が大幅に上乗せされているのだ。
獅子神皇レオンガンドの速度を上回ることは、もはや造作もなかった。
「……これだよ、セツナ」
レオンガンドは、胸に突き刺さった矛を見下ろしながら、どこか満足そうにいった。
「これが、わたしの英雄なんだ」
カオスブリンガーから溢れ出した膨大な魔力が黒い光となってすべてを塗り潰していく。
戦いが終わる。
予感は、確信に変わった。