第三千六百十四話 英雄(二)
レオンガンドが白き矛を掲げると、一瞬、その姿が歪んで見えた。なにが起きたのかと目を凝らしている暇はない。つぎの瞬間には、レオンガンドの分身が多数出現していた。まるでセツナが魔王の影を生み出したようにして、レオンガンドもまた、自分の分身を生み出したというわけだ。
そして、それら分身たちも、レオンガンドと同様に矛を掲げ、一斉に“破壊光線”を撃ち放ってきた。
膨大極まりない神威が視界を白く塗り潰していく中で、セツナは、手を投げるようにして振り抜いた。“闇撫”を発動し、瞬時に魔王の手を最大化する。闇の掌がセツナの視界一杯に広がり、殺到する神威の奔流の尽くを飲み込むようにして虚空を流れていく。
“破壊光線”の威力は、既に知れた。
であれば、対処できないわけがない。
こちらは、魔王だ。
百万世界の魔王の力がこの手の中にあるのだ。
たとえ相手が神々の王であり、百万世界すら掌中に収めるほどの力を持っていても、負けるわけがない。
負けるわけにはいかない。
戦場を薙ぎ払うような無数の“破壊光線”をむしろ薙ぎ払い、そのままの勢いでレオンガンドを多数の分身ごと掌中に収め、握り締める。全力を込めて握り潰そうとすれば、魔王の掌が内側から溢れ出した光によってばらばらに引き裂かれ、“闇撫”の根本までも崩壊した。
そして、魔王の掌が消えると、そこにはレオンガンドの姿がなかった。
気配は、背後。
振り向き様、矛を叩きつければ、白き矛と激突し、互いの力が炸裂した。
「捻れよ。潰れよ。溶けよ。滅びよ」
凄まじい力の爆発を助長するかのように神の声が朗々と響き渡り、セツナの全身に意識が消し飛びそうになるほどの激痛が走った。両腕があらぬ方向に捻れて千切れそうになれば、内臓がつぎつぎと潰れていき、骨が溶け、すべてが消滅していくような、そんな感覚に襲われたのだ。
さらに、腹部に痛みが生じたかと思うと、剣が刺さっていた。神の剣だ。つぎに衝撃が頭上から襲ってくる。神の盾による打撃。重い一撃。その威力は、セツナが地上まで真っ逆さまに落下するほどだった。
「ほう」
だが、セツナは、地面に激突することはなかった。
地面に激突する寸前、加圧も重力もなにもかも無視するようにして、空中に浮き上がったのだ。一瞬、なにが起こったのかセツナにもわからなかった。まるで磁石が反発したときのような、そんな感覚。そしてその感覚には覚えがあった。
(ミリュウのラヴァーソウル?)
確かにそれは、ミリュウの召喚武装ラヴァーソウルの能力としか思えなかった。磁力を操り、磁力による引力や斥力を自在に制御するのがラヴァーソウルの得意技だ。だが、しかし、ここにミリュウはいない。ミリュウはいまも敵と戦っているはずなのだ。
既に斃し、合流した、というわけでもなかった。
ミリュウの気配は、遙か彼方にある。
なのに、ラヴァーソウルの能力が発動し、セツナを助けた。
これはいったいどういうことなのか。
「炎鎖よ。氷戟よ。雷砲よ。鉄華よ」
立て続けに聞こえてきた神の声は、セツナの体に直接作用するものではなかった。紅蓮と燃える炎の鎖が無数に殺到してきたかと思えば、透き通る氷の戟が雨霰と降り注ぎ、極大の雷球が数多に飛来し、鋼鉄の花弁が数多に舞い上がってきた。それも一瞬にして、一斉に、だ。避ける暇もなかった。
すると、突然、風が吹いた。
それも物凄まじいとしかいいようのない嵐であり、セツナを中心とする台風とでもいうべきそれは、セツナに殺到した神の声の攻撃の尽くを吹き飛ばした。炎の鎖が千切れ飛び、氷の戟が粉々に砕け散れば、雷球が弾けて爆発し、鉄の花弁も舞い上がって消えていった。
ただの暴風ではない。
明らかにセツナを護る意図があって巻き起こった、超強力な暴風。
これほどの暴風を起こせるものは、そうはいないだろう。
(シルフィードフェザー……だよな)
確信を持って、つぶやく。
ルウファの召喚武装シルフィードフェザーならば、あれだけの嵐を起こせるだろう。無論、翼の世界を展開し、シルフィードフェザーの力を最大限発揮できる状態ならば、という前提だが、彼のことだ。いま現在、翼の世界を発動しているに違いない。そして、あれだけの数の敵を相手に圧倒しているのだろう。
しかし、それにしたって、どうやってルウファがセツナに力を貸してくれたというのか。
「なるほど」
レオンガンドが、こちらを見遣りながら、なにかを納得したようだった。
セツナの体は、神理の鏡によって既に元通りだ。傷ひとつない万全の状態。これならばいくらでも戦える。戦えるが、このままでは、レオンガンドの思うまま、思い通りに事が運んでしまう気がしてならなかった。なんとかして状況を打開しなければならない。
聖皇の力をねじ伏せ、打倒しなければならない。
打ち勝ち、討ち滅ぼすのだ。
レオンガンドを。
瞬間、セツナの体が熱を帯びた。力が沸き上がる。
「それが君の力か。英雄の」
レオンガンドが矛を頭上に掲げると、切っ先から閃光が走った。光は四方八方に飛び散ると、それぞれが光の化身となって、セツナに襲いかかってきた。いうなればレオンガンドの分身だ。だが、さっきの分身とは様子が違った。より小柄で、少年のような顔立ちをしている。
天使たち。
そんな言葉が脳裏を過ぎったが、それに囚われているほど暇ではない。
神速でもって殺到してくる天使たちだったが、セツナには、どうにも緩慢に見えてならなかった。なにもかもが遅く、緩やかに感じられる。
それが突如として沸き上がった力のおかげなのだということは、わかっていた。
そしてその力が、魔王由来のものではなく、別種の召喚武装、それもよく知る人物のものだということも、なんとはなしに理解していた。
(オーロラストーム……!)
ミリュウ、ルウファに続き、ファリアの召喚武装オーロラストームまでもが、セツナを援護してくれていたのだ。
体が熱を帯びたのは、錯覚などではなかった。体の様々な箇所に突き刺さったクリスタルビットが電熱を発し、セツナの全神経を刺激したのだ。そして、それによってあらゆる感覚をさらに拡張して見せたのだ。
それはまさに、ファリアが獅子神皇との戦いで披露した能力クリスタルドレスであり、セツナはいま、魔王の力とオーロラストームの力を得ていたのだ。
いや、オーロラストームだけではない。
シルフィードフェザーの羽が体の一部を覆っていたし、ラヴァーソウルの刃片が周囲を漂っていた。
だから、神速で飛来する天使たちも児戯に見えたのであり、軽く飛び回っただけで殲滅することができた。
「これは俺ひとりの力じゃない。《獅子の尾》の力なんだ」
すべての天使を一蹴すると、セツナは、レオンガンドを見遣り、彼の言を訂正した。
レオンガンドがこよなく愛し、信頼し、重用した親衛隊。
その力の結晶こそが、レオンガンドを討つのだ、と。




