第三千五百九十四話 獅子神皇の秘密(三)
それは、これまでセツナが見たことのあるどんな擬似魔法よりも破壊力が高いことは、一目でわかった。ただ派手なだけではない。ただ豪快なだけではない。圧倒的な破壊力でもって空間そのものを破壊し、粉砕し、丹念に、丁寧に、一切の加減なく消滅させる、そんな魔法だった。
しかしながら、そんな史上最大最強の擬似魔法が炸裂する中で、セツナは、獅子神皇がやはり、一切の損傷を負っていないことを確認してもいた。
擬似魔法の連鎖は、すぐには終わらない。
ミリュウが力を込めただけあって、長時間に及ぶ大攻勢といってよかった。
だが、それでも獅子神皇には手傷ひとつ負わせられていない。
「見えてる? 獅子神皇の腕が吹っ飛んだわよ……って、いってる側から元に戻ったけどさ」
「いや、俺には見えなかった」
「うーん」
ミリュウが訝しげに唸るのも無理はあるまい。
攻撃をした本人には、獅子神皇の損傷具合がはっきりと見えているのだ。なのに、本人以外からはまったくわからず、また、つぎの瞬間にはどんな傷もたちまち元に戻っている。損傷箇所を再生したり、復元したような感じではまったくなく、負傷した事実などなかったかのように、だ。
それが獅子神皇が最大最強の敵たる所以のひとつであり、その謎を解明しない限り、こちらに勝ち目はない。
擬似魔法が終了するのと同時に、ラグナの咆哮が轟く。
すると、無数の光弾が獅子神皇を全周囲から襲いかかったかと思えば、その光弾のひとつが竜人態となったラグナだった。莫大な魔力を帯び、自分自身が弾丸そのものとなって飛びかかったのだ。獅子神皇は、そんなラグナを嘲笑うと、盾を掲げた。盾が光を放ち、光弾すべてが消滅する。
ラグナの身を包んでいた魔力までもが消え去ると、さすがの彼女も驚いたようだった。獅子神皇の剣が、ラグナを迎え撃つべく虚空を奔る。衝撃音が響いた。見れば、ラグナに向かって振り下ろされた刃が、黒く禍々しい大鎌によって受け止められていた。
レムだ。
そこへ、ラグナが突っ込んでいくと、獅子神皇の腹に鋭い蹴りが深々と入り込む。竜王の咆哮が響き、足の先から魔力が炸裂した。さらにその直後、背後から迫っていたウルクが、獅子神皇の後頭部に両腕を翳した。極至近距離からの波光砲が、獅子神皇の頭部を飲み込む。
その上、レムの体から遊離した“死神”が、大鎌を振り回して獅子神皇を斬りつけて見せた。
ほぼほぼ一方的かつ強力無比な攻撃の数々を受けてもなお、獅子神皇の姿に変化は見られない。
やはり、どう考えても、獅子神皇の謎を解かなくてはならないのだ。
「無駄だ」
獅子神皇が、哀れみを込めて、告げてきた。
レムの“死神”が真っ二つに切り裂かれると、レム自身の右腕も吹き飛ばされた。ウルクが大きく弾き飛ばされただけで済んだのは、その躯体が極めて頑強だからに過ぎず、ラグナも足を消し飛ばされた上で、レムともどもに遙か遠方まで吹き飛ばされている。
間髪を容れず、無数の羽弾が獅子神皇に殺到する。それに合わせるように急接近するのはエリルアルムであり、エスクもまた、ソードケインの光刃を伸ばして獅子神皇を攻撃する。シーラもだ。
獣人態となったシーラは、羽弾に混じって獅子神皇に飛びかかると、複数の尾で殴りつけながら、斧槍を振り回した。
「無駄なのだ」
そう断言する獅子神皇の周囲で、まるで時間そのものが止まったかのようにシーラ、エリルアルムの動きが止まる。シルフィードフェザーの羽弾も止まれば、ソードケインの光刃も獅子神皇の首に触れそうなほどの距離で硬直してしまった。そして、吹き飛ばされる。シーラは尾の尽くを消し飛ばされ、エリルアルムは翼を失い、ソードケインは光刃を根こそぎ消滅させられた。
それだけで済んでいるのだから、御の字というほかないが。
「なにをしようが、どれだけ足掻こうが、わたしには届かない」
「届いてるわよ!」
「ならば、なぜ、わたしはこうしてここにいるのだ?」
憤慨するミリュウに対し、獅子神皇は冷静そのものだ。冷厳たる事実を口にしているという様子だった。
「君たちの攻撃が届いているのであれば、とっくに滅び去っていてもおかしくはあるまい。時空を破壊しかねない魔王の杖の一撃ですら、わたしを討ち滅ぼすことができていないのだ。それ以下の君たちの攻撃がわたしに届くことなど、ありえない」
「そうかな」
疑問を呈したのは、ルウファだった。無数の翼に彩られた世界で、彼の顔は、だれよりも勇ましく見える。もっとも、彼の姿は、翼の集合体としかいいようのない異様なものなのだが。
「ここは翼の世界。翼の世界の理を支配するのは、俺とシルフィードフェザーだ」
「ほう?」
「世界は止まる」
ルウファが告げた瞬間だった。
セツナは、感覚的に時間が止まるのを理解した。常に激しく揺れ動いていた大気も、震えていた羽も、突入組全員の動きも、止まっている。ただし、意識はあったし、完全にすべての時間が止まったわけではないらしいということもわかった。
そして、獅子神皇の様子に異変が起きたことも、理解する。
「ふむ」
獅子神皇の動きも止まった――かのように見えたのは、一瞬だった。一瞬だけ、獅子神皇も動きを止めたのだ。しかし、
「確かにこの領域の時間は止まったようだが……わたしを止めることはできなかったな」
獅子神皇は、平然とした様子で剣を振り、盾を掲げて見せたのだが、その姿は激しくぶれて見えていた。腕が動けば、その動きに合わせて腕が現れ、足が動けばその動作に合わせて複数の足が現れ、その場で硬直する。
「なんだ、あれ」
「あれは……どういうことだ?」
「分身でもしているのかしら……」
「いいや、そういうわけじゃなさそうだ」
分身というよりは残像に近いのだが、残像がそのまま硬直しているように見えているのが異様だった。残像とは早すぎるからこそ生まれるものではないのか。だとすれば、残像がいつまでもその場に留まり続けるのは、おかしい。
「皆にも見えているんですね?」
「ああ、見えている。そして、これは重要な手がかりのようだぞ、ルウファ」
「それってつまり」
「お手柄ってことだ」
「おおう!」
「ええっ!?」
ルウファが歓喜の声を上げれば、ミリュウが心底悔しがった。
「残念だったわね、ミリュウ」
「ううっ、でも、いまはそんなことをいっている場合じゃないのよね……」
「そうでございます」
「いまは、彼奴を斃すのが先決じゃな」
「そうです、先輩」
「わたしを斃す、か」
獅子神皇が、光背を輝かせながら、いった。
「まだそんな寝言をほざいていられるとは、状況が理解できていないようだな」
「理解しているさ。あんたよりは精確にな」
セツナが言い放つのと同時に、獅子神皇の光背が無数の光線を放った。




