第三千六百三話 反撃
「ねえ……」
ミリュウが、だれとはなしに疑問の声を上げた。
「いったい、なにが起こっているの?」
「わからない、わからないわよ」
「ほんにのう」
だれもが困惑を隠せないのも当然だった。
獅子神皇が三度展開した無数の剣と数多の盾は、またしてもセツナたち全員を殺戮するべく解き放たれたのだ。その光景は、まるで当たり前のように未来視したのだが、その数秒先の未来の光景こそが混乱を招く原因であり、そして未来視した情景がそのまま起こったことが、皆を呆然とさせた。
獅子神皇を中心に周回していた無数の神の剣と神の盾が一斉に解き放たれると、セツナたちひとりひとちに何十本の剣、何十個の盾が襲いかかった。もちろん、セツナたちは未来視に誘導されるまま回避行動を取ったのだが、未来視した光景の余りの突拍子のなさに打って出ることができなかった。
まず、セツナたちに飛来した剣の進路上に盾が立ちはだかった。必然、剣と盾は激突する。他方では、殺到する盾を真横から剣が斬りかかっている。
神の剣と神の盾による壮絶な戦闘が至るところで始まったのだ。
それも、セツナたちを護るためとしか考えられなかった。
だが、獅子神皇がそのようなことをするわけがない。
では、なにが起こっているのか。
混乱するのも無理からぬことだ。
「俺には、わかりますよ」
ルウファが、どこか嬉しそうな、しかしどこまでも哀しみに満ちた声でいった。彼の声に宿る複雑な感情の理由は、セツナにははっきりとわかっている。
「あの声は、父上の声だったんです」
「アルガザードさんの……声?」
「はい」
幾重にも響き渡る神の声のうちのひとつが、そうだ。
セツナたちを味方し、獅子神皇に敵対する声こそが、神将ナルドラスことアルガザード=バルガザールの声だったのだ。
いまならば、確信できる。
ナルドラスとは、神の声を意味するのだと、いう。
「そしていまは、兄上とミシェルさんが戦っているんです。獅子神皇と」
ルウファの兄ラクサス=バルガザールは、神将ナルガレスとして転生した。神の盾を意味する名と能力を獅子神皇に分け与えられていた彼は、ファリアとの死闘の末に斃れた。一方、ミシェル=クロウは、神将ナルノイアとして転生しており、神の剣を意味する名と能力を持っていた。そして、ミリュウとの激闘に敗れ去っている。
獅子神皇は、神将たちが滅びる際、分け与えていた力を回収したのだろう。そして、そのことが現状に大きな影響を与えている。
神の声にアルガザードの意志が混ざり、神の剣と盾にラクサス、ミシェルの意志が混じった。
そして、神の目には、アレグリアの意志が混じり、セツナたちに味方した。
でなければ、説明がつかない。
「……なんでよ? なんでいまさら……」
「いまだからだろ」
「え?」
「アルガザードさんも、ラクサスさんも、ミシェルさん、アレグリアさんも、皆、なんのために神将として生まれ変わったと想う?」
「それは……」
「陛下のため……ですよね」
「きっと、そうだ」
ルウファの発言にうなずき、剣と盾の激突を見遣る。獅子神皇に付き従い、セツナたちを攻撃しようとする剣と盾と、獅子神皇に反発し、セツナたちを援護しようとする剣と盾の数はほとんど同じに見えた。
「陛下のためならば、生まれ変わってでも力になりたいと想うのは、なにもおかしいことじゃない」
「むしろ、当然の気持ちですよ。俺だって、父上や兄上の立場だったなら、そうしたはずです」
だから、ルウファの中には、アルガザードやラクサスを責められない、という気持ちがあったのだろう。
「俺だって、そうさ」
セツナは、ルウファの想いを肯定すると、獅子神皇に視線を戻した。
獅子神皇は、自分の意のままにならない状況を前に、憤りに震えているようだった。物凄まじい形相で剣と盾の乱舞を見つめ、また、セツナたちを視ている。第三の目が優しく輝いているように見えた。それがアレグリアの視線だということに気づけたのは、早いほうだったのか、どうか。
レオンガンドによく似た顔立ちのそれは、もはやレオンガンド・レイ=ガンディアとはかけ離れた存在といってよかった。
巨大化したこともさることながら、言動も大きく異なれば、表情のひとつとってもレオンガンドの面影ひとつ残っていなかった。似ているのは顔立ちと声音くらいのものであり、そこにレオンガンドとの同一性を見出すのは困難に近い。
だからこそ、アルガザードたちが反旗を翻せたのではないか。
そう気づいたとき、セツナは、心底安堵した。
「随分と人望がないんだな、獅子神皇」
激突し続ける剣と盾の間隙を縫って、獅子神皇に接近する。声が聞こえた。幾重にも響く神の声が、セツナの眼前で炸裂し、火花を散らす。神の声が神の声を打ち消し、さらなる声と声の激突が繰り広げられている。
先程までとは比べものにならないほどに神の声の援護が強くなっているのを感じる。
それはつまり、アルガザードの意志が神の声を掌握し始めた、ということなのだろうか。
なんにせよ、神の声による攻撃を心配する必要はなくなった。
そもそも、未来視のおかげで、獅子神皇の攻撃はすべてかわせているのだが。
「さすがは唯一無双の存在だぜ」
「ありえぬ!」
獅子神皇が激憤のあまり、割れんばかりの叫び声を上げた。
「このようなことはありえぬ! あるべきではない! あってはならぬのだ!」
手にした剣を凄まじい速度で振り回し、斬撃を飛ばしまくるも、そのすべてを見切ったセツナには、掠り傷ひとつ負わなかった。懐に入り込む。
「我は唯一無双! 百万世界のすべてを統べ、永遠の安息と平穏をもたらすものなのだぞ!」
「子供みたいに駄々を捏ねるなよ」
獅子神皇が全身から噴き出させた神威の波動は、避けられなかった。全周囲に向かって放たれ、球状に膨れ上がったからだが、しかし、セツナは、シールドオブメサイアに護られてもいる。セツナを弾き飛ばすためだけの波動は、シールドオブメサイアの防御障壁を破るには威力不足だった。
間合いを詰め、矛を突き出す。
「現実を受け止めろ」
「現実……現実だと……!?」
矛が再び胸に突き刺さったとき、獅子神皇は、愕然とした顔をした。だが、それも一瞬に過ぎない。つぎの瞬間、セツナは、はっとした。
すべてが白く塗り潰される未来を視たからだ。
「我は、獅子神皇。百万世界を統一し、無限恒久の安寧を約束するもの。それこそが我が夢の――」
獅子神皇が譫言のようにつぶやいた直後だった。
「なっ、なに!?」
「なにが起こってるの?」
「わからんぞ!」
「とにかく逃げましょう!」
「なんだってんだこりゃ!」
だれもが悲鳴染みた声を上げるのは、数秒先の未来を視たからに違いなく、セツナもまた、未来視によってすんでのところで巻き込まれずに済んでいた。
獅子神皇の肉体が爆発するかのように膨張したのだ。
白い肉の塊がぶくぶくと急激に膨れ上がっていく様は、異様というほかない。剣も盾も飲み込み、ナルンニルノルの残骸すらも押し潰し、包み込んでいく。何倍、何十倍どころでは済まないほどの膨張。
すべてが真っ白に塗り潰された。