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第三十五話 戦う理由

『あ、悪魔だ……』

 気づくと、こちらを見ていたのは、恐怖に染まったまなざしだった。

 セツナは当初、その視線の意味するものがなにかわからず、ただ茫然と目線を追ってみたのだ。

 しかし、彼が背後を振り返ったところで、敵の集団がいるわけでも、凶悪な化け物がその脅威的な姿を見せているわけでもなかった。

 あきれるほどに晴れやかな青空の下、悠然と広がる平原を埋め尽くすのは無数の死体であり、それらの多くは、彼がその手にした矛の一閃、一打、一撃によって殺した敵の亡骸であった。

 あるものは身に纏う重装甲もろともに断ち切られ、あるものは心臓を貫かれて絶命し、あるものは首を切り飛ばされて死んでいる。

 だれが見てもあざやかな手際だといえるのではないか。無論、力任せに打ち倒したものもいるにはいるが、文句の付けようもないはずだ。自画自賛などではない。こんな状況でうぬぼれられるほど、セツナの心は強くもなかった。

 ただ、敵を殺しただけだ。

 仲間の撤退を速やかに遂行させるため、命を賭して立ちはだかった兵士たち。彼らは、絶対の死が約束されたその役目にも絶望などしていなかった。むしろ、歓喜の中へと勇躍するかの如く、手に手を取って挑んできたのだ。

 そこには純然たる殺意のみが瞬き、それ以外のあらゆる感情が入り込む余地などなかったように想われた。瞬間瞬間に死んでいく。セツナの矛が黒き軌跡を描くたびに、兵士の命がひとつ、またひとつと消えていったのだ。

 命の重みなど、考える余裕はなかった。

 矛を振るわなければ、セツナが殺される。いや、それだけではない。死を覚悟したものたちには恐れるものなどもはやなく、本隊へと突撃してガンディア軍に打撃を与え、あまつさえレオンガンドの首さえも狙っただろう。

 だが。

『まるで死神じゃないか』

 心底なにかを脅えるような声が、どこからともなく聞こえてくる。遠く離れた兵士たちの囁きなのだろうか。本来ならば聞こえるはずのないほど小さな言葉の群れ。しかしなぜか、セツナの耳に届いていた。原因はわからない。

 研ぎ澄まされた無数の刃のような言葉の意味など、理解する必要もなかったのかもしれない。

『なんだよ、あれ』

 卑屈な視線。

『あんなのが陛下の切り札なのか?』

 悪意に満ちた声音。

『カミヤがどうとか言っていたのは本当だったのか』

 恐れている。

『あんな化け物がガンディアにいたのか……』

 畏れている。

『怖えよ……どんだけ殺せば気が済むんだよ……あいつ』

 拒絶している。

(なんで……?)

 それは、彼と兵士たちの間に横たわる距離となって現れていた。優に二十メートルはあるだろうか。先頭の邪魔にならないように間合いを取るにしては、十分すぎるほどの距離だった。しかも、その間合いは、わずかずつではあるものの、確実に広がっているようだった。

 本隊が、後退しているのだ。

(なんでだよ!)

 彼は、思い切り叫びたかった。しかし、慟哭が声になることはなく、喉から微かな空気が漏れただけだった。体力は尽き果て、立っていることがやっとの状態だった。叫ぶことすらままならない。

 戦場を飛び回り、何百人という敵を殺し尽くしたのだ。疲弊しないほうがおかしいといえる。もっとも、それにしたって十分におかしいのだが。

 ただの学生が、これほどまでの力を発揮するなど、あってはならない。

(俺はただ敵を殺しただけじゃねえか! なにもできないあんたらの代わりに、斬って斬って斬りまくって! 殺して、殺して、殺し尽くしただけじゃないか! それのなにがいけない! それが間違いだったってのかよ!)

 セツナは、遠巻きにこちらを見遣る兵士たちを一瞥して、その瞬間、彼らの顔色が変わったのを認めた。通常ではありえないほどの視力が、兜の隙間の表情の変化を認識していた。目が合ったわけですらないのに、その表情は一瞬にして青ざめ、あるいは凍りついた。

 一言で言うなれば、それは、恐怖そのものだった。

 人外の化け物と遭遇したかのような反応だった。

(俺は化け物じゃねえ……!)

 セツナは、頭を振ることもできないことに気づき、失望した。血を浴びすぎた体は想うように動かず、呼吸さえも自由にならなかった。残りわずかな体力さえも、刻々と奪われていく。

 無数の視線が、こちらを注視していた。しかしそれは、セツナの様子を心配するのではなく、ただこちらの動向を伺っているようなものであり、願わくばこの場から消え去って欲しいというものであったとしても、なんら不思議ではなかった。

 恐怖と脅威と嫌悪。

 負の感情だけが渦巻いている。

 セツナは、絶望するしかなかった。

 これでは、なんのために戦ったのかわからなくなる。

(なんのため……?)

 セツナは、ふと自問した。不意に湧き上がった疑問こそが、すべてを解決する糸口のように思えた。

 賞賛が欲しかったわけではない。それは断じて違うといえる。だれかに自分の存在を認めて欲しいから、武器を手に取ったわけではない。否――。

(本当にそうか? 俺は、ただ自分を認識して欲しかっただけじゃないのか?)

