第三千六百十話 獅子神皇レオンガンド
「陛下……なんですね」
セツナは、獅子神皇の目をまっすぐに見つめた。
金色に輝く両方の瞳の奥に、これまでとは異なる確かな意志を感じる。獅子神皇の意志が薄弱だったわけではないにせよ、これまでの獅子神皇と、いま、セツナの前方にいる獅子神皇とでは、なにもかもが違って見えた。姿形は変わっていない。そのままといっていい。それなのに、なにかが違う。なにもかもが異なっている。
表情ひとつとってもそうだ。
神々の王に相応しく超然としていた獅子神皇とは打って変わって、いま目の前にいる人物は、どこか物憂げで哀愁漂う表情をしていた。手にした剣も力なくぶら下げているようであり、盾も構えてはいない。いまにも投げ出しそうな、そんな様子さえあった。
「違うよ」
しかし、彼は、否定する。
「わたしは、獅子神皇だ」
ゆっくりと剣を掲げ、切っ先をこちらに向けてくる。
「獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディア。それがいまのわたしであり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。だから、戦おう。戦ってくれ」
「でも、あなたは陛下だ。俺の、俺という矛にとってのただひとりの主」
セツナは、獅子神皇の中のレオンガンドを見逃さなかったし、彼がどれだけ否定しようとも、その事実から目を背けることができなかった。
これまでは、獅子神皇だった。
レオンガンドではなく、獅子神皇だったからこそ、セツナは、全身全霊の力でもって戦い、斃し、滅び尽くすことだって考えられた。だが、いま、目の前にいるのは、獅子神皇の姿をしたレオンガンドなのだ。聖皇の力を引き受けたことで変わり果てた獅子神皇ではなく、生前のレオンガンドそのひとが、眼前にいる。
その事実を理解した瞬間から、セツナの脳裏には様々な情景が去来していた。だから、逡巡が生まれた。とっくに覚悟していたはずなのに。ずっと前から決めていたはずなのに。
いざ、レオンガンド本人を手にかけなければならないとなると、迷いが生じた。
「……戦うんだ、セツナ」
はっと、顔を上げる。レオンガンドが、すぐ目の前にいた。一瞬にして距離を詰めてきたのだ。いつの間にか振りかぶっていた剣を振り下ろしてくる。
「それが、君がここに来た理由だろう」
「陛下!」
斬撃を受け止めた瞬間、神威と魔力が激突した。相反する力の衝突によって大きな爆発が起こる。
「問答無用!」
「っ!」
追い打ちに叩き込まれた凄まじい力によって地上まで吹き飛ばされて、背中を強く打ちつけた。一瞬、息が詰まる。
それによって、セツナは、自分の愚かしさを理解し、反省した。
(まったく……その通りだな)
すぐさま跳ね起き、飛び退くことで、雨霰と降り注いできた無数の神剣を回避する。神剣の刀身群は、地面につぎつぎと突き刺さると、まばゆい光を放ち、炸裂した。莫大な神威が連鎖誘爆し、無数の光の柱となって聳え立つ。
その爆風に煽られながら、セツナは、上空を仰いだ。
レオンガンドが、無数の神の盾を展開しながら、神の剣を翳していた。その様子から、神の剣も神の盾も、一切の矛盾なくレオンガンドを護り、レオンガンドの攻撃手段となっていることがわかる。先程は獅子神皇だから反乱し、反撃したのだ。レオンガンドならば反旗を翻す必要がない。
道理だ。
つまり、いま、セツナが戦わなければならないのは、獅子神皇としてのレオンガンドなのだ。
(俺は……陛下と戦うためにここに来たんだ)
戦って、撃ち倒し、討ち滅ぼして、今度こそ、完全に死なせるために、だ。
忘れていたわけではない。
見失っていたわけでもない。
決意をし、覚悟を決め、ここまで戦い抜いてきたのだ。
だが、本心からいえば、そんなことはしたくなかった。
あれほど慕い、敬い、尊び、愛した主なのだ。
いくら身も心も怪物に変わり果てたのだとしても、殺したくなどない。
それがセツナの本音だった。
だが、やらなければ、ならない。
レオンガンドが聖皇の力に縋り、獅子神皇に成り果てたことで、この世界からどれだけの命が奪われたのか。それこそ、数え切れない数の命が消え去り、いまもなお、窮地に直面している。この世が暗澹たる絶望に包まれ、だれもが明日を生きる希望さえ持てないような状況に追い込まれたのだって、獅子神皇が誕生したがためだ。
ついには、獅子神皇は、世界を滅ぼそうとさえしていた。
なんとしてでも止めなければならないし、なにがなんでも斃さなければならない。
いくらレオンガンドが自分の中の獅子神皇と戦い、それに打ち勝ったのだとしても、矛を下ろす理由にはならない。
状況は、もはやそういうところまで来ている。
セツナは、歯を食いしばって、矛を掲げた。同時に“真・破壊光線”を撃ち放つ。漆黒の光が破壊的な奔流となってレオンガンドに襲いかかると、レオンガンドの周囲に展開していた盾がその進路上に結集し、巨大な防壁を構築した。防壁と“真・破壊光線”が激突し、大爆発が起きる。
そのときには、セツナは、まったく別方向に飛んでいた。
殺到した神剣の群れを回避するためでもあったし、レオンガンドに接近するためでもあった。
最大速度で空間を飛び回り、際限なく飛来する神剣を避け続ける。
「燃えよ。凍てつけ。痺れよ。割れよ」
神の声が朗々と響き渡った直後だった。セツナの右腕が突如として火を噴き、左腕が凍り付いた。右足に電流が走れば、左足がでたらめにひび割れていく。だが、それらの損傷もつぎの瞬間には、なかったことになっている。
遙か彼方でクオンが見守ってくれているのだ。
シールドオブメサイアの加護がある限り、セツナたちは無敵だ。
その分、クオンに負担がかかることになるが、こればかりは彼に気張ってもらうしかないし、だからこそ、彼は銀獅子の体内に突入しなかったのだ。セツナたちの援護に専念するために、だ。そしてそれは、アズマリアも同じだ。ゲートオブヴァーミリオンの能力で支援してくれているに違いない。
(そうだ。俺はひとりじゃない)
だから、負けられない。
負けるわけにはいかないのだ。
つぎつぎと飛来する神剣は、セツナにかわされると、そのまま遙か遠方の壁に激突し、連鎖誘爆を引き起こしていった。そして、光の柱が爆発的な勢いで膨れ上がり、押し寄せてくる。
(鬱陶しいな)
振り向き様、左手を翳す。“闇撫”を発動すると、一瞬にして巨大化した闇の掌が迫り来る光熱の嵐を押し止めた。そのまま爆発ごと握り潰す。
さらにセツナは、エッジオブサーストの時間静止能力を行使すると、止めどなく飛来し続ける神剣群の動きを止めて見せた。
もっとも、静止した時空の中で、レオンガンドの動きは一切止まっていなかったし、むしろ、勢いよく飛びかかってきたのだが。