第三千六百五話 夢の化身
黒き尾の銀獅子は、獅子神像の何十倍もの巨大さを誇っていた。
ガンディア小大陸を飲み込みほどに膨大化した肉塊の変貌の果てなのだ。獅子神像とは比較にならないほど巨大なのは考えるまでもなかった。であれば、その力も相応に大きくなっていることは間違いないが、セツナには、どうにも脅威とは思えない部分があった。
ミヴューラ神によってあっさりと撃ち倒された獅子神像の姿が脳裏に焼き付いているということもあるだろうが、それ以上に、獅子神皇が自暴自棄的に膨張し、変貌したように見えたからだ。
しかも、その姿には獅子神皇というよりは、レオンガンドの意志が強く反映されているように思える。
聖皇の力の継承者たる獅子神皇ではなく、セツナたちが心から敬服し、忠誠を誓っていたレオンガンドの記憶、想い、望み――銀獅子の黒き尾は、そういったものの顕現のように思えてならなかった。
そして、黒き尾がさらなる変貌を遂げたとき、セツナは、脳天を貫かれるような衝撃を受けた。
「あれは――」
ただでさえ禍々しかった銀獅子の黒き尾がさらに異形化していくと、見覚えのある形状へと変わっていった。セツナにとってなくてはならず、もはや半身といっても差し支えのない存在と同じ姿だったのだ。
「カオスブリンガー……!」
セツナは、想わず声を張り上げると、巨大な矛そのものとなった尾が動き出すのを認めた。見るものの心を震わせ、戦慄を覚えさせるほどの禍々しさを誇るそれは、まさに黒き矛の如く虚空を切り裂きながら、穂先を白く輝かせる。
「《獅子の尾》のつぎは黒き矛って、どういうつもり!?」
「どうもこうもないさ」
輝く穂先の矛先は、セツナたちではなく、銀獅子自身の巨躯に向けられていた。
「あれが陛下の想いなら。あれが陛下の意志だっていうんなら」
直後、巨大な黒き矛が撃ち放ったのは、やはり“破壊光線”だ。ただし、魔力ではなく、神威による“破壊光線”であり、性質はまったく異なっている。故に、銀獅子の背に直撃し、大爆発が起きても、その損傷たるや微々たるものに過ぎない。
「俺たちがやるべきことはひとつだ」
セツナが拳を握り締めたとき、銀獅子は、まるで黒き尾の矛に対抗するかのように吼えた。神威の爆発がつぎつぎと引き起こされ、黒き尾を飲み込んでいく。
すると、突如として背中が割れた。そこから肉塊が空高く伸びていき、天を覆ったかに見えたつぎの瞬間、とてつもなく巨大な純白の翼と、紫水晶で出来たような翼へと変化した。
純白の翼が大気を掻き混ぜ、大嵐を起こせば、紫水晶の翼は電光を放ち、雷撃を生み出す。それらはすべて、銀獅子自身への攻撃となっていた。
「今度はなに!?」
「シルフィードフェザーとオーロラストームだろうな」
「そりゃあ見ればわかるけどさ、なんでよ?」
ミリュウの疑問は、銀獅子がなぜ、そんな真似をしているのか、ということだ。そもそも、獅子神皇が銀獅子に変化したことも、大いなる疑問だった。そこにさらに不可解な行動を重ねるものだから、混乱するのもわからなくはない。
だが、セツナには、はっきりと理解できていた。
それは、獅子神皇との戦闘中の出来事と同じだったからだ。
「いっただろう。陛下だよ」
「陛下?」
「そう、獅子神皇じゃなくて、陛下だ」
「陛下……」
だれかがセツナの発言を反芻するようにいった。
「違和感はあったんだ、ずっと」
それは、獅子神皇が統合されて以降、さらに強くなった。
「獅子神皇は、陛下が聖皇の力を引き受けることで誕生した存在だ。だから、陛下だったんだ。俺が初めて獅子神皇とあったときに感じたんだ。あのとき、俺の目の前にいたのは、確かに陛下だった……」
だが、と、セツナは、銀獅子を見据えながら、いった。
銀獅子の背を割るようにして生えた二枚の翼は、竜巻と雷撃でもって、自身の巨躯を攻撃する。そこに黒き尾の攻撃も交えると、凄まじい攻撃の嵐となり、銀獅子の周囲一帯は壊滅的な状況といっても過言ではなくなっていた。
「俺たちがいまさっきまで戦っていたのは、獅子神皇だった。陛下じゃなくて、な」
銀獅子が咆哮すれば、どこからともなく流星が降り注ぎ、二枚の巨大な翼を徹底的に打ちつけていく。爆砕に次ぐ爆砕が天地を震撼させる中、銀獅子の巨躯にさらなる変化が起きた。銀獅子の胴体に様々な獣の頭部が生えたのだ。
それはさながら、ハートオブビーストの能力のようであり、獣たちの雄叫びは、やはり銀獅子への攻撃だった。
「そして、陛下もまた、獅子神皇と戦っていた……」
アルガザードたちのように、自分の中の獅子神皇と戦い続けていたのではないか。
だからこそ、いままさに、獅子神皇の化身たる銀獅子が自分自身を攻撃しているのだ。
そうとしか考えられなかったし、そう結論づけるのが、一番納得の行く理屈だった。
でなければ、獅子神皇が自分自身を攻撃する意味がわからない。
神の声も聞こえなければ、神の目による未来視もなくなり、神の剣も神の盾もなくなった。残っているのは、獅子神皇本体だけであり、その成れの果てともいえる白銀の獅子のみだ。
そして、銀獅子への攻撃手段は、レオンガンドがガンディアの希望とも光ともいった《獅子の尾》から連想されるものばかりであり、いまやセツナたちの集大成の如き有り様と成り果てていた。
カオスブリンガーを模した尾、シルフィードフェザーとオーロラストームを象ったような翼に、ハートオブビーストを象徴するような数多の獣の頭部。さらにラヴァーソウルを連想させる真紅の牙が生え、爪は死神の大鎌の如く黒く禍々しくなっていた。ソードケインの光刃と思しき光が乱舞し、波光に似た輝きが巨躯のそこかしこから溢れ、銀獅子を攻撃している。
銀獅子自身の数多の攻撃が、銀獅子とその周囲を徹底的に破壊していく様は、筆舌に尽くしがたいものであり、同時にセツナは名状しがたい心の震えを覚えていた。
それを一口に感動といっていいものか、どうか。
「セツナ」
セツナは、クオンに一言呼びかけられただけで、彼がなにをいいたいのか察した。
「ああ、わかってるさ」
銀獅子が自分自身を攻撃し続けているからといって、それをじっと見ているだけでいいわけがなかった。銀獅子の攻撃も、レオンガンドの意志による攻撃も、どちらも決定打にならないまま、破壊の嵐を巻き起こし続けている。
このままでは、この世界に大打撃を与える可能性があった。
銀獅子は、暴走しているのだ。
一刻も早く決着をつける必要がある。
「皆、よく聞いてくれ」
セツナは、ファリアたちに呼びかけながら、黒き矛を握る手に力を込めた。
「獅子神皇の本体は、あの銀獅子の中にあるはずだ。それを斃し、この戦いを終わらせる」
そう断言した瞬間だった。
銀獅子がこちらを睨みつけ、咆哮した。
時空が、震撼する。