 寄る辺なきこの世界で、自分の存在を他人に認知してもらいたかっただけではないのか。自己の存在を主張し、だれかに助けて欲しかっただけではないのか。救いを求めてあえいでいるだけではないのか。

 だからこそ、この黒き矛を手にしたのではなかったか。

 わけもわからぬまま放り出された異世界で、頼りにできるものなどなにひとつなく、孤独だけが心を埋め尽くしていく。

(孤独……? 俺が?)

 セツナは、軽い眩暈を覚えた。立ちくらみとは違う。目の奥で瞬いた光は目まぐるしい螺旋を描きながら、混乱をより深めていくのだ。意識は混濁し、なにもわからなくなっていく。視界が暗くなった。音も聞こえなくなる。

 その直前、だれかの泣き声を聞いた気がする。

 だれが、こんな愚かな自分のために泣いてくれるのだろう。

 そんなことを想って、セツナは、苦笑するしかなかった。

 漠たる闇が、意識を覆う。



「馬鹿ね、本当に馬鹿よ」

 ファリア=ベルファリアの慈しみに満ちた声が、どこか涙ぐんでいるように聞こえたのは、きっと聴き間違いなどではないのだろう。彼女の細い腕が、崩れ落ちようとするセツナ=カミヤの体をタイミングよく抱きとめることができたのは、偶然にしてもできすぎだったが。

 もっとも、そのまま一緒になって死体の山の中に倒れなかったのは、彼女が日頃から鍛錬を怠らない武装召喚師であるからに他ならない。彼女の膂力は、ガンディア軍が誇る弱兵などとは比べ物にはならないはずだ。見た目にはわからないが、皮膚の下には筋肉が詰まっているに違いない。

「無茶ばっかりして」

 優しげな彼女の口振りからして、セツナが無理をするのは日常茶飯事なのかもしれない。ファリアとセツナがどれほど長い間行動をともにしているのかはわからないし、興味もないのだが、セツナの無茶振りについては好奇心が刺激されるところではある。

「なんといいますか、身の程知らずここに極まれりって、このことっすよね」

 ルクスは、後ろのふたりに話しかけながらも、そのまなざしだけはファリアに向けていた。彼女は、血みどろの少年の体を抱え、こちらに向かってくるところだった。

 さすがに死体に囲まれた場所では介抱もできないと踏んだのだろう。それにはルクスとて同意ではあるが、遠目に見た限りでは、セツナ自身に目立った外傷はないようだった。もっとも、セツナは全身血まみれである。遠目には見えなくとも、近寄れば傷口の一つや二つくらい見つかるかもしれない。

 不意に、ルクスの後頭部に衝撃が走った。

「おまえがいうな」

 団長ことシグルド=フォリアーの拳骨が飛んできたのだろう。じんじんと響く痛みは、懐かしくはあるものの、喜ばしいものではなかった。ルクスとて人の子である。痛いのは嫌いなのだ。

「彼は彼の本分を全うしただけでしょう」

 というのはジン=クレール。副長である。いつものように眼鏡のレンズでも光らせているのだろうか。なんにせよ、ルクスは、彼の考えには同調できなかった。

「そうかな? ただ武器に振り回されてただけだと想うなあ。武装のこと、まったく理解していないみたいでしたし。あ、でもでも、セツナの戦功にけちをつける気なんてさらさらありませんからね。そこだけは勘違いしないでくださいませ」

 ルクスはおどけたように言ったものの、それは本心であった。例え召喚武装に引っ張られた結果であろうとも、初陣であれほどの戦果を上げたのだ。心から賞賛するべきであろう。だからこそ、ルクスは、ガンディアの弱兵たちを一喝したい衝動に駆られるのだ。

 恐れるのではなく感謝するべきだ、と。

 もっとも、一傭兵に過ぎぬ分際で、そのような差し出がましい真似をする気はない。傭兵には傭兵のやり方があり、彼らには彼らのやり方があるのだ。無駄に関係をこじらせることもないだろう。

 といって、《蒼き風》とガンディア軍の関係が良好かといえば、必ずしもそうともいえないのが現状ではあるのだが。

「だれもおまえがそんなに小さい奴だなんて想ってねーよ」

 ぽん、と頭の上に大きな掌を置いてきたシグルドに、ルクスは、どことなく照れ臭ささえ覚えた。後ろを振り仰ぐと、シグルドは、ガンディア軍に目を向けている様子だった。いつまでたっても及び腰のまま、セツナの動向を伺う兵士たちの姿はあまりにも滑稽であり、救いがたいほどの哀れさを醸し出しているのだろう。

 シグルドの表情は、極めて厳しい。

「おまえよりもこの国の将来が心配だね、俺は」

 その飄々とした言葉にどれほどの本心が混じっているのかなど、本人ならざるルクスにわかるはずもなかった。

 そして、それでいいと想っている。他人の心のすべてを理解できるわけもなければ、したいとも想わなかった。

 第一、他人の心を覗き込むなど、悪趣味以外のなにものでもない。

(ま、それとこれとは別だけどね)

 ルクスは、適当につぶやくと、視線を前方に戻した。セツナを抱えて歩くファリアの姿はどことなく眩しく感じられ、彼は目を細めた。少なくとも彼女のあり方は、遠巻きに傍観を続けるだけの兵士たちよりも遥かに素晴らしいもののように思えてならなかった。

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